思索に耽る苦行の軌跡

2008年 01月 27日 の記事 (1件)


私は雪がぽつりと呟いたその一言に全く同意見であった。私と雪は二人で煙草を



――ふう〜う。



と一服しながら互いの顔を見合い、そして互ひににこりと微笑んだのであった。



*******ねえ、君。つまり、アメリカの杉の仲間の、つまり、巨大セコイアといふ、つまり、巨樹を知ってゐるかい? 



雪は私のMemo帳を覗き込むと



――ええ、もう何千年も生きて百メートルにならうといふ木でしょう。それがどうしたの? 



*******ねえ、つまり、毛細管現象は知ってゐるかい? 



――ええ、知っているわ。それで? 



*******毛細管現象や葉からの、つまり、水分の蒸発による木の内外の圧力差など、つまり、木が水を吸ひ上げるのは、つまり、科学的な説明では数十メートルが限界なんだ。つまり、しかし、巨大セコイアに限らず、つまり、木は巨樹になると数十メートル以上にまで、つまり、成長する。何故だと思ふ? 



――うふっ、木の《気》かしら、えへっ。



*******ふむ、さうかもしれない。つまり、僕が思ふに木は、つまり、維管束から幹まで全て、つまり、螺旋状の仕組みなんじゃないかと思ふんだ。つまり、一本の木は渦巻く《気》の中心で、つまり、その目に見えない摩訶不思議な力で、つまり、科学を超へて垂直に地に屹立する。ねえ、君。つまり、先に言ったが、つまり、科学はまだ渦を説明出来ない。つまり、円運動をやっと直線運動に変換するストークスの定理止まりなんだ。つまり、人間は未だ螺旋の何たるかを、つまり、知らない。つまり、木は人間の知を超へてしまってゐる。つまり、また渦の問題になったね、へっ。



私は雪の何とも不思議さうな顔を見て微笑み更に続けたのであった。



*******ねえ、君。つまり、江戸の町が《の》の字といふ《渦》を巻いてゐるのは知ってゐるね? 



――ええ、山手線がその好例よ。



*******つまり、人間が《水》の亜種ならば《の》の字の渦は天から《気》が絶えず降り注ぐ回転の方向をしてゐる。つまり、低気圧の渦が上昇気流の渦ならば、つまり、《の》の字の渦は、言ふなれば下降気流の回転方向を示してゐる。つまり、さうすると、江戸の町は絶えず天からの目に見えぬ加護を受けてゐたのさ。そこでだ、つまり、江戸時代の階級が渦状の階級社会ならば、つまり、天下無敵の階級社会だったに違ひないのだ。



――ふう〜う。



と私は煙草を一喫みした。



――ねえ、江戸時代の人々は現代人より創造的で豊かな暮らしをしてゐたのかもしれないわね。すると、《自由》の御旗の下の現代の一握りの大富豪と殆ど全ての貧乏人といふ峻険なる山型の階級社会は、うふっ、息苦しいわね。



――ふう〜う。



私は煙草をまた一喫みしながら更なる思案に耽るのであった。



(以降に続く)











































2008 01/27 08:46:46 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー