二年連続で18勝を挙げた小林繁投手は、自他共に巨人のエースと認められました。
そして1978年のシーズンが開幕しました。 この年も当初は巨人が首位を行きました。
阪神タイガースか吉田監督辞任の影響もあってか、最下位を低迷。
やはり監督が交代した、中日ドラゴンズも元気がありませんでした。
そしてヤクルトスワローズが台頭してきたのでした。
1976年途中からチームを任された広岡監督の野球が1977年でチームに根付き、この年見事に開花したのでした。
最終的には巨人とヤクルトのマッチレースとなったのですが、ヤクルトが巨人を指し切って見事に初優勝を果たしたのです。
この勢いでヤクルトは日本シリーズをも制して、日本一をも達成したのでした。
巨人は終盤バテてしまった感がありましたね。
小林投手もこの年は十三勝十二敗とエースとしては、やや物足りない成績に終わったのです。
チームでは新浦投手が、稼ぎ頭となっていました。
そしてこの年のオフ、あの大事件が起きたのです。
巨人は何と「空白の一日」を利用して、浪人中の江川卓投手と契約を結んでしまったのです。
もちろんこのような暴挙というか茶番が通るわけがありません。
「巨人と江川の契約は無効」という裁定が下されました。
巨人はこの裁定に不服として、ドラフト会議を欠席。
結局江川は、阪神タイガースがドラフトで交渉権を獲得したのでした。
この事が小林繁投手の人生を大きく変えることになったのです。
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