――へっ、人類の、此の叡智に満ちた人類、ちぇっ、人類が何《もの》かは知らぬが、その人類の未踏の地として脳はあるが、はっはっ、人間は脳を科学的に理論付けるのにまたしてもへまをやらかしてゐる。
――人間のへま?
――さうさ。脳科学では脳は何処まで行っても脳以外の何ものでもない!
――しかし、お前も俺も此の頭蓋内の闇を脳といふ構造をした五蘊場と敢へて名付けて、脳が脳でしかないことを飽くまで否認してゐる……違ふかね?
――ふっふっふっふっ、その通りさ。此の頭蓋内の闇は脳といふ構造をした《場》でなければ、其処で底無しのパスカルの深淵が大口をばっくりと開けたり、《異形の吾》共がにたにたといやらしい嗤ひをその醜悪なる顔貌に浮かべながら《存在》したり、将又(はたまた)、因果律が全く役に立たずに壊れてゐる虚空が現出する筈はないのさ。
――すると此の五蘊場は特異点とFractal(フラクタル)な関係、換言すれば、自己相似の関係にあると?
――おそらくな。それ以前に電気がある処電磁場が発生する如く、頭蓋内の闇もまたその様にあるに違ひない筈だ。
――つまり、脳細胞の一つ一つが超絃理論の《ひも》の如くにあるといふことかね?
――それは解からぬが、唯、この頭蓋内の闇を全て脳の仕業に帰すのは本末転倒もいいところなのは間違ひない。
――つまり、脳による思考は、例へば、無限を内包したり、論理を軽々と飛び越えるからかね?
――例へば、非論理的な《もの》を論理に閉ぢ込めれば如何なると思ふかね?
――へっ、《一》=《一》が絶対君主としてその権勢を揮ふ、論理の恐怖政治が、つまり、論理の絶対主義が始まる。
――その時、この非論理的なる《吾》は如何なると思ふ?
――自死するに決まってる……。
――でなけりゃ、《吾》は非論理的なる世界の、つまり、闇世界に潜るしかない。
――それでも此の人間は、哀しい哉、脳すらも徹頭徹尾論理的に語り果(おほ)したい欲望には抗へない。
――ぶはっはっはっはっ。何処まで論理が非論理的なる《もの》に迫れるか見物だぜ。
――まあ、そんな事より、《個時空》といふ考へ方に従へば、此の頭蓋内の闇たる五蘊場は《吾》の内部故に、つまりは《吾》の文字通りの《皮袋》から負の距離にある故に、例へば、速度vと時間tが共に仮初に虚数、つまり、viとtiといふ状態にあると仮定すれば、当然其処で表はれる距離vi×tiは負数になるのは言はずもがなであるが、それ故に此の頭蓋内の闇たる五蘊場は虚数的なる《もの》が犇めく「先験的」に因果律が不成立な《場》として《吾》に賦与されてゐるに違ひないとすると、五蘊場もまた量子「色」力学と関係した量子的な《場》と考へずにはゐられぬ筈なのに、何故に、人間は解剖すれば眼前に現はれる《実体》たる脳にばかりにそれ程まで拘るのだらうか?
――へっ、脳細胞が電気信号のやり取りで情報を伝達してゐると解かった段階で、脳に量子場の考へ方を導入しなければならないのは当然として、つまり、其処で五蘊場に表象される《もの》は確率《一》には決してなり得ぬ表象群に支へられてゐて、その表象群は決して《一》にはならぬ、換言すれば現実で《実体》として具体化してはならぬといふことがさっぱり解からぬのか、人間はその考え、つまり、《一》≠《一》が通常の姿で、《一》=《一》は異常極まりない事象だといふ考へ方に我慢がならぬさ。その結果が、此の人工物で埋め尽くされた《外界》といふ名の世界の、哀れな、そして悲惨極まりない姿の現出だ。
――つまり、人間が頭蓋内の闇たる五蘊場に生滅する表象群を外界で《実体》として具体化してしまふのは、人間が《実感》が欲しいといふこと、たったそれだけのことぢゃなのかね?
――さう、《実感》だ。《吾》は《吾》といふ確率が《他》より大きいだけに過ぎぬことに、つまり、《吾》が《吾》であるその《存在根拠》が決して確率《一》になり得ぬことに我慢がならぬのさ。《吾》は何処まで行っても《吾》であって欲しい、唯、それだけの理由で、《一》=《一》といふ特異な事象が恰も一般的な事象であるかの如く振舞ふ自同律の恐怖政治、換言すれば、論理が暴君として支配する「解かりやすい」世界観の天下に《吾》は甘えたいのさ。
――ふっ、《吾》の確率が《一》になることは不可能事に違ひない……か。
――しかしだ、さうだとすれば尚更《吾》の《存在》は何もかも相対的なる《存在》といふ陥穽に陥ると思はないかい?
――ちぇっ、実際、《吾》は《吾》を相対化した論理で語られてゐるのが現状じゃないか! 下らない事にな。
――やはり《吾》の相対化は下らないかね?
――ああ、下らないね。
(四十九の篇終はり)
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