ねえ、君、不思議だね。道行く人々は私の視界にその足下の存在を残し、その殆どの者とは今後永劫に出会ふことはない筈さ。袖振り合ふも多生の縁とはいひ条、今生ではこの道行く人々の殆どと最早行き交ふことは未来永劫ある筈もない。この見知らぬ者だらけが存在する此の世の不思議。ところがこれら見知らぬ者達も顔を持ってゐる。それぞれが《考へる》人間として今生に面をもって存在する。そして、彼等もまた《私》以外の《私》にならうと懊悩し、もがき苦しみ存在する。不思議極まりないね。全ての《生者》は未完成の存在としてしか此の世にゐられぬ。不思議だね。しかも《死》がその完成形といふ訳でもない。全ては謎のまま滅する。此の世は謎だらけじゃないか。物質の窮極の根源から大宇宙まで、謎、謎、謎、謎、謎だらけだ。ねえ、君、《存在》がそれぞれ特異点を隠し持ってゐるとしたなら特異点は無数の《面》を持って此の世に存在してゐるね。人間の《面》は特異点の顔貌のひとつに違ひないね。へっ。特異点だからこそ無数の《面》を持ち得るのさ。己にもまた特異点が隠されてゐる筈さ。だから、此の世の謎に堪へ得るのさ。へっ、此の世の謎の探究者達は此の世の謎を《論理》の網で搦め取らう手練手管の限りを尽くしてゐるが、へっ、謎はその論理の網の目をひょいっと摺り抜ける。だから論理の言説は何か《ずれ》てゐて誤謬の塊のやうな自己満足此処にいたりといった《形骸》にしか感じられない。ねえ、君、そもそも論理は謎を容れる容器足り得るのかね。どうも私には謎が論理を容れる容器に思へて仕方がない……。謎がその尻尾をちらりとでも現はすと論理はそれだけで右往左往し
――新発見だ!
と喜び勇んで論理はその触手を伸ばせるだけ伸ばして何とか謎のその面を搦め取るが、へっ、謎はといふと既にその面を変へて気が向いたらまたちらりと別の面を現はす。多分、論理は特異点と渦を真正面から論理的に記述出来ない内は謎がちらりと現はす面に振り回されっぱなしさ。《存在》は特異点を隠し持ち、渦を巻いてゐるに違ひない。私にはどうしてもさう思はれて仕方がないのさ。論理自体が渦を巻かない限り謎は謎のまま論理を嘲笑ってゐるぜ、へっ。
…………
…………
不意に私の視界は真っ暗になった。私と雪は神社兼公園となってゐる鎮守の森の蔭の中に飛び込んだのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
彼の人は鎮守の森の蔭に入って視界が真っ暗になった途端、その輝きを増したのであった。街燈が灯ってゐる場所までの数十秒の間、この歩道を歩く人波は皆、闇の中に消えその《存在》の気配のみを際立たせて自らの《存在》を《他》に知らしめる外なかったのである。闇に埋もれた《存在》。途端に気配が蠢き出す闇の中、私は何とも名状し難い心地良さを感じてゐた。私は、それまで内部に息を潜めて蹲ってゐた内部の《私》がさうしたやうに、ゆっくりと頭を擡げ正面をじっと見据ゑたのであった。前方数十メートル先の街燈の木漏れ日で幽かに照らされた人波の影の群れが其処には動いてゐた以外、全ては闇であった。見知らぬ他人の顔が闇に埋もれて見えないことの心地良さは私にとっては格別であった。それは闇の中で自身の面から解放された奇妙な歓喜に満ちた、とはいへ
――《私》は何処? 《私》は何処?
と突然盲(めし)ひた人がそれまで目の前で見えてゐた《もの》を見失って手探りで《もの》、若しくはそれは《私》かもしれぬが、その《もの》を探す不安にも満ちた、さもなくば、《他》を《敵》と看做してひたすら自己防衛に身を窮する以外ない哀れな自身の身の上を噛み締めなければならぬ何とも名状し難い屈辱感に満ちた、解放と不安と緊迫とが奇妙に入り混じった不思議な時空間であった。闇の中の人波の影の山がのっそりと動いてゐた。それは再び視覚で自身を自己認識出来る光の下への遁走なのか? 否、それは自己が闇と溶け合って兆す《無限》といふ観念と自身が全的に対峙しなければならぬ恐怖からの遁走といふべきものであったに違ひない。若しくはそれは自意識が闇に溶けてしまひ再び自己なる《もの》が再構築出来ぬのではないかといふ不安からの遁走に違ひなかったのであった。闇の中の人波は等しく皆怯へてゐるやうに私には感じられたのである。その感覚が何とも私には心地良かったのであった……。
(以降に続く)