――ふむ。それは《反体》を認識するかしないかの違ひに過ぎないのだらうよ。しかし、それは存在に対する存在の姿勢が試される、何とも唯識に近しい世界認識の仕方の一つに過ぎない筈だ。ところが、存在は《存在》に我慢がならぬときてるから始末が悪い。ふっ、影鏡存在もまた影鏡存在に我慢がならぬ……か――。
――ふっ、それを言ふなら《反体》もまた《反体》に我慢がならぬだらう……。
――さて、そこで《反体》は《実体》を渇望してゐるのだらうか?
――さてね。へっへっ。《反体》に聞いてみるんだな。
――ぶは、《反体》に聞けだと? 《反体》に聞く前に《実体》は《反体》と対消滅するのにかね?
――答へは《光》のみぞ知る……だ。
――《光》か……。《光》は謎だ!
――へっ、光陰矢の如しならぬ光陰渦の如しがこの時空間を表はすのにぴったりの言葉さ。
――光と影は渦の如しか……。
と、その時彼の脳裡にはゴッホの「星月夜」がひょいと思ひ浮かんだのであった。そして彼はゆっくりと瞼を開けて前方に無限へと誘ひながら拡がる闇を凝視するのであった。
――渦巻く時空……。
――全ての、つまり森羅万象はカルマン渦の如く此の世に存在する。
――カルマン渦?
――さう。移ろふ時空の流れの上にぽつねんと出現する時空のカルマン渦……。陰陽が渦巻く処、其処に存在足り得る何かが出現する。
――光といふEnergie(エネルギー)に還元出来る質量を持った物体が影を作るのは陰陽が渦巻いて出現した為か……。
――影ね……。時空のカルマン渦たる《主体》が影を作ることからも《実体》が影鏡存在たることは自明のことさ。
――自己といふ《もの》を闇にしか映せない影鏡存在か……。
――ふっふっふっ。……闇は何もかも映し……そして何にも映さない……此の世の傑作の一つさ。
――闇なくしては光もまた輝かぬからな。
――へっへっ、お前は闇の中で一つの灯りを見つけたならば、その灯り目指して光の下へ馳せ参じるか?
――ふっふっ。多分、俺は光に背を向け、闇に向かって進む筈さ。
――はっはっはっ。それはいい! じゃなきゃ《反体》なんぞ自棄のやんばちででっち上げる筈もないか、ちぇっ。
――なあ、本当のところ、此の世の《特異点》には《実体》も《反体》も共に存在してゐるのだらうか?
――ん? 今更如何した? ふっふっふっ。お前は端から《存在》すると看做してゐるじゃないか?
――ああ、さうさ。俺は此の世の《特異点》には《実体》と《反体》が共存し、そして対消滅しては、再びその対消滅の閃光の中から《実体》と《反体》が出現し、再び対消滅を繰り返す、光眩い世界として《特異点》を思ひ描いてゐることは確かだが、しかし、それは地獄の閃光だ。
――何故地獄の閃光だと?
――何故って、《実体》と《反体》とは対消滅時に一度《存在》を変質させるんだぜ。
――《存在》を変質させる?
――つまり、《光》といふ《謎》の何かに《存在》は変質する。
――つまりは《光》は《存在》の未知なる様相だと?
――だって、《実体》と《反体》とは対消滅するんだぜ。つまり、《光》となって《消滅》するんだぜ。それが《謎》でなくて如何する?
――へっへっへっ、《謎》ね――。《光》を此岸と彼岸の間を行き交ふ《存在》と看做してゐるお前が、《謎》だと? ぶはっはっはっ。可笑しくて仕様がない! 《光》は此岸と彼岸を繋ぐ架け橋だと、否、接着剤だとはっきり言明すればいいではないか、ちぇっ。
――……なあ……それ以前に《意識》や《思念》や《想念》や《思考》とか呼ばれてゐるものは電磁波の一種、つまり、《光》の一種なのであらうか? お前は如何考へる?
――……ふむ。……それは《主体》が如何思ふかによって決定するんじゃないか? つまり、《意識》や《思念》等は《主体》次第で何とでもその様相を変へる変幻自在な何かさ。
と、そこで彼は再びゆっくりと瞑目しては物思ひに耽るのであった。
(十三の篇終はり)