思索に耽る苦行の軌跡

2008年 02月 11日 の記事 (1件)


――もしや、地震? 



と私は眠りから覚醒した刹那、頭蓋内でさう呟いた。自身が顫動してゐる私を私は覚醒と同時に認識したのである。しかしながらちょこっと開けた瞼の裂け目から覗く外界はぴくりとも揺れてゐる様子は無く、間違いなく自身が顫動してゐると感じてゐる私の感覚は錯覚に違ひなかったのである。



――これが……錯覚? 



それは不思議な感覚であった。自身が高周期で振動する振動子になったかの如き感覚で、それは心臓の鼓動による振動とは全く違った顫動であった。敢へてその感覚を名状すれば、差し詰め私自身が此の世の本源たるモナドの如き振動子として《存在》の根源、否、毒虫となったカフカの「変身」の主人公、ザムザの足掻きにも似た自身の焦燥感に打ち震へた末に自身に自身が打ちのめされて泡を吹き脳震盪を起こして卒倒してぶるぶると震へてゐるやうな、若しくは私が決して触れてはいけないカント曰く《物自体》に触れてしまってその恐ろしさにずぶ濡れの子犬がぶるぶると震へるやうにその恐怖に唯唯慄く自身を、一方でしっかりしろと自身を揺すって覚醒させやうともがいてゐる私自身による震へといったやうな、或いは殺虫剤を吹き掛けられて神経系統が麻痺し仰向けに引っ繰り返って翅をぶんぶんとか弱く打ち震はせてゐる蠅のやうな、兎に角、尋常ならざる状態に私が置かれてゐるのは間違ひなかったのかもしれなかったが、それは未だに定かではない。といふのも、その日以来、特に新月と満月の日とその前後に自身が顫動してゐる錯覚が度度起きるやうになってしまったのだが、病院での精密検査の結果は異状なしであったからである。



それは兎も角、例へばその顫動が私の体躯と意識、若しくは体躯と魂との微妙なずれによって返って私の自意識若しくは魂が私の体躯に無理やりしがみ付くことで起こる異常な意識の振動だとすれば、私は新月と満月とその前後の日にすうっと《死》へ意識の足を踏み入れてしまってゐたのかもしれなかった。或いはそれはもしかすると私の意識若しくは魂が幽体離脱しようとしながらもそれが果たせず私の体躯に縛り付けられもがいてゐる無様な自意識の様なのかもしれなかった。兎に角、私に何か異常な現象が起こってゐるとしか思へぬほど私が顫動してゐる自身を私は確かに確実に認識してゐたのは間違ひなかった。それは錯覚などではない、と私は確信したのである。



私はその顫動を取り敢へず我慢する外なかった。この船頭は、さて、如何したことであらう。一瞬だが私が一気に膨らみ巨大な巨大な巨大な何かに変容したやうな或る不思議な感覚に捉はれるのであった。と思ふ間もなく私は一瞬にして萎み小さな小さな小さな何かにこれまた変容したやうな不思議な感覚に捉はれるのであった。何としたことか! この《私》といふ感覚が一瞬にして急変する事態に私は戸惑ひながらも心の何処かで楽しんでゐた。この極大と極小の間(あはひ)を味はふ不思議。最早《私》は《私》ではなく、とは言へ、結局のところ《私》から遁れられない《私》にちぇっと舌打ちしながらもこの不思議な感覚に身を任せる快感の中にゐることは、敢へて言へば苦痛が快感に変はるSadismMasochismにも似た倒錯した自同律の快楽と言ふ外なかったのであった。しかしながらこの悦楽は危険であると《私》は本能的に感じてゐたのも間違ひなく、その日は私は徐に蒲団から起き上がり立ち上がったのであったが、哀れ、私はそのまま気を失って卒倒してしまったのである。多分、私が気を失ってゐたのは一、二分のことだらうが、しかし、目の前が真っ白な状態から真っ暗な状態へとゆっくりと移ろひゆくその卒倒してゐた時間は私には一時間ほどにも感じられたのであった……。



――見つけたぞ。奴を捕まえた。



さう思った刹那、私は顫動する私を見出し私に気が付いてしまったのである。



――泡沫の夢か……。



一瞬だが私は《私》以外の何かに変貌した自身を仄かに感じたのであった……。そして、後に残ったものと言へば敗北感しかなかったのである……。





















2008 02/11 02:41:13 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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