――逆に尋ねるが、《吾》が仮に《他》と出会った場合、それはStarburst(スターバースト)の如く《吾》にも《他》にもどちらにも数多の何かが生成され、ちぇっ、それは爆発的に誕生すると言った方がいいのかな、まあ、いづれにせよ、《吾》と《他》と出会ひ、つまりは《吾》=宇宙と《他》=宇宙の衝突は、数多の《吾》たる何かと、数多の《他》たる何かを誕生させてしまふとすると、それは寧ろ男女の性交に近しい何かだと思ふのだが、君は如何思ふ?
――それは銀河同士の衝突を思っての君の妄想だらうが、しかし、此の世が《存在》するのであれば、彼の世もまた《存在》せねば、《存在》は爆発的になんぞ誕生はしなかったに違ひないと思ふが、つまり、彼方此方で「くくくきききぃぃぃぃぃんんんんん〜〜」などといふ時空間の《ざわめき》は起こる筈はない。
――へっ、《吾》=宇宙が《吾》を呑み込んだげっぷだらう、その《ざわめき》は?
――さうさ。《吾》=宇宙が《他=吾》若しくは《反=吾》、つまり、《吾ならざる吾》を呑み込まざるを得ぬ悲哀に満ちた溜息にも似たげっぷさ。
――くくくききききぃぃぃぃぃんんんんん。
と、再び彼の耳を劈く断末魔の如き不快で耳障りな時空間の《ざわめき》が彼を全的に呑み込んだのであった。そして、彼は一瞬息を詰まらせ、思はず喘ぎ声を
――あっは。
と漏らしてしまひ、《吾》ながら可笑しくて仕様がなかったのであった。
――ぷふぃ。
…………
…………
――何が可笑しい?
――いや何ね、《吾》と《他》の来し方行く末を思ふと、どうも俺には可笑しくて仕様がないのさ。
――膨脹する此の《吾》=宇宙が《他》を餌にし、また、その《他》を消化する消化器官といふ《他》へ通じる穴凹を持たざるを得ぬ宿業にあるならばだ、そして、此の《吾》が数多の《他》に囲まれて《存在》してゐるに違ひないとすると、此の《吾》といふ《存在》のその不思議は、へっ、《吾》といふ《存在》もまた《他》に喰はれる宿命にある可笑しさは、最早嗤ふしかないぢゃないか。
――あっは、さうだ、《吾》が《他》に喰はれる! さうやって《吾》と《他》は輪廻する。
――つまり、《吾》が《他》を喰らへば、《他》は《吾》に消化され、《物自体》が露になるかもしれぬといふことだらう?
――《吾》もまた然りだ。しかし、それは《物自体》でなく、《存在》の原質さ。
――《存在》の原質?
――さう。ばらばらに分解された《存在》の原質には勿論自意識なる《もの》がある筈だが、そのばらばらの《存在》の原質が何かの統一体へと多細胞生物的な若しくは有機的な《存在》へと進化すると、その総体をもってして「俺は俺だ!」との叫び声、否、羊水にたゆたってゐた胎児が産道を通り、つまり、《他》へ通づる穴凹を通って生まれ出た赤子が、臍の緒を切られ最初に発するその泣き声こそが、「俺は俺だ!」と、朧に自覚させられる契機になるのさ。
――つまり、それは、此の時空間の彼方此方で発せられる耳を劈く《ざわめき》こそが「俺は俺だ!」と朧に自覚させられるその契機になってしまふといふことか?
――だから、げっぷなのさ。《吾》はげっぷを発することで朧に《吾》でしかないといふ宿業を自覚し、ちぇっ、《吾》は《吾》であることを受容するのさ。
――受容するからこそ《吾》がげっぷを発する、否、発することが可能ならばだ、《吾》が《吾》にぴたりと重なる自同律は、《吾》における泡沫の夢に過ぎぬぢゃないかね? つまり、《吾》は《吾》でなく、そして、《他》は《他》でない。
――さう。全《存在》が己のことを自己同一させることを拒否するのが此の世の摂理だとすると、へっ、《存在》とはそもそもからして悲哀を背負った此の世の皮肉、つまり、それは特異点の《存在》を暗示して已まない何かの《もの》に違ひない筈だ――。
(八 終はり)
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