――だが、これは愚問だけれども、何故《吾》の相対化は下らないのかね?
――簡単なこった。《吾》が《吾》である責任を放棄してゐる《存在》のMoratorium(モラトリアム)こそが《吾》の相対化の本質に過ぎぬからさ。更に言へば、《吾》を相対化することで虚無主義に《吾》が堕する馬鹿馬鹿しさを、へっ、これまた相対化して阿呆面した《吾》がにたにたと嗤ってゐるに過ぎぬことにお前は未だ気が付かないのか、ちぇっ。
――つまり、《吾》は《吾》であることに、最早腹を括るしかないと?
――たまさか、《吾》が《他》より確率が大きいばかりに、つまり《吾》は《他》より確率が《一》に突出して近いが為に《吾》は《吾》であることを強ひられることになったに過ぎぬのだが、ちぇっ、尤も、《吾》が《吾》であることは神すらも覆せない事実だと観念して受け入れるのが《吾》が此の世で生を享けた報ひに違ひないのだ。
――《吾》が《吾》であることはたまさかな事かね?
――ふむ。それは如何とも解釈可能だな。たまさかな事かもしれぬし、宿命かもしれぬ、な。ふっふっふっ。だが、そんな事は別にどちらでも構はないぢゃないかね?
――ああ、さうだ。別にどっちでも構はぬ。だが、《吾》にとっては全てが必然の方が安心するのは間違ひない。
――へっ、ここで自由の問題を持ち出すのかい?
――いや、神の問題だ。
――詰まる所、自由の問題と神の問題は同じ事ぢゃないかね?
――しかし、此の世の開闢の時を考へると、無と無限がぴたりと重なって、その重なり具合が絶妙この上ないが為に、《吾》の萌芽と成るべく不意に湧き出た《念》から思はず「ぷふぃ。」とその無上この上ない悦びから発せられたその無邪気な笑ひ声こそが、此の世の開闢を知らしめる喇叭の高らかで華やかな響きにも似たBig Bang(ビッグバン)の破裂音だと仮定すれば、自由の問題と神の問題とは似て非なる《もの》ぢゃないのかね?
――さう、似て非なる《もの》だ。ひと言で言へば、無と無限の同一相において《念》は「ぷふぃ。」と思はず笑ひ声を発せずにはゐられなかった。それは何故だと思ふ?
――へっ、その《念》が《吾》を《吾》だと認識したが為に《吾》なる《もの》が出現し、その《吾》はといふと、無と無限が裂けて大口を開けた刹那にこれまた出現した《パスカルの深淵》に此の世の開闢の瞬間、ちぇっ、思はず見蕩れてしまったのさ――。
――つまり、それ故《吾》と《他》が出現してしまったと?
――ちぇっ、無と無限が裂けたのさ。
――だから、それで?
――ちぇっ、唯、それだけの事だ。
――それで因果律が発生したと?
――互いに離れ行く無と無限を時空間なる《もの》が何とか無と無限を串刺しにすることで辛うじて底無しの深淵がぱっくりとその大口を開けた無と無限の裂け目を弥縫した……。
――つまり、此の世には無と無限が共に《存在》し、無と無限が永劫に離れないやうに辻褄を合わせるが如くに、はっ、時空間が出現したと?
――ちぇっ――。
――へっ、こんな様なら、神を《存在》から解放すべき神のゐない創世記をでっ上げるにしては何とも弱弱しくて而も物足りない。
――しかし、無と有を結ぶ何かの糸口は必要だ。
――それが《念》だと? その《念》が、無と無限がぴたりと重なった無上の愉悦の極点に達した刹那に思はず発してしまった「ぷふぃ。」といふ笑ひ声によって、その無上の愉悦の瓦解が始まった故に有たる此の世の時空間が生まれたと?
――しかし、特異点は何をおいても先づは《存在》しなければならぬ……。
――それは、また、何故かね?
――此の世が《存在》する為に決まってらあ。
――はて、特異点無くして此の世が生まれぬといふのは、へっ、大いなる矛盾を抱へ込むことになるが、さて、それを如何やって解きほぐすのだ?
――重力ある処、即ち、《存在》ある処、また、特異点も在りき、さ。
――つまり、《存在》とは、特異点の仮面に過ぎぬと?
――ああ。《存在》は特異点を蔽ひ隠す仮初の此の世での《存在》、即ち《物自体》の仮面に過ぎぬ。
――だが、それでも未だ神を《存在》から解放し、神のゐない創世記をでっち上げるには、へっ、論理的に矛盾してゐて、而もその論理では弱すぎるぜ。
――付かぬ事を尋ねるが、お前は霊魂が《存在》すると思ふかい?
――何を藪から棒に!
――実際のところ、如何なんだい?
――ちぇっ。ぞんざいな物言ひだが、霊魂は《存在》した方が自然だ。しかし、それは飽くまで《念》と同様の《もの》としてだ。つまり、初めに生まれし《念》は、今も霊魂として有の世界若しくは時空間、即ち此の世に撒き散らされた形で、即ちBig Bang(ビッグバン)の残滓として《存在》してゐる筈さ。それは此の世に《存在》する宇宙背景輻射と、多分、同等の《もの》に違ひないのだ。
(五十の篇終はり)
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