思索に耽る苦行の軌跡

2010年 09月 13日 の記事 (1件)


――例へばそれを人類に絞った処で、その残虐非道な出来事を語るのに枚挙に暇がないのは勿論だらう。





――そのために基督、並びにその外大勢が殉教と言へば聞こえはいいが、詰まる所、人類史は即ち、死屍累累の歴史に外ならない《存在》の皮肉! 





――一つ尋ねるが、これから生まれ出る未来人は、その残虐非道を極めたとも言へる人類史のその残虐非道の歴史を背負はざるを得ぬかね? 





――どうあっても《存在》する以上、それから遁れられない! 





――すると、未だ生まれもせぬ未来人は、生まれる以前に《存在》に呪縛されてゐるといふ事になるが、さて、未来人はそれを受け容れるべき宿命として認めるしかないと? 





――ああ、未だ生まれざる未来人は、全宇宙史を背負ふやうに強要されてゐる。





――それは何故にかね? 





――へっ、簡単さ。《存在》する故にさ。





――つまり、《存在》は「先験的」に呪はれた《もの》でしかないと? 





――ああ。だから宗教が《存在》するのだらう。





――しかし、《存在》にとって宗教では未来永劫に救はれぬのだらう? へっ。





――勿論だとも。《存在》は、宗教といふ《もの》に縋り付いた処で、最後は《弧》に帰す。その《弧》が独りで全宇宙史における《存在》の残虐非道ぶりに愕然とし、それでも尚、《存在》する事を自ら選ぶのさ。





――そこに、例へば、《存在》するかはないかの選択の自由が《存在》するとしたならば? 





――《存在》せぬ方を選ぶ腑抜けは、さっさと自殺でも何でもしちまへばいいのさ。





――へっ、つまり、お前は自殺も《存在》に「先験的」に備はった選択肢の一つだと? 





――勿論。自殺は何の悪い事がある《もの》か。むしろ、現在では、自殺をする人間の方が正常ぢゃないかね? 





――しかし、自殺は地獄行きなんだらう。





――当然だ。しかし、生きるも地獄ぢゃないのかね? 





――つまり、それは《存在》は絶えず自死するか存続するかを問はれ続ける《もの》として、「先験的」に決められてゐる事になるが、《存在》はそれが《存在》する以前に「先験的」に決まってゐる事が余りにも多過ぎやしないかね? 





――ふっ、お前は少ない方がいいとでも考へてゐるのかね? 





――ふむ。成程、「先験的」な事が多過ぎる故に《存在》が成立するか……。





――「先験的」といふ制約が多岐に亙ってゐなければ、《存在》は《存在》の影すら此の世で拝めないとすると、つまり、此の宇宙の秩序に忠実に従へられる《もの》しか此の世に《存在》せぬとしたならば、へっ、《存在》とはそもそも何なのかね? 





――生老病死だらう。





――そして、諸行無常か! はっはっはっは。





――しかし、《存在》は時空間を自らの望むやうには全く手出し出来ぬ故に、つまり、時空間を思ひのままに変容させることは不可能だらう。





――だが、この愚劣な人間は、環境を人間の頭蓋内で明滅した表象を具現化して、環境を内界を外在化するべき《もの》と人間が勝手に看做して、環境を勝手気ままに変へ放題だらうが! 





――つまり、それは内も外も脳の中といふ何とも異常な世界の事だらう。





――さう。愚劣な人間は《存在》が背負はずにはゐられぬ呪縛が少しでも解放されるのではないかと、環境を人工化した、その結果どうなったかね? 





――更に《存在》の苦悩は深まった……。





――さうさ。環境が人工化すればする程、愚劣な人間の孤独感は深まるばかりで、世界を《吾》以外が《存在》する処としてしか、実感する事がいつの間にか出来なくなってしまってゐた。へっ、もう手遅れだらう。環境が自然に戻るのは? 





(七十六編終はり)







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2010 09/13 10:16:43 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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