思索に耽る苦行の軌跡

2007年 10月 22日 の記事 (1件)


私の部屋には電池を交換するとき以外一時も休むことなく《渦》を巻き続けてゐるものがある。さう、長針、短針、そして秒針があるAnalog(アナログ)の時計である。この時計とはもう二十数年来の付き合ひである。当然、この時計も一度は私の手で分解され再び組み立てられた代物である。私は幼少時より時計も含めておもちゃの類やちょっとした機械は必ず分解してみないと気が済まない性分なのである。これは如何ともし難く、しかし、それでゐて殆どが再び組み立てられずに唯のがらくたに成り下がったもの多数である。それでも分解は止められないのであるが、最近は電子基盤に電子部品が何やら地図のやうに貼り付けられた電子機械ばかりで分解の仕様もなく、私にとって機械のBlack box(ブラックボックス)化は誠に欲求不満を募らせるどう仕様もない唯の《物体》でしかなく、其処に愛着といふ《魂》が全く宿らない代物なのである。


さて、しかし、時計の針が動く様を凝視してゐた在る時、不意にこの時計の針を無限大にまで引き伸ばしに引き伸ばしたならば、さて、時計の針は進めるのだらうか? といふ疑問が湧いたのであった。例へば秒針が無限大の時、一秒針が進むのでさへ∞の円周を秒針は回転しなければならない筈である。さて、さて、Aporia(アポリア)の出現だ。


其処で私の思考はx0 = 1(x > 0):0より大きい数の 0乗は 1 となるといふ処へ飛んだのであった。ここで時計の針を無限大にまで引き伸ばすのは断念せざるを得ないのではないかといふ考へが閃き、つまり、時計の針を引き伸ばしても針が進める境界域が存在し、それが個時空ではないのかといふ考へに思ひ至ったのであった。その個時空ではx0 = 1(x > 0):0より大きい数の 0乗は 1 となるといふ、時空の大河に生じた時空のカルマン渦といふ個時空が存立する。そして、其の個時空の境界外は∞の0乗の世界ではないのかと考へたのである。即ち、その∞の0乗がこの宇宙を流れる時空の大河の正体に違ひないと直感したのであった。そして、∞の0乗が一になった瞬間この宇宙は死滅する。私は常々x0 = 1(x > 0):0より大きい数の 0乗は 1 となるといふことは《死》を意味してゐると看做して来たのである。0乗は生の一回点、即ち、一生の終着点といふ《死》を意味してゐると看做して来たのであった。それ故∞の0乗が一になった瞬間にこの宇宙は死滅するのである。


更にこの個時空といふ考へに従ふと、物理学を始めとするこれまでの時間の扱ひ方――私は常々この時間の扱ひ方が時間を侮蔑してゐると考へてゐる――からすると





2b7653342f0967939a0655b95e5f5380_5




で定義されるストークスの定理は必然であって、さて、物理数学が《渦》にお手上げなのは必然である。




さて、時間が進むといふ事は時々刻々とx0 = 1(x > 0):0より大きい数の 0乗は 1、即ち、xで《象徴》されてゐる小宇宙が一つ消滅してゐるといふ事であって、つまり、時々刻々と《宇宙》が消滅し続けてゐるのである。将に此の世は《諸行無常》である……。
















2007 10/22 07:35:19 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー