この闇と通じた何処かの遠くの闇の中で己の巨大な巨大な重力場を持ち切れずに《他》に変容すべく絶えず《他》の物体を取り込まずにはゐられず更に更に肥大化する己の重力場に己自身がその重力で圧し潰され軋み行くBlack hole(ブラックホール)のその中心部の、自己であることに堪へ切れずに発され伝播する断末魔のやうな、しかし、自己の宿命に敢然と背き自らに叛旗を翻しそこで上げられるblack hole自身の勝鬨のやうな、さもなくば自己が闇に溶暗することで肥大化に肥大化を続けざるを得ぬ自己の宿命に抗すべく何かへの変容を渇望せずにはゐられない自己なるものへの不信感が渦巻くやうな闇に一歩足を踏み入れると、闇の中では自己が自己であることを保留される不思議な状態に置かれることに一時も我慢がならず自己を自己として確定する光の存在を渇望する女々しい自己をじっと我慢しそれを噛み締めるしかない闇の中で、《存在》は、『吾、吾ならざる吾へ』と独りごちて自己に蹲る不愉快を振り払ふべく自己の内部ですっくと立ち上がるべきなのだ。自己の溶暗を誘ふ闇と自己が自己であるべきといふせめぎ合ひ。闇の中では《存在》に潜む特異点が己の顔を求めて蠢き始めるのだ。それまで光の下では顔といふ象徴によって封印されてゐた特異点がその封印を解かれて解き放たれる。闇の中では何処も彼処も《存在》の本性といふ名の特異点が剥き出しになり、その大口を開け牙を剥き出しにする。この欲望の渦巻く闇、そして、《存在》の匿名性が奔流となって渦巻く闇。私も人の子である。闇に一歩足を踏み入れると闇の中ではこの本性といふ名の阿修羅の如き特異点の渦巻く奔流に一瞬怯むが、それ以上に感じられる解放感が私には心地良かったのである。私の内部に隠されてあった特異点もまたその毒々しい牙を剥き出しにするのだ。無限大へ発散せずにはゐられぬ特異点を《存在》はその内部に秘めてゐる故に、闇が誘ふ《無限》と感応するに違ひない。しかし、一方では私は闇が誘ふ《無限》を怖がってじっと内部で蹲り頑なに自身を保身することに執着する自身を発見するのであるが、しかし、もう一方ではきっと目を見開き眼前の闇に対峙し《無限》を持ち切らうとその場に屹立する自身もまた内部で見出すのであった。とはいへ、《無限》は《無限》に対峙することは決してなく《無限》と《無限》は一つに重なり合ひ渾然一体となって巨大な巨大な巨大な一つの《無限》が出現するのみである。私はこの闇の中で《無限》に溶暗し私の内部に秘められてゐるであらう阿修羅の如き特異点がその頭をむくりと擡げ何やら思案に耽り、闇の中でその《存在》の姿形を留保されてゐる森羅万象に思ひを馳せその《物自体》の影にでも触れようと企んでゐる小賢しさに苦笑するのであった。
――ふっ。
確かに物自体は闇の中にしかその影を現はさぬであらう。しかし、闇は私の如何なる表象も出現させてしまふ《場》であった。私が何かを思考すればたちどころにその表象は私の眼前に呼び出されることになる。闇の中で蠢く気配共。気配もまた何かの表象を纏って闇の中にその気配を現はす。それは魂が《存在》から憧(あくが)れ出ることなのであらうか……。パンドラの匣は闇の中で常に開けられてゐるのかもしれぬ。魑魅魍魎と化した気配共が跋扈するこの闇の中で《存在》のもとには《希望》なんぞは残される筈もなく、パンドラの匣に残されてゐるのは現代では《絶望》である。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
彼の人はゆっくりとゆっくりと螺旋を描きながら何処とも知れぬ何処かへ向け飛翔を相変はらず続けてゐた。彼の人はこの闇の中にあってもその姿形を変へることなく徹頭徹尾彼の人であり続けたのであった。
闇。闇は《無限》を強要し、其処に卑近な日常の情景から大宇宙の諸相までぶち込む《場》であった。闇の中では過去と未来が綯い交ぜになって不気味な《もの》を眼前に据ゑるのだ。悪魔に魂を売るのも闇の中では私の選択次第である。ふっ。この解放感! 私はある種の陶酔感の中にあったに違ひなかった。《もの》皆全て闇の中に身を潜め己の妄想に身を委ねる。それはこれまで自身を束縛して来た《存在》からの束の間の解放であった。《存在》と夢想の乖離。しかし、《存在》はそれすらも許容してしまふ程に懐が深い。《存在》からの開放なんぞは無駄な足掻きなのかもしれぬ。闇の中の妄想と気配の蠢きの中にあっても《存在》は泰然自若としてゐやがる。ちぇっ。何とも口惜しい。しかしながら《存在》無くしては妄想も気配もその存在根拠を失い此の世に存在出来ないのは自明の理であった。
(以降に続く)