思索に耽る苦行の軌跡

2009年 01月 31日 の記事 (1件)


 何がそんなに可笑しかったのかてんで合点のいかぬことであったが、私は眠りながら《吾》を嗤ってゐた自身を覚醒する意識と共に確信した刹那、ぎょっとしたのであった。





――嗤ってゐる! 





 その時私は夢を見てをらず、唯、《吾》といふ言葉を嗤ってゐたのであった。





――《吾》だと、わっはっはっはっ。





 頭蓋内の闇を、唯、《吾》といふ言葉が文字と音節とに離合集散を繰り返しながら旋回してゐたのであった。





――《吾》といふ言葉に嗤ってゐやがる。





 眠りながら嗤ふ吾を見出したのはその時が多分初めてではないかと思ふのであったが、しかし、《吾》といふ言葉が闇しか形象してゐないこの状態をどう受け止めて良いのか皆目解からず、私は暫く呆然としてゐる外なかったのであった。それでも暫く経ってから





――俺は夢を見てゐなかったのじゃなくて、《吾》が表象する《闇の夢》を見て嗤ってゐたのだ! 





との思ひに至ると、何故か私は、私が眠りながら嗤ってゐたその状況を不思議と納得する私自身を其処に発見し、そして、これまた不思議ではあるが自分に何の疑問も呈さず納得するばかりのその私自身を自然に受け入れてゐたのであった。





――《闇》の《吾》……否、《吾》が《闇》なのだ! 





 私はたまにではあるが《闇の夢》を見ることがある。それを夢と呼んで良いのかは解からぬが、《闇の夢》を見てゐる私は夢を見てゐることをぼんやりと自覚してをり、その《闇の夢》を見てゐる私は只管(ひたすら)闇が何かに化けるのを、若しくは何かが闇から出現するのをじっと待つ、そんな奇妙な夢なのであった。





 多分、その日の嗤ってゐた《吾》を見出した《闇の夢》は、《闇》から一向に《吾》が出現しない様が可笑しくて仕様がなかったのであらうとは推測できることではあった。





 それは何とも無様な《吾》の姿に違ひなかったのである。夢とはいへ、闇の中から出現した《吾》が《闇》でしかないといふことは嗤ひ話でしかなかったのである。しかし、《闇》から出現する《吾》がまた《闇》でしかないといふことは言ひ得て妙で、而も、私にとってはある種の恐慌状態でもあったのだ――。





――《闇》=《吾》! 





 私にとって《吾》は未だ私ならざる《闇》のまま、未出現の形象すら出来ない曖昧模糊とした、否、私は《闇》そのものでしかなかったのである。





 しかし、これは一方で容易ならざる緊急事態に外ならず、《吾》が《闇》でしかないこの無様な《吾》を私は嗤へない、否、嗤ふどころか、わなわなと震へるばかりであった筈である。それにも拘らず《吾》は《闇の吾》を見て嗤ってゐたのである。そもそも《闇の吾》を嗤へる私とは何ものであらうか? 不図そんな疑念が湧くこともなくはなかったが、それ以上に予測はしてゐたとは言ひ条、《吾》が《闇》であることに唯々驚く外なかったのであった。





――《闇》から何も出現しない! 何故だ! 





 夢見中の私はさう《闇の夢》に向かって叫ぶべきであった筈である。しかし、実際はさうはせずに只管《闇の夢》を見てゐる《吾》を嗤ってゐたのであった。





――何故嗤へたのであらうか? 





 もしかすると私は《闇の吾》に《無限》を見出したのかもしれなかったのだ。否、多分、私は《闇の吾》を嗤ひながら、《無限》なる《もの》と戯れ遊んでゐたのであらう。いやそれも否、私は唯《闇》なる《吾》に翻弄される《吾》を嗤ってゐたのであらう。それは《闇》といふ《無限》を前にあたふたと何も出来ずに唯呆然とする外術のないこの矮小な《吾》の無様さを嗤はずにはゐられなかった筈である……。





――ぶはっはっはっ、《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。





 《闇》以外何も表象しない《吾》を見て、その《闇の吾》を《吾》と名指ししてしまふことの可笑しさが其処にはあった筈である。そもそも《吾》を《吾》と名指し出来てしまふ私なる存在こその可笑しさが其処には潜んでゐたが、しかし、《吾》を《吾》としか名指し出来ないこともまた一つの厳然たる事実であって、その厳然とした事実を私は未だに受け入れることが出来ずにゐる証左として、私は《闇の吾》の夢を何度となく見てゐるのかもしれなかったのである。





 それにしても《闇》しか表象しない《吾》を夢で見ながら嗤ってゐることは、私にとってはむしろある種の痛快至極なことでもあったのである。





――《闇》=《吾》! 





(一の篇終はり)





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2009 01/31 04:06:02 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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