――つまり、君は特異点の幻の面を見てしまったのか?
――さうかもしれぬ……。しかし、あれは幻だったのか……。ちぇっ、仮令、幻であったとしてもだ、それも《存在》の一様態若しくは一位相に違ひないのだ。
――鏡ぢゃないのかね、のっぺらぼうは?
――何の鏡といふのか?
――己のに決まってゐるぢゃないか。
――つまり、己を映すのには無から無限までの相貌が現はれるのっぺらぼう――それを特異点と言ひ換へてもいいが――つまり、のっぺらぼうでなければならいのが自然か――な。
――へっ、納得するのかい、《主体》に特異点が隠されてゐることを?
――納得するもしないも己が己を己と名指した刹那、のっぺらぼうたる《主体》内部の特異点がにたりといやらしく嗤ふのさ。
――それで済むかね?
――いや、そのいやらしいにたり顔を見た途端、己は己を嫌悪する。
――己とはそもそも気色が悪い《もの》だらう?
――へっ、それを言ふかね……。
――そして《主体》はそのいやらしい己を意識することで己たらうとする起動力を得てしまふのさ。
――つまり、それは《他》の渇望かね?
――それを《吾》の渇望と言ひ換へてもいい。
――所詮、《吾》と《他》に差異は無いと?
――ああ。のっぺらぼうを前にして《吾》も《他》もへったくれもあるものか!
――つまり、君は一瞬にして無と無限の相貌を一瞥出来ると?
――《主体》が《主体》たり得たければさうする外ないのさ。
――「嗚呼、絶えず無と無限に対峙する《吾》が過酷さよ――」。
――無と無限に《主体》が対峙するのは、《存在》が《存在》する為の最低限の礼儀だらう?
――何に対しての礼儀だと?
――死んだ《もの》達と未だ出現せざる《もの》達に対してさ。
――そして、《主体》は無限相たるのっぺらぼうを一瞥した時、初めて《杳体》の《影》に出会ふ筈……さ。違ふかね?
――ふっ、多分だが、《杳体》はその《影》しか現はさぬ何かだと思はないかね?
――つまり、この現実も《杳体》の《影》に過ぎぬと?
――多分ね。しかし、《存在》がそもそも《杳体》の《影》に過ぎぬ……。
――君が言ふ《影》は様態若しくは位相と同義語かね?
――或るひはさうかもしれぬ。
――つまり、《存在》はそれが何であれ《杳体》の《影》でしかないと?
――違ふかね?
――それは何でも《影》にしちまふのが楽だからぢゃないのかね?
――例へばだ、《杳体》の中に手を突っ込んだところで何の感触があるといふのか?
――反対に尋ねるが、《杳体》の中に手を突っ込んだ時、君は何の感触もないと看做してゐるのかね?
――いや。
――では何かしらの感触はあると?
――いや。
――いや?
――《杳体》に手を突っ込んだ方の《存在》自体が、一瞬にして別の《もの》に変化するとしたならばどうかね?
――つまり、主客の逆転が一瞬にして起こると? ふっふっふっ。それぢゃ、魔法と変はらぬぢゃないか?
――魔法ね……。ふっ、魔法ぢゃ、主客逆転は起きやしないぜ。それ以前に君の言ふ主客逆転とは何かね?
――つまり、《吾》と《吾》以外の全てが逆転するといふことだ。
(八 終はり)
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