――お前は何者だ!
ねえ、君、闇の中では闇に誰もがかう詰問されてゐるに違ひない。へっへっへっ。人間は本当のところでは自問自答は嫌ひな筈さ。己の不甲斐なさと全的に対峙するこの自問自答の時間は苦痛以外の何物でもない筈さ。それはつまり自問する己に対して己は決して答へを語らず、また語れないこの苦痛に堪へなければならないからね。それに加へて問ひを発する方も己に止めを刺す問ひを多分死ぬまで一語たりとも発することはないに違ひない。そもそも《生者》は甘ちゃんだからね。へっへっへっ。甘ちゃんじゃないと《生者》は一時も生きられない。へっへっへっへっ。それは死の恐怖か? 否、誰しも己の異形の顔を死ぬまで決して見たくないのさ。醜い己! 《生者》は生きてゐることそのこと自体が醜いことを厭といふ程知り尽くしてゐるからね。君もさう思ふだろ? それでも《生者》は自問自答せずにはゐられない。可笑しな話さ。
…………
…………
闇といふ自身の存在を一瞬でも怯ます中で人皆疑心暗鬼の中に放り込まれてゐる筈であったが、私はこの闇の中といふ奇妙な解放感の中で、尚も光といふ彼の世への跳躍台といふことの周りを思考は堂々巡りを重ねてゐたのであった。
――……相対論によれば物体は光に還元できる。つまり物体は《もの》として存在しながらも一方では掴みどころのないEnergy(エネルギー)にも還元できる……もし《もの》がEnergyとして解放されれば……へっ……光だ! ……この闇の歩道を歩く人波全ても光の集積体と看做せるじゃないか! ……だが……《生者》として此の世に《存在》する限り光への解放はあり得ず死すまで人間として……つまり……《もの》として存在することを宿命付けられてゐる……光といふ彼の世への跳躍台か……成程それは《生者》としての《もの》からの解放なのかもしれない……
と、不意に歩道は仄かに明るくなり満月の月光の下へ出たのであった。
――……確かに《もの》は闇の中でも仮令見えずとも《もの》として《存在》するに違ひないが……しかし……《もの》が光に還元可能なEnergy体ならばだ……《もの》は全て意識……へっ……意識もまたEnergy体ならばだ……《もの》皆全て意識を持たないか? 馬鹿げてゐるかな……否……此の世に存在する《もの》全てに意識がある筈だ……死はそのEnergy体としての意識の解放……つまり……光への解放ではないのか?
遂に歩道は神社兼公園の鎮守の森の蔭の闇から抜け街燈が照らし出す明かりの下に出たのであった。雪は相変はらず何かを黙考してゐるやうで、私の右手首を軽く優しく握ったまま何も喋らずに俯いて歩いてゐた。私はといふと他人の死相が見たくないばかりに明かりの下に出た刹那、また視線を足元に置き伏目となったのである。
――……それにしても《光》と《闇》は共に夙に不思議なものだな……ちぇっ……《もの》皆全て再び光の下で私(わたくし)し出したぜ……吾が吾を見つけて一息ついてゐるみたいな雰囲気が漂ふこの時空間に拡がる安堵感は一体何なんだらう……それ程までに私が私であることが、一方で不愉快極まりないながらももう一方では私を安心させるとは……《存在》のこの奇妙奇天烈さめ!
その時丁度T字路に来たところであったので、私はSalonに行く前にどうしてももう一軒画集専門の古本屋に寄りたかったのでそのT字路を右手に曲ったのであった。
――何処かまだ寄るの?
と雪が尋ねたので私は軽く頷いたのであった。この道は人影も疎らで先程の人波の人いきれから私は解放されたやうに感じて、ゆっくりと深呼吸をしてから正面をきっと見据ゑたのである。
――あっ、画集専門の古本屋さんね?
と、雪が尋ねたのでこれまた私は軽く頷いたのであった。
(以降に続く)