2008年 04月 の記事 (1件)




   羿なんぞ日をいたる
   烏なんぞ羽を解く

               屈原「天問」


むかし、羿(げい)という神がいた。
弓の名人とされている。
史記には二人の羿が違った時間軸に現れて混乱させられるが、
古いほうのゲイのお噺をしよう。

あるとき、天帝の10人の息子たちがイタズラを企てた。
息子たちは皆太陽だったらしい。
一人がかわりばんこに天空にのぼる。
何万年もやってると飽きてくるのは神様もおなじようだ。
10人一緒にのぼってみようと誰かが言い出し9人が即座にのった。
イタズラは、どんなときも楽しい。
おやじにもおふくろにも黙ったまま天空に10個の太陽が煌めいた。
そのまぶしさは半端じゃない。
なにせ、灼熱だ。
作物は枯れ、地はひび割れ、海も川も乾いてしまう。
とても人は生きていけない。
地上の聖王だった尭(ぎょう)は天帝に祈った。
天帝も息子たちのイタズラとはいえ放ってはおけない。
一案を講じてゲイを呼んだ。
「人民のために服務してこい」
ゲイは命じられ、妻とともに下界に降り立った。
妻の名は、嫦娥(じょうが)という。
アフロディナほども美しかったのだろうか、
なにせ天界人、女神だ。
夢は美的なほうがいいに決まってる。
ものすごく美しかったことにしておこう。

ゲイは10本の弓を用意し、つがえて天空の標的を睨んだ。
地上の聖王のギョウは慌(あわ)てた。
10個もあると迷惑至極だが、全てなくなっても困る。
部下に命じそっと一本の矢を隠させた。
必中の矢は、9の太陽を射落とした。
いっこの太陽がのこった。
ゲイはついでに地上の猛禽類や大海ヘビなどもことごとく退治した。
下界に安穏な日々がおとずれる。
大手柄。
意気揚々と天帝に報告した。
だが、天帝は激怒していた。
可愛い我が子を殺されて怒り心頭に達している。
あげくゲイを神籍から外してしまった。
神の世界にも戸籍はある。
あわれゲイ夫妻は、神の特権を失ってしまった。
天界にはのぼれず、永遠の命もない。
いずれ人間のように死を迎えてしまう。
地獄にだって落ちるかも知れない。
それだけは我慢ならなかった。
ジョウガは夫に食ってかかった。
「あんたはなんてバカなの!我が子を殺されて誉めてくれる親がどこにいるのよ!」
女神といえども癇癪持ち(ヒステリー)であることは人と変わらない。
「そんな叫ぶなよ、なんとかするから」
人間の男のように、ゲイは情けなさを露呈する。

家(仮住まいだろう)にいられないゲイは人間の女と浮気をした。
これがまた性悪だったようだ。
おまけに夫もちである。
性悪女は、どうしてだろう、皆、美しいと相場が決まっている。
熟れた口唇からささやかれ声は男を恍惚とさせる。
一度でもうっとりしてしまえばもういけない、無理難題をきかされる羽目になる。
邪魔な夫を殺してともちかけられた。
天帝の神意を汲み取れずに神籍を奪われたゲイに、
女の底意を推し量れるわけがない。
頼まれたとおり夫を射殺そうとした。
だが名人も矢の誤り?放たれた矢は夫の目に突き刺さった。
夫も黙っていない。
天帝に訴え出た。
にっくきゲイを弁護するはずはない。
ゲイはまたひとつ、天界から遠ざかってしまう。
不倫相手は「間抜け!!」の捨て台詞をのこして去ってゆく。
踏んだり蹴ったりだ。
ゲイはジョウガに頭を下げて許しを乞うた。
それみたことか、と妻の悪態は想像をこえるほど降り注がれる。
無条件降伏の身の上だ、どんな誹謗中傷もがまんしなけりゃいけない。
「かあちゃんすまん、これこのとおりだ(土下座)、許してくれ、二度と浮気しないから堪忍してくれ」
恭順するときはプライドなんか捨てなきゃならない。
女房の足を舐めるくらいの無私さが肝心だ。
なにせ美貌では浮気相手もかなわない絶世なのだ、ここは耐え忍ばねばならない。
つまみ食いはもうしない、と固く心に誓うゲイだった。

あるとき耳寄りな噂を聞いた。
崑崙に西王母という神がいて、不死の妙薬をもっているという。
崑崙は西の果て、険路・険峻で人獣を阻んでいるそうだが、ゲイは人籍に落とされようが元は神である、並の体力ではない、喜び勇んで崑崙へ旅立った。
西王母に逢い、妙薬をねだると、
「あとふたつしかありませんから、夫婦でひとつぶずつお飲みなさい。
ひとつぶ飲めば不老不死となりますし、ふたつぶ飲めば昇天して神になれます」
ゲイは押し頂いて妻のもとに馳せ参じた。
西王母の言葉をそっくりそのまま伝えて、妻の顔の喜色に胸を撫おろした。
「不死で充分じゃないか、地上も楽しいぞ、ふたりで仲良く暮らそうぜ」
ゲイは得意満面に妻に告げた。
ジョウガは「そうね」と応えながら別の思案にとりつかれていた。
――こうなったのはこのバカのせいでアタシにはなんの責任もない。
不死だけで足りるわけないじゃないの。
昇天できなきゃ意味がないわ――

ジョウガはゲイに内緒でふたつぶ飲んでしまった。
あんなバカは勝手に死ねばいいのよ。
自分で蒔いた種は自分で刈ってもらいましょう。
当然の権利よ。
恨みはなにひとつ忘れてはいなかったのだ。
女は、ほんと、恐い。

果たしてジョウガは身が軽くなり、天へ昇っていった。
途中で考えた。
このまま天界に戻れば夫を置き去りにしたことがばれてしまう。
それは、まずい。
ホトボリがさめるまでどこかで休息していよう。
天と地の間に月がうかんでいた。
ここでしばらく身を隠していよう、ジョウガは月宮に降り立った。
ところが月宮で横になっていると体の異常に気がついた。
背が縮み、腹がせりだしてくる。
腰が横にふくらみ、手が曲がる。
重力に押しつぶされそうな圧迫を感じる。
やがて首は肩に埋没し、口が裂け、目が大きくなる。
皮膚は黒ずみ、斑点と腫瘍があちこちに出来てくる。
ゲロゲロ!!
ジョウガは悲鳴をあげたつもりだった。
だが声はつぶれた音に過ぎなかった。
彼女は、醜いガマガエルに変身していた。

これ以降、古代の人たちは月を嫦娥と呼んだ。
観月のたび、世の男どもは置き去りにされたゲイを重ねる。
ゲイは悲嘆に暮れなかった。
天職である弓を人間に教え、村々の若い娘をつまみ食いしながら、
よろしく余生を送っていた。
弟子の中に天才がいて、名を逢蒙(ほうもう)という。
めきめき腕が上がり並ぶものがいない。
だが、師匠がいる限り自分はナンバー2だ。
才能という強欲はつねにナンバー1を強いる。
とうとう逢蒙はゲイを闇討ちした。
あわれ、弓の神様羿はここに間抜けな人生を終焉させた。

飼い犬に手を噛まれる、ということわざはここから生まれたらしい。













2008 04/14 18:54:22 | none
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