2009年 04月 の記事 (1件)




   この斜陽すぎる男にとって
   人生はまことにむごたらしい。
   さびれた血を生気づけるに
   くちびるうるおす蜜がない、

   眼のために、手のために
   てらすランプに油がない。
   超人的な誇りのために
   おもねる野心も見あたらない。

   生きるために、死ぬために、
   みずから選んだ妻もない。
   苦痛に耐えて忍ぶため
   しばし見とれる妻もない。

   心のために、肉のために
   湧き踊るあそび女たちもない。
   地獄を恐れまいがための
   宿札さえもない。

   いくら苦悩を払ってみても
   天国へ行く「あて」もない。
   なにもない。
   いやいや、ただひとつ、
   「慈愛の心」がのこっていた。

    刺すごとき 
    侮辱に宥恕でむくい、
    ほうけた顔の
    復讐をば放擲する。

   比翼にあじりやって来る
   悪意に対して善意を酬い、

   考えてやり、察してやり、
   それぞれの身になってやり、
   恥をしのび、
   つねに心はひろやかにしめやかに、
  
   こうしていたらなにかしらある温情が
   疲れた心のために光るだろうか
   斜陽すぎる男のために
   やがて人生もほほえむだろうか。

 ポール・ヴェルレーヌは
 デカダンスの元祖と仰がれているらしい(評論家ってのはどうしてこうも括りたがるのか理解できないのだが)。
 デカダンス、その語には
 頽廃、堕落、虚無、耽美、病的、怪奇、おぞましいばかりの形容が並ぶ。
 ボードレールやランボー、ワイルドなどもこの派か。
 裏の裏は表だが、ひっくりかえることはないらしい。
 堕落の堕落はより堕落ということだ。
 その証明のために、
 すこしだけ彼の来歴をたどってみよう。
 1844年3月30日に彼は生まれた。
 十日余の月が夜空に輝いていた。
 14歳、ヴィクトル・ユーゴーに習作を送り、ボードレーヌに感銘を受ける。
 22歳でフランス文壇(それは文学を志す者にとっては特別な世界である)にデビュー、
 26歳で結婚、一子を設けるが、
 27歳のときアルチュール・ランボーに出合い、ひとめぼれ、妻子を棄てた。
 この奇しき出逢いを運命と呼ぶのか宿縁と呼ぶのかどうでもいいが、
 28歳、痴情のもつれに激昂し、ピストルでランボーを撃ち破局、彼は牢屋へ送られる。
 31歳、英国で教職につくが生徒(美少年です、もちろん)にベタボレしてしまい解雇される。
 彼には、もともとそういう性癖(ホーモーってこと)があったのだろう、
 生徒との関係は学校を石もて追われた後37歳まで続く。
 美への憧憬は時として恋という錯覚を魅せることがある。
 しかし彼のこの性癖がそうであったならばそれは剥落という地獄をもたらす。
 何故ならば永遠に「恋」を彼は理解できないからだ。
 40歳に出した「呪われた詩人たち」は全く売れず貧窮したあげく、慈善病院に収容される。
 42歳、場末の娼婦の情夫となる。
 48歳、娼婦に浮気され、慈善病院に入院。
 49歳、別の娼婦と恋仲になり、退院するが、先の娼婦と仲直りし同棲を始める。
 50歳、この偉大なる才能は、娼婦に看取られて死去する。
 死出の夢はマドロス踊り、テンポよく脚あげ腕ふり地獄へむかう。
 晩年(40歳以降だろうか)、街角で詩を即興して得たわずかな金を握りしめ場末の酒場に走った。
 苦しい過去を茫洋とかすませ、辛い現実を甘美な桃源に変える酒は、確実に彼の命を蝕んだ。
 愛憎に削ぎ落とされた才能がつむぐ言葉はどれほどの域に達していたのか誰にもわからない。
 わかることは、
 人生は彼に決してほほえまなかったことだけだ。

    冬は終わりになりました
    光はのどかにいっぱいに明るい天地にみなぎって
    ぼくらの希望はみなどれもかなう季節になりました。

 26歳の時の詩の一節だ。
 盛りの過ぎた売女たち。
 男の心を誘うものなど見つかりそうもないうば桜。
 ただいたずらに騒々しく、欲の皮のつっぱった女たちに囲まれて、
 卑俗な世界に身を沈める痴人の歌を書きなぐる。

    心静かに話しかけると心静かに応えてくれる
    声を荒げて小言を云うと不思議にあなたも声を荒げて小言を云う
    僕が倖せだとあなたは僕以上に倖せらしい
    すると今度は倖せなあなたを見て僕が一層倖せになる
    僕が泣いたりするとあなたもそばへ来て泣き
    僕が慕い寄るとあなたもやさしくよりそってくれる
    僕がうっとりするとあなたもうっとりなさる
    すると今度はあなたがうっとりしていると知って僕が一層うっとりする。
    知りたいものだ、僕が死んだらあなたも死んでくれるだろうか、
    あたしのほうが余計に愛しているのだからあたしが余計に死にますわ、
    そう応えてくれるだろうか。

 彼に死を贈ったのはリューマチだった。
 「天の救いも、人の扶けも、神の誘いもない」孤独な死だった。
 彼が身罷るその数刹那、圧するように浴びたであろう「その頂」の光を、
 どれだけたくさんの詩人たちがあこがれただろうか。
 そう、彼は、到らないまでも、「その頂」を間近で体感したと、私は信じたい。
 希わぬかぎり道すら標されない「その頂」は、
 天才においてなおこれだけの苦境を強いる。
 彼の詩は、血と涙とひと抱えもある絶望で書き記される。
 つまり、血と涙とひと抱えもある絶望で書き記せない詩人はニセモノだということだ。
 仕合わせの裏にあるもの、豊かさの裏に巣くうもの、よろこびの影でふるえるもの、
 それらが言葉を「他の何か」に変える。
 変えられた言葉らしきものはつらなり編まれて「詩」となってゆく。
 それが「詩」だと私は信じている。

 

 

 
 
 
 
 
 
 

2009 04/30 11:03:19 | none
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