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ここに、いるよ。
あなたが、迷わぬように。

ここに、いるよ。
あなたが、探さぬように。

ある朝、
老教師の元を、
刑事が2名訪い、
事件の検証を要請しました。
行先は、
隣家の2階です。
眩むような日だまりがたゆたう
広い庭を抜けて
古い玄関扉をくぐって
ギシギシ軋み音を立てる階段を昇り、
薄暗い廊下の先に扉の開け放たれた部屋、
管理人夫婦と刑事が2名、
大きな窓から降り注ぐ陽光のもとに置かれたベッドに、
痩せこけた少女が横たわっていました。
刑事が、
少女の日記を手渡します。

老教師は、ある事件を起こし、
過疎化した
この漁師町の高校に転任してきていました。

事件とは、
生徒との好ましくない関係です。

老教師には、
書店を営む美しい妻がいました。
美しい妻と
平凡だけども
過不足のない日々を送っていたある日、
ひとりの女生徒が、
彼のクラスに転校してきました。
不思議な雰囲気を漂わせた少女です。
影をたたえたその容姿は、
氷山のように隆寒、
その肌は透き通るように蒼く儚げで、
この年代がもつ輝くような健康美と
正反対の
病的な美をまとっていました。
嗜好は通常
偏るものです。
ですから
光と影、
好まれるのは
光ではないのです。
騒然とする教室内、
気の早い幾人かの男子生徒が
彼女にアプローチします。
ですが、少女は、
悉く振ってしまい、
相手にすらしません。
一部の不良生徒のグループを除いて、
ほとんどの男子生徒が撃沈します。
不良生徒たちには
近づいてはならない警戒心が
働いていたのでしょうか。
そうこうするうちに、
熱は醒め、
女生徒は
恐ろしいほどの無口ぶりと相まって、
次元の違う特別な一隅を、
クラスの中に築いてしまいました。

何が少女をこれほどまで
頑なにさせるのでしょうか。
担任の老教師は
懸念をぬぐえません。
週に一度も放課後の生活指導も
はかばかしくありません。
返事はなおざりで、
孤立するその理由を
けっして明かしてくれませんでした。

老教師は
クラス生徒数40名、
40分の一の気掛かりが
徐々にふくらんでくることを、
禁じえません。

夏が終わり樹々が色づく頃、
女生徒が、学校に来なくなりました。
電話は、通じません。
老教師は仕方なく、彼女の家を訪問します。

出かける前、
教生時代からの付き合いだった
女性校長が彼を呼び止めました。
忠告です。

『女生徒とはいかなる場合も
垣根を越えた
親密さを抱いてはならない』

何故か?とは
問い返しませんでした。
抜き差しならぬ仲に陥り
職を追われた同僚教師を
たくさん見てきたからです。

女生徒は
町を一望できる小高い岡の上の
一戸建て平屋のアパートに独り住まいしていました。
ノックをすると
かぼそい返事の声が
頻繁な咳、
鍵のかかっていない扉をひらくと
ネグリジェ姿の女生徒が
ふらふら揺れながら佇んでいます。
熱に窶(やつ)れたその容貌、
風邪をこじらせていたことを
素人にも悟らせるでしょう。

老教師は、
ベッドに戻り
静養するように命じて、
冷蔵庫を物色、
スープを作りはじめました。

独り住まいらしい部屋の中には
家具らしいものが必要最低限に揃うだけでしたが、
キッチンを覗くと
一応の家電は備わっていたのです。

女生徒はベッドで眠りもせず、
老教師のお節介な背中をまぶしげに見つめていました。
相変わらず、氷のように無口でしたが、
温かいスープは、頑なな少女の心を、
少しだけ、溶かしてゆきました。

複雑な家庭に育ち、
聞くに堪えない暮らし、
少女は独りこの街に夜逃げするように
引っ越してきていました。

『少女の体力が戻るまで』

と自らを戒めながら、
老教師は少女の元を足繁く訪れ、
少女の重い口から零(こぼ)れでる
身の上話を聞きます。

語らいの少ない食事ではありましたが、
二人を隔てていた何かも、
いっしょに、
溶貸してゆくようでした。

少女とは、
特別な季節なのです。

そのことを、
老教師は、克明に知らされます。

少女は、
この世に出現したたったひとりの理解者に、
いつしか恋心を抱くようになりました。
人の思慕の量は
どのように決まり
どのように顕れるのでしょうか。

年の差なんて、気にもなりません。
奥さんがいたって、
彼の同居人程度にしか看えません。
狭視野、
見たいものだけを視る、
このトランス状態は、
心理学的にも証明されています。
この症状の顕著な特性は
麻薬のような常習性をもたらせることでしょう。

夢を語るこの世代は、
なにもしらないまま
突き進んでしまいます。

少女の恋はエスカレートしてゆきました。
一途な思慕は、
時には
そうでない者にとっては重荷になりかねないことを、
彼女は理解できません。

思いを雑揉し、
重ねて、積み上げ、
崩れてはまた積み上げ、
塗り上げてゆく。
経験はその虚しさと賢さを教えてくれますが、
未経験は望むまま欲するままに、
戒めはかすみ、
制御すら設けられはしません。

雁字搦めになった老教師は、
観念せざるをえないでしょう。
老教師にも、
残滓があったのです。
経験の果てにも
相応の未体験があることを
まざまざと知らされました。
忘れかけていたもの、
胸を抉(えぐ)るような
慟哭、
時の流れさえ止まるかのような
悦楽、
噴きあがるものは一つや二つではなく
それらは渦のように干渉しあいながら、
やがて一つの塊となり
沸点に達しようとしていたのです。

二人は一線を越えました。

ですが、
教師と生徒。
昔も今も
この禁断の関係は
祝福されません。

二人の逢瀬は、
秘密という甘い蜜にまみれ、
色づいた虚空の世界を漂います。

術なくも、
燃え上がる炎を維持させるだけの
情熱のない老教師は、
限界を悟ります。
この少女の莫大な感情を受けるのは、
自分ではない、と。

別れを切り出された少女は、
あっけないくらい
あっさりと従います。

ですが、いくばくかの後、
狂ったように暴走しはじめました。

不良生徒を日替わりに誘って連れ歩き、
老教師の前で、これ見よがしにベーゼを交します。

老教師は
むくむくもたげる感情を押し殺し、
静観するだけでした。

女生徒の復讐は
日に日にエスカレートしてゆき、
妻の営む書店のウインドウガラスを叩き割り、
無言電話をかけ続けるまでに至ります。

妻は、異常に怯え、夫を詰問します。
夫は、正直に白状してしまいました。

数十年の夫婦関係が、
この事件を境に、
ひび割れてしまうのです。

別居しよう、
妻の申し出に反駁できる資格は、
老教師にはありません。
全て、彼の責任でした。

しかし、少女の暴走は罷みません。

逃げるものに希望は生まれません。
踏みとどまり、
立ち向かうものにしか
希望の先にある
解決はもたらされないのです。

老教師は、神を棄てました。

倫理というしがらみの全てを
抛ったとも云えるでしょう。

男友達と誰もいない教室で抱きあう場面に乗り込み、
少年を殴りつけ、
半裸の少女を抱きしめます。

崩落の音を、
つぶさに聞いたでしょうか。

不倫理という背徳に、
正面切る覚悟が出来る前触れでした。
なにかが生まれるためには、
なにかを犠牲にしなくてはなりません。
犠牲にしたものがどれだけ大きかったのか、
生れ出ずる魔性には、関係のない事です。

教室での不純交遊は、
放り出された男子生徒の告げ口により、
学校側にしれてしまいました。

親友だった女子校長の弁護にもかかわらず、
職場を追われた老教師に、
妻との正式な離婚という追い討ちがかかります。

なにもかも失った老教師は、
一緒に退学処分となった少女の行く末を案じますが、
消息は杳(よう)として知れません。

寂れた漁村に転勤した老教師は、
黙々と暮していました。
彼が、
日々思い浮かべていたものが、
別れた妻だったのか
行方知れずの少女だったのか、
それは、誰にも解りません。
担ってしまった巨大な荷を、
少しづつ下ろすような月日が、
何ごともなく、過ぎ去ってゆきました。

そうしたある日、
二人の刑事が尋ねてきたのです。

少女は餓死していました。
管理人の話によると、
買い物する姿を見た事がないので、
時々、食物を届けていたが、
悲しいくらいに小食だったそうです。

老教師は、
いたたまれず、
ベッドの傍の大きな窓の前に立ちました。
景色が拡がるその中に、
老教師の陋屋が映りました。

なんということでしょう。

少女は、毎日、この窓から、
老教師を見守っていたのです。
放校されて半年、
どうやって、
自分の住まいを探し出したのだろうか。
どうして、隣に住みながら、
一言も声をかけてくれなかったのか。

老教師の胸が
茜色に泥(なず)んでいきます。

日記には、
こう記されてありました。

”わたしは贖罪しなければならない。
毎日、彼を黙って見守ることを、
命の尽きるその時まで、
つづけなければならないのだ。

あなたは、そこにいる。
愛しいあなた、
わたしは我慢する。
それがわたしへの罰なのだから。
でも、
でも、声をかけたい、

大好きなあなた、

わたしは、
ここにいるよ”

奄美の歌姫による「ワダツミの木」を
初めて聴いたとき、
深夜映画で偶然視聴した
フランス映画を想いだしました。

秀逸なこのラストシーンを、
筆者はいつまでも忘れる事ができません。

ここに、いるよ。
あなたが、迷わぬように。

ここに、いるよ。
あなたが、探さぬように。
2016 09/04 21:46:03 | none
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二度目の
恋をするものは

かたおもいでも 
やるせない

ぼくは
そういう
おろかもの

また 
むくわれぬ
恋をする

月も星も
濡れている

ぼくも 
ないて 
しずむだろう

恋のただなか
ひとみを寄せて

ものいわぬ 
ためいき
いつまでも 

だけど
わかれに 
ぼくたちは

ためいきつかず
泣もせず

そのあと
こころが
なきぬれた

ふりかえる
ことなく
ただはなれ
足音さえも
ぬれていた

夜風がさみしく
ふたりをわかち
月の光が
閃いた

さよならなんて
いうまいよ
ありがとうなんて
いうまいよ

きみがきみで
あるうちは
きみがきみのままで
ありつづけるうちは

胸おどるほど
たのしかった

さよならなんて
いうまいよ
ありがとうなんて
いうまいよ

どこでうまれて
どこでしぬのか
何をしてきて
何をしたいか

ついぞ
気になりはしなかった

そこにきみがいて
ここにぼくがいる

それだけが
真実だった

むさぼりあうよに
くちづけし
こわしあうよに
だきしめあう

しずかな恋は
砂のなか
しだいしだいに
もえさかり

いつしか
よとせがすぎていた

とうとう
さいごの
さいごまで

異邦のままに
からみつき

月下の路傍で
くちはてた

ひとかげまばら
風はやみ
夜空をさまよう
群青の影
碧白三日月
みおろして
やがて
かくれてしまったよ

二度目の恋を
するものは
かたおもいでも
やるせない

ぼくはそういう
おろかもの
2014 01/21 21:39:30 | none
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雪に変わるのだろうか。

凍りついた師走の梅田
地下通路を
渇いた風が通ってゆく。

午後18時、
阪神電鉄梅田駅
地下一階西改札口、
地下街の雑踏の中
コムデギャルソンの黒いロングコートの襟を立て、
ラム革の黒い手袋の感触を
開いたり
握ったり確かめながら待っていた。

左手首、
ポールスミスの紅い文字盤を
気にしながら
15分後、
階段の上
赤と緑に色分けされた
大きな手提げ袋が上下に揺れると、
真っ白な吐息を白桃色の顔にまといながら、
君が駆け降りてきた。

切符はもうトキオクマガイの
太いグレーと白のストライプジャケットの
左内ポケットの中、
葡萄酒色の煙草に添えてある。

漆黒色のパンツの左のポケットには
三和銀行のATMから下ろしたばかり12万円、
右のポケットには百円玉と十円玉がいくつかが、
スターリングシルバーのジッポーとからんでいる。

きつく締め過ぎたのだろう
コムデギャルソンオムパルスの
チャコールグレーとライトグレーの
vertically-stripedネクタイ
すこしだけ息苦しい。

テナーサックスとピアノの
バラードがどこからか
風に運ばれてきた。
聖夜なんだ、
奇跡のひとつも起きてくれるだろうか。

改札をぬけて三宮行きの特急にとび乗る。
会話のない沈黙でさえ
独白の息遣いに後押しされる
スローモーション
まばたき
ためいき
鼓動が奮い
意識が媚薬にひたると
時間が戻ってきた。
阪神電鉄三宮駅到着。
改札をぬけると、
街は
夜空までも
燃え尽きるタングステンのように
絢爛たる華燭が彩られていた。
夜は予感に似ているって
ふと想う。
いつもいつも暗いからだ。

 それぞれに春が来るように
 それぞれに秋がやってくる。
 だから夏と冬は、
 いつもとどまっていたのだ、
 この胸のときめきとともに。
 ほんの少しの奇跡をかくしながら。

ホテルの予約は半年前、
これでも間に合わないんだよって、
君は電話ボックスにこもっていた。
神戸そごうでケーキを買おう。
食べきれないくらいの大きなホールを。

オールマンブラザーズの
岌(きゅう)たるリードギターが
ホテルの分厚い壁を弾いていた。
ふたりは抱きあいながら、
橙色の華燭に魅入られていた。

突然ドアをノックする音。

彼女が出るとサンタさんだった。
赤ら顔で背には大きな白い袋。
メリークリスマス!
このホテルのサービスなのだろうか、
彼女は気絶しそうなくらい驚いて
倒れそうになる。

サンタは
おおお
ご免なさい、
驚かせてしまったようだね、
ほれ
これをあげるから許してくれないか?

背から下ろした袋から
何かを取り出した。
それはなんということだろうか、
あの
抱っこちゃんだった。
昔母がサンタからプレゼントされたって言っていた
抱っこちゃん。
彼女はますます驚いて

なにこれ?

そんな表情で振り返りながら問うまなざし。
話してなかったんだ、
あの夜の奇跡はだれにも。
サンタはにやりと笑うと
おもむろに顎に手をやり
仮面をはずした。
中からフロントで会った支配人が。
申し訳ありません
メリークリスマス、
どうか今宵素晴らしい夜をお過ごしください。
そういうと、
またサンタの仮面をつけて
大きな袋を背負った。
深く礼をしたあと、
ドアは閉じられた。

私は驚いていたんだ。
こんなことがあるなんて、
なんで今どき抱っこちゃんなんか
どこを探したってあるわけないのに、
考える間もない、
体がはじけた、
え?
という顔をした彼女を残してドアを開け
廊下に出ると、
数メートル先にサンタの仮面が落ちていた。
その向こうに白い大きな袋。
どこへ行ったのか、
支配人はいなかった。

不承不承、
部屋に戻り、
フロントに電話して
支配人を呼んだ。
支配人は傍らにいたようで、
すぐに電話口に出た。
ありがとうございました、
驚いたけど最高のクリスマスプレゼントでした、
そう云うと、
支配人はなんのことでしょう?
説明すると、
申し訳ありませんが
当ホテルではそのようなサービスは行っておりませんが、と。
その時、
彼女が叫んだ、
見てほらトナカイが空を飛んでる!!
まさか、と窓をのぞくと、
赤いソリに乗りトナカイたちを御するサンタが
愉快に手を振っていた。
心に響く声、
また会おうと。

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嘘だろ、

支配人のもしもしという声が感動に掻き消されていた。
そして彼女がしっかり抱きしめていた
抱っこちゃんを見やる。

かあさん、
ほらまたサンタさんがプレゼントしてくれたよ。

彼女が泣いていた。
どうしたんだ?
だって信じられないもの見たんだもの、
これって奇跡だよね、
でもね何故抱っこちゃんなの?

遠い昔のあのイブの話をしてあげると、

じゃもうひとつサンタさんはプレゼントしてくれたよ、
ニヤリとウインクひとつ、
なんだい?
細い指でおなかをさすり、
ここに
赤ちゃんがいるのよ。
あたしたち祝福されたのねサンタさんに。

またサンタの声が
心に響いてきた。
快活な哄笑とともに
また会おう。


イブの夜の不思議な不思議なお噺、
いかがでしたか、皆様

 万感の想いをこめて
 ”メリークリスマス”




2013 12/28 11:35:38 | none
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風にそよぐ葦かび、
萎れる稲穂にはなにもなく
風は冷たくもあたたかくも
かぐわしくもさわがしくもなく
ただそこにたちこめた。

眠くなるほど
ながい
ながい時間が過ぎた。

きみが右足を踏みだせば、
ぼくは左足をあとずさろう。
背中には千尋の谷。
雄叫びをあげる
ぐふうが天へ昇っている。
きみはふたたび左足を踏みだすだろう。
そしてぼくも右足をあとずさるだろう。

きみとぼくは
無限に離(か)れ果てた。

そこまではすぐだった。
だけど
そこから先は
モンシロチョウを9.7次元で
捕まえるような
まるで虚空を塗りつくしてゆくような
色彩がひろがった。

きみのなまえ、
きみのすがた、
きみとの想い出、
きみとの楽しい会話、
きみとの触れ合い、
きみとの旅行、
きみとむかえた苦難、
きみとすごしたたくさんの夜が、
一瞬にして、
意味をなさなくなり、
灰塵に帰した。

そこに時間は存在しない。
きみの右足が無意識に踏み出され、
ぼくの左足は、
谷のへりまであとずさる。

きみがもういちど左足を踏みだせば、
ぼくは堕ちるしかないだろう。

そのとき君は笑うかい?
ぼくのうろたえに腹を抱えるかい?

とうとう
きみは左足を踏みだした。
ぼくは、
へりでふるえる左足を支点に
右足をあとずさり、
宙を踏む。
吸いこまれるように傾いた身体を、
両手がバランスでもとるかのように前に投げ出される。
君は尚も右足を踏みだした。
僕は支点までも喪くし、
谷底へ堕ちてゆく。
伸ばした腕をつかもうとした君の顔は、

どうしてだい、
蒼ざめているじゃないか。
きみは手じゃなく肘をつかんだ。
安物のセェタァはぼくの体重を支えられず、
伸びて、ほつれはじめる。
一本、また一本と、毛糸がほつれてゆく。
未練の毛糸は、
情感色の鱗粉をばらまきながら、
ちぎれた。

さようなら、
きみを愛していたよ、
あと何秒かの命だとしても
ぼくはきみを愛し続けるよ。

ぼくの声は竜神の叫びにうちけされ
真っ逆さまに堕ちてゆく。

そのときだ、
きみは突然、へりを踏み切りにして、
ぼくに向かってとびたった。

なんてことをするんだきみは
そのこわねも
見下ろすきみの微笑みに散らされた。

ふたりの距離は、
やっと一定の水準を越えた。
そこから先は、
未知数の次元。

ぼくにもきみにも
だれにもわからない。

いいのかわるいのか
かなしいのかたのしいのか
なにひとつわからない。

でも
いいんだよね
それがふたりの末路なんだから。
きみの手がぼくの胸をわしづかむ。
もう逃がさないわと
ありったけの力をこめて。

 
たそがれどきに
星はない。
だけどなぜだか
胸は希望にあふれていた。

死はふたりを
別てなかった。
竜神のさけびのただなかへ
ふたりのいのちは
まつろい
はぜて
しずくとなり
ながれた。

ふたりの切ない距離も、
そのとき消えた。
2010 03/30 21:24:00 | none
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 いくつぐらいだったのだろうか。
 雨は既にふりはじめていたのに、
 きっと、不器用に梯子を伝って、屋根の上にのぼり、
 シャボン玉をとばしていた。
 吹き出されたシャボン玉が、いきよいよくとび、雨と風に
 桾(ふし)染されてゆく。

  オキナワの民家は大抵が平屋だった。
  下では、私の名前を呼んで探している。
  いつものことだと、なぜ諦めないのか。
  抛っておいてくれればよかったのだ。

    こうちゃ〜〜ん!!こうちゃ〜〜〜〜ん!!!

  返事なんかしてやるものか。
  恐いものなんてなかった。
  暴風も、豪雨も、ともだち。
  雷様は、親友だった。
  からだがいくら濡れたって、気にならなかった。
  濡れた瓦はよく滑る。それがどうした。
  滑って落ちたら、それまでのことだ。
  落ちる不安にさらされながら、危ないことする奴はいない。
  落ちる不安なんて全然ないから、あぶないことができるんだ。

  ガジュマルの樹が咆哮してる。
  この樹には、死人の魂が集うという。
  闇夜の午前零時、魂が妖しく蔓や木肌を赤錆色、
  ほのかにまぶくという。
  見たことはない。
  でも、抱きつくと、冷たい。

  「おまえは、ひとりじゃないんだね?おともだち、たくさんいるんでしょ?ぼくは、いつもひとりさ。こうしておまえに抱きついていたって、ひとりなのさ。つまらないよね。だから、おまえのともだちに逢わせてよ。おねがいだから、逢わせてよ。なかには、ちいさな子供だっているんでしょ?」

  約束通り、おまえの好きなシャボン玉とばしているよ。
  さぁ、おまえも、約束守ってよ。
  おまえのおともだち、逢わせてよ。

  私は、独り言をよくする子供だった。
  咎められることもあったが、
  どうしていけないことなのか、理解できなかった。
  言葉は、相手がいて使うものだって理屈が、
  どうしても飲み込めなかった。
  言葉は、自分のものじゃないの?
  自分のものを、自分がどう使ったって、構わないんじゃないの?
  僕は、僕だけのための言葉しかもっていない。

  瓦がかたかた鳴り出した。
  私を空へ舞いあげようと突風が大地から立ち上がって来る。
  横殴りの雨に、眼を開けていられないけれども、
  私は、ガジュマルをずっと見ていた。
  蔓が風に巻き上げられ、
  封じ込められるように雨に包まれて、
  ちぎれて、はじかれる。

  痛いかい?痛いよね?おひげはおまえの心のヒダだよね?心が千切れてゆくって、どんな感じ?それは、とっても寂しいの?それはとっても、やるせないの?教えてよ。僕のこの胸の痛みと、おんなじかい?

  雨雲の真ん中に雷雲が拡がった。
  ぴりぴり、怒ってるみたいに、じぐざぐの光が点滅してる。

  雷さん、落ちてくる?落ちてくるなら、僕に向かっておいで!おまえの光で、僕を焼け尽くしてよ!!

  光の枝がどこかに落ちた。
  つづいて、音がとどろく。
  変な感じだ。
  音って、どんくさい。

  もうひとつ、落ちた。
  綺麗な光の枝条、
  見知らぬ電磁の世界の王様さ。
  あらゆる音が、かしずく。

  だんだん近づいてくる。

  いよいよ、僕だね?僕に落ちてくれるんだね?もう、天使は要らないよ。扶けてくれなくったっていいよ。がんがんしびれて燃えるって、どんなんだろう。胸は高鳴り、血と肉は踊り、心はいちじるしく放電する。

  だけど、落ちたのは、
  僕の大好きなガジュマル君だった。
  激しい閃光で眼が一瞬眩んで、べきべき、避ける音、
  そして音と同時に、真っ赤な焔が翔んだ。

  その時だよ、ガジュマル君は約束を守った。
  べきべき音をたてながら、折れたその裂け口から、
  数千もの丸い光るビー玉が空に舞い上がってゆく。

  おともだちだよね?君たち、どこへゆくの?空へ帰るのかい?ねぇ、こんにちは、僕は、こうちゃんっていうんだ。知ってる?僕も、おねがいだから、連れていってよ!!

  つれないね。一緒にはいけないんだね。じゃ、君たちに花を贈るよ。石鹸の泡だけど、シャボン玉っていうんだ、綺麗なんだよ、虹色にかっこいい円を描いて、ふわふわさまようんだ。ほら、こうだよ。ほら、たくさん飛んでるだろう?嬉しいのかい?あ、嬉しいんだね?だって、あんなにくるくる回ってる。

  さよなら、死人たち、さよなら、大好きだったガジュマル君。さよなら、さよなら、さよなら!!

  

    しばらくのち、
    救い出された私は、叱られることもなく、
    翌日、違う家に向かって旅立つ。

  今度は、どんな人がパパとママになるんだろう。
2010 03/21 11:58:03 | none
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  1972年6月某日、僕は、国鉄片町線放出(はなてん)駅に降り立った。

  夜明けから降り出した雨は、罷む気配を見せず、午前8時50分、更に雨足が激しくなっている。

  傘を持たない僕は、空を見上げながら、駅を出て、坂を下り、神社の鬱蒼と茂った樹木で雨宿りしながら、走らず、ひたすら歩く。

  走ったって、ゆっくり歩いて行ったって、雨の量が一定ならば、濡れる量も、同じなのだ。

  同じ量の雨に濡れてしまうのならば、走って体力を消耗する必要はない。時間はある。
  学校はとっくに始っているし、遅刻しそうになって小走りに校門へ急ぐ生徒達ももういなかった。

  叩きつけられる雨音、跳ね返る滴、マンハッタンのボタンダウンシャツも、裾17センチに絞った学生ズボンも、アーノルドパーマーのワンポイントが入った靴下も、vanの赤いデッキシューズも、ぺちゃんこの革鞄も、下着も、ぐっしょり、濡れていた。

  濡れ初めは嫌なものだけど、これだけずぶ濡れになってしまえば、寧ろ、小気味よくなってくるものだ。

  屋根も、庇も、軒も、柱も、車も、皆、濡れている。空も、地も、みんな濡れている。

  不思議な一体感が、僕を貫いている。踏み出す足が雨を弾き、弾かれた滴が途を突き、顔や腕からしたたる滴が、重なってゆく。不規則、不安定、恍惚とした、普通の、自然の営みが、こんなにも実感できる。

  不意に、足音が、聞こた。

  ぴちゃちゃぷぴちゃちゃぷ、水の膜を踏み破る音だった。
  ハイヒールなのだろう、縮むように響く音が、4拍子、♭気味に、確実に近づいてくる。

  狭い坂道だったが、通行人は僕しかいなかった筈だった。

  四つ角を西へ折れると、目的地までは、もう一直線だ。

  しかし、雨をつんざく足音は、更に、追いかけてきた。

  「ねぇ、ちょっと、待ってよ」

  足音の主が声をかけてきた。振り返る。そこには、赤い傘を差した女性がいた。
  白いワンピースで、ちょっとミニだった。靴はダークアイボリーで、5センチくらいのミドルヒールのパンプスだった。

  立ち止まった僕に彼女は追いつき、傘を私に差しかけると、

  「歩くの速いんだから、必死だったのよ、駅からずっと追いかけてきたのに」

  「駅からですか?」

  「知らなかった?あなた、傘もないくせに、降ってないみたいに平気で歩き出しちゃうんだもの、驚いたわよ。こんなに濡れちゃって、もう」

  と、ショルダーバック(これもダークアイボリーだったかな)から、萌黄色のハンカチを出して、僕の顔を拭いた。

  「寒くない?」

  不思議そうな顔をしていたのでしょう、僕の表情に気づいて彼女は、

  「気にしないでね、放っておけなかっただけだから」

  そういいながらも、ハンカチをもつ手は、小刻みに、私の顔と髪を拭っていた。

  「足りないわね、これじゃ、ね、学校へ行くんでしょう?バスタオルあるの?」

  「え?ないと思いますが」

  「じゃ、どこかで買わなきゃだめね、あ、あそこ」

  視線の先には、いつも煙草を買っていた店があった。雑貨屋だが、ほとんど今のコンビニと変わりない品揃えだった。

  彼女はハンカチを持ったまま、私の袖をつかみ、一緒に歩き出した。腕、組んで。

  僕は、まぁ、ドギマギしていたさ。
  こういう年上の女性、まして、OLさんとこうして二人っきりで話すなんてなかったし、これだけ見ず知らずの高校生に、こんなに親切な女性も、初めて逢ったからだと思うけど、とにかく、やけに、気恥ずかしかったんだ。
  こんなとこ、皆に見られたら、OLにまで手を出したのか、なんて、きっと誤解されるに決まってる。
  誤解されるのに吝(やぶさ)かではないけれども、それは、彼女に失礼だろう。

  しかし、僕は、腕を振りほどこうとはせずに、店の中に入り、買ったタオルで賢明に僕の髪や背中や脚を拭く彼女のされるままになっていた。

  お店のオバサンは、驚いてたっけ。あんた、この女何ものよ、ってな視線、ビシバシ送ってきてさ、にやついたりしちゃって、あとで根掘り葉掘り訊きだされるに決まってるんだ
  面倒臭いなぁ。

  「はい、これで、ちょっとは、マシになったわね、学校行くんでしょう?」

  「いいえ、ちょっと、忘れ物をしたものだから、それを取りに来ただけなんです」

  「忘れ物?じゃ、あなた、学校は?」

  「さぼってます」

  「不良ねぇ」って言い方が、またすごく素敵だった。非難するキライは全然なくって、どうしようもないわねぇ、ってゆるやかに抱擁するような言い方だったんだ。

  「じゃ、どこに行くの?」

  「この先の喫茶店です」

  「何て名前?」

  「NJ」

  「知らないわね、まぁ、いいわ、そこまで送ってってあげる」

  相合い傘だった。背は僕と同じくらいだけど、髪が長くって、お化粧の匂いが、雨の匂いに混じって、くすぐったかった。相変わらず、腕組んで、激しい雨の中を歩いた。

  彼女の歩調に合わせたから、ときどき、スキップしながら、触れる腰、胸、ドキドキしながら、歩いていたさ。数分の道が、何時間くらいに思えただろうか。

  雨が、おもむろに、揺れながら水色にハシャイデゆくのさ。踊るように、こまっしゃくれてさ。

  なんかさ、このまま抱きしめたって、抱きしめ返してくれそうなくらい、彼女は、すごく大人だった。彼女の濡れてる右肩、気にして、傘を、彼女の方に押し返すと、また柄を僕の方に傾ける彼女。

  一緒に、すこしづつ、すこしづつ、水色に濡れていったんだ。

  NJに到着して、彼女は、なにか言いたげだったけど、

  「ありがとうございました」

  深々と礼する僕に、微笑返すだけで、そのまま、来た道を戻っていった。

  僕をわざわざ送るために、遠回りしたんだろう。名前、訊けば良かった、と何度思いかえした事だろうか。その瞬間だって、そう思ってた。

  彼女の後ろ姿を、僕は、NJのフィックスドアを開けっ放しにしたまま、いつまでも、眺めていたっけ。


  忘れ物?

  ええ、見つかりました。
  物じゃないですから。
  それはね、確か、こう呼ばれていますよ、

    ”気持ち” ってね。
2010 03/13 09:54:17 | none
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 驚いたなら、
 ごめんね。
 そんなつもりじゃなかったんだ。
 海があるだろう?
 聞いてるかい?
 水平線のむこう青空が
 くっついたようになって、
 むこうになにがあるか、
 むかしの人は知らなかったんだ。


ゆび、
うごく?
あたま、
いたい?
これ、
みえる?
こえ、
きこえる?
ねぇ、
すき?
ねえ、
あいしてる?
まど、
あけるよ。
ほら、
風がふいてるよ、
青葉があんなに茂って、
空だって、
あんなにも青くって、
水平線のむこうに、
なにがあるの?
おしえてくれなかったよ、
おしえてくれないまま、
むこうにいっちゃったら、
やだもん、
め、
さめなかったら、
やだもん、
いっちゃったら、
絶対やだもん、
おにいさん。

 驚いたならごめんね、
 そんなつもりじゃなかったんだ、
 海があるだろう、
 聞いてるかい、
 水平線の向こうになにがあるか、
 むかしのひとは、
 知らなかったんだ。

空と海がくっついたようになって、
山吹色にかがやいているんだって、
だからそこにさへいけば、
ぼくらは
仕合わせになれるんだ。

   すきとおるように
   きらめく
   眞白い手が
   優美に
   ゆっくりと
   てまねきするのが、
   見えたんだ。
   
   そう、
   あれは、
   天使の手、
   だったよ。


2010 03/06 23:27:11 | none
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あなたの夢は二度しか見ぬのに
あなたの亭主の夢は六ぺんも見た
あなたとは夢でもゆっくり話ができぬのに
あの男とは散歩して冗談まで交わしていた
夢の世界は意地が悪い
だから
私には来世も疑われてならないのだ
あなたの夢は一目で醒めて
二度ともながいこと眠れなかった
あなたの亭主の夢は長く見つづけて
次の日には頭痛がする
白状するが私は
一度あなたの亭主を殺した後の夢が見たい
私がどれだけ後悔しているだろうかどうかを
2010 03/03 20:21:32 | none
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 風のざわめきが気になる街だった。
 1991年2月14日、
 京阪電鉄森小路駅、
 PM20時。
 
 地上10メートル、
 夜明け前の駅のホームに、
 冷たい北風に吹かれる少女がいた。
 水中にさす月光をあびた貝に
 孕まれた結晶が真珠であるならば、
 少女の肌は、
 真珠のように青磁色の深遠さを
 たたえていた。
 少女はいつも
 風にまかれながら絶え入るように
 ふるえていた。
 定まった時間にそこにいるということは、
 定まった時間以外にはそこにいないということでしかない。
 たがいの時間が重なる機会は少なかった。
 わずかではあっても偶然が積まれてゆくと、
 意識にさざ波がおきてくる。
 はかないまでにちいさな意識ではあるけれども、
 からだの奥を少しずつ侵食して
 確固たる拠を造りあげてしまう。
 きっとそれは、
 あこがれとは呼べないまでも、
 それに似たものであるに違いない。
 ぼくはずっと見つめていた。
 仕草と髪とその肌のあまりの白さを。
 こころはずっと少女に語りかけていた。
 ぼくを
 どうか意識しないでください、と。

 期待を抱かなくなるのは、
 つらいことがたくさんあったからじゃない。
 まして、
 夢をみなくなるのは、
 後悔が横溢したからじゃない。
 ただ、
 飢餓感だけが
 あったからに過ぎない。 

 階段をおりて、
 改札口をぬけると
 風に包まれる。
 新月だった。
 夜空に月はない。
 茄子紺色のとばりが、
 暗い空からおりてくる。
 風もからだを捲くように、
 足許から吹きあがってくる。
 寒い夜だった。
 夜食をなににしようか、
 迷いながら高架をくぐっていると、
 煙草屋の前、
 水銀灯の下に少女がいた。
 あの少女だった。
 こちらを向いた。
 白い吐息にささやかな驚きが乗った。
 眼と眼があう。
 こんな顔をしていたんだ、
 ぼくは得をしたような気分になった。
 瞬きもせず、
 少女はぼくを見ていた。
 距離は近づいている。
 激しく鼓動が高鳴っている。
 胸の奥にくすぶっていた例の拠が
 パチン、
 と弾けた。
 
 黒い鞄の中から、
 なにかを取り出して、
 ぼくの前に少女は立った。
 これ、受け取ってください、
 切り分けたためいきのような吐息が
 少女の声を運んだ。
 はぁ?
 素っ頓狂な声しか出ないぼくは、
 贈られたものを見下ろした。
 バレンタインチョコレートだった。
 
 1991年2月14日、
 大阪旭区森小路、
 PM20時10分、
 見えないはずの灰黒色の月が、
 夜空に浮かんでいる気がしたとき、
 胸をまさぐると、
 飢餓感は消えていた。

 そして、

 1992年3月28日、
 少女はこの世から消えた。
 まだ18歳だった。
 不治の病が、
 少女を冒していた。
 数週間後、
 不在通知が部屋のポストに入っていた。
 再配達してもらうと、
 少女の三年分の日記だった。
 少女がぼくを知ったのは、
 三年前だったんだ。
 あふれるものが眼を歪めた。
 しずくとなって頬を伝い、
 膝に落ちたとき、
 ぼくは少女の死を
 認めなくてはならなかった。
 好きなままでいれる恋が、
 いま、
 終わったんだと。


   きらきら星の騒めきがもし空から落ちてきたら
   手にすくえそうもないから眼をひらいてまなじりをただす
   夢の初めは慄えるばかり 
   なのに夢の終わりは眠くなるほど仕合わせだ



 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2010 02/14 21:58:31 | none
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ここに一葉の写真がある。

老人が、
酒場のカウンターにひとり、
グラスを傾けている。
人差指と小指を弾けるほど伸ばしている。
人差指には銀の指輪。
男は、いや、人は雰囲気だと謂うものたちがいる。
たたずまいや言動、自然な仕草にまなじり。
語らずとも雰囲気はそのものを饒舌に語りかけてくれる。
老人は、孤独を背負う。
老いはそもそも孤独なものだからだ。
そこには身が引き締まるような哀愁が漂い、
生きてきた歳月が刻まれている。
虚無とは有無相対を超越した境地より発する。
虚しいまでになにもないからこそ、
発するものがある。
老人はその何かを絶え間なく発している。
それは「イキザマ」であろう。

小さい頃から私は早く老人になりたかった。
何故だと問われても応えようがない。
今やっと50代の半ばにさしかかろうとしている。
もう少しで、
夢だった60代になり70代を迎えられる。
そうなったとき、
私がどうなっているかも夢想してきた。
それがこの一葉の写真に表現されている気がする。
白髪を長く伸ばして束ね、
クロムハーツのパーカーを羽織り、
ごつい銀の指輪をはめ、
漆黒のサングラス、
銀のピアスを耳朶にぶらさげてもいいだろう。
なんて渋いのだろうか。
男は老いて尚渋くなければいけない。
渋いとは、洒落ていることである。
洒落るために装いは大事なアイテムなのだ。
老人だからこそそこに拘りたい。
飲む酒も拘りたい。
酒をたしなまない私が、
ロックやストレートで飲めるのは、
バーボンだけである。
70歳の私が、場末のバーのカウンターを前に、
バーボンをぐいぐい飲み干してゆく。
喧騒のなかに、
ふと、
諍う声が反転する。
面倒くさそうに振り返った私は、
男が情婦らしき若い娘を殴っている場面を見据える。
待ったれやこら!
啖呵は派手にきるものだ。
バーボンのボトルを手にした私を男が睨みつける。
見上げるほどの大男だ。
言動一致、いいや、躯が先んじる。
私は首を30度ほど傾けて、
揶揄するように罵倒する。
大男は激怒して襲いかかってくるだろう。
老人だからと手加減する器量があるのなら、
女を殴ったりは絶対にしない。
大男は怪力だけが自慢の無法者(器量が蚤よりも小さい者)だ。
突進する様はさながら猛牛である。
70の老人が敵うわけがない。
そう、敵うわけがない。
なにも考えずに立ち向かってゆけば、だ。
私は突進する大男のこめかみをボトルで横殴る。
どうなろうが知ったこっちゃない。
これは喧嘩だ。
喧嘩は殺し合いである。
殺すつもりがなければ、
喧嘩なんかしない。
知らぬふりをして日和見していればいい。
それを、皆、判っちゃいない。
殴りあったことで気心が知りあえ仲よくなる、
そんなのは夢物語である。
大人は遺恨を必ず心理のどこかに遺して忘れないものだ。
遺恨がどれだけ不当なものであろうと関係ない。
だから執念深い遺恨をも覚悟しなければいけない。
娘を扶けようと立ち上がったのだ。
後戻りは出来ない。
大男は一瞬ふらつき、己が血潮に一瞬は弛れる。
しかし二瞬後にはとめどなく噴火する激怒に全身が覆い尽くされ、
私の襟首を遮二無二掴むと、
私の2倍はありそうな拳骨で殴ってくる。
私の身体は宙に浮いている。
しかし私は狼狽することなく、
躊躇することもなく、
大男の両耳を掴み、
鼻梁に渾身の力を込めて頭突き(ばちき)する。
5回から6回も入れてやれば、
どんな気丈な大男でも失神するか戦意を失う。
失ってくれなければこっちが困る。
何故なら、そのあとぼこぼこにされるのは私だからだ。
大男の戦意は遺憾ながら喪失することなく、
形勢逆転、
私はこれでもかとぼこぼこに殴られ、
蹴られ、半死状態だ。
いつのまにか人だかりができていている。
皆想うだろう、
バカな爺だ、勝てるわけないのに何考えてるんだ、と。
バカな男とバカな女の痴情のもつれじゃないか、
抛っておけばよかったのだ、と。
私と大男がやりあっている間に娘はどこかに逃げたようだ。
そのことに気づいた大男が娘の後を追う。
身動きできない私は病院送りだろう。

ここからだ。

数ヶ月後、退院した私は大男を探す。
草の根わけてでも探し出す。
やられたらやりかえさなければいならないからだ。
これは鉄則だ。
生きたいのなら、死にたくなければ、
立ち向かうしかない場面が春秋には頻繁に訪れる。
どれだけ恐くても、どれだけ辛くても、
背を向けず、真正面に立ち、ただ一歩だけ踏み出す、
それを勇気という。
自失して遮二無二走り出すことを勇気とは云わない。
わずか一歩踏み出すことが、勇気なのだ。
一歩踏み出せれば二歩めは臆することに逡巡しない。
勇気の欠片もないものに、
天才は絶対に宿らない。
命を懸けず自らを天才と称することは、詐欺に等しい。
この世のなんと詐欺師の多いことか。
勇気の欠片も持たぬ偽本物たちのいかに多いことか。
反吐が出そうになる。
私は死んでもそんな連中にはなりたくない。
本物と呼ばれたければ、命をかけなさい。
その勇気がなければ、偽物に甘んじて世の失笑を買えばいい。

憎しみは憎しみしか生まない、
物知りげに宣う者がいる。
バカを言うな、
憎しみを忘れることほど
自分を騙し、見限ることはない。
後悔とは、自分を裏切ったことへの懺悔より生じる。
生じた後悔は爛れ腐乱して自分を殺す。
見苦しい言い訳なんか誰も聞いてはくれない。
憎しみを忘れ、自分を殺し、
見苦しく言い訳し続ける春秋は煉獄そのものである。
業火に焼かれたくなければ、
やるしかないのだ。
そう懸命に念じ信じることによってのみ、
憎しみは浄化されてゆく。
純粋に憎むことは自らを純化してゆくことになるのだ。
純化なくして、救いはない。
だからこそ復讐するのだ。

虚無より生じ、
虚無へと消えてゆく、
所詮それだけの春秋だ。
今死んでも、明日死んでも、
悔いがないのならそれでいいではないか。

そうして老人(私)は、
今宵も場末の安酒場で
レモンスライスを啜りながら
バーボンを飲んでいる。


2010 02/08 22:03:23 | none
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ジッタさんが歩いています。
薄紫色の汚れたビニール袋を弓手に提げて、
意義を喪失したかのように、
虚し気に歩いていきます。
よく観察すると、
腕と脚が不揃いです。
痙攣と電気ショックを交互に受けたような、
不調和を彷彿してしまいます。
小刻みに揺れる横顔はまるで、
花王のマークです。
下顎が極端にしゃしゃり出て、
間違いなく下唇は上唇より2センチは前に飛び出しています。
45歳でなんとまだ独身。
なんでも女だらけの家庭で育ったそうです。
それにしては身だしなみがお世辞にも清潔とは言えない。
作業服は薄汚れ、
髪など梳いたことないのでしょう、
てっぺんが禿げて、
両の鬢から真上に伸びた強い髪は、
白髪もなくまるでバットマンのように屹立しています。
恋、
したことあるのでしょうか。
恋されたことが、
あるのでしょうか。
ないかもしれません。
ハナオカ、ジッタさん。
日本語の会話が苦手なのは
極度の人間嫌いの所為なのでしょうか。
コミュニケーションが不得意な人は社会において、
孤立しがちです。
孤立に対する焦燥感や絶望感を見据える、
自意識の発達がなければ、
精神病の一症状を呈するに至るでしょう。
そんな雰囲気が漂います。
なにせ、会話が成立しない。
これお願いします、
「ああ〜」
ここにもありますよ、
「うあ〜」
慣れましたか?
「はあ〜」
腰が砕けそうな見事な返答です。
快いほど無駄がない。
簡潔な対話ほどすきま風が気になるものはありませんね。
あ、メロンパンやんか、
右のポッケに覗く物を指摘したとき、
「ふふふ〜」
なんともいえぬ人懐こい笑顔を浮かべて、
見苦しく照れていました。
孤高の者に羞恥は似合わない。
だけども、ひどく人間臭い笑顔をもっていたのは、
新しい発見でした。
親しく慣れる可能性が高まるのです。
12時10分からの昼休み。
社員達はいそいそ社員食堂へ向かいます。
ジッタさんは、仕事が遅く、
いつも12時半くらいに小走りで食堂へ向かいました。
でも、
偉い人がもっと早く食堂へ行くように注意しろと、
ジッタさんの上司を叱ったそうです。
12時半以降は役員クラスの食事時間というのが、
暗黙の了解事項だそうで、
ジッタさんを、汚い、
それだけの理由で食堂から排除したいのでしょう。
同じ人間、どこが違うのでしょうか。
役職は、会社の序列であって、
社会における序列ではありません。
社会における序列など存在しません。
人間はみな、同じです。
綺麗でも、穢くても、
同じです。
偉さは、相対的に判断されるものではなく、
もっと人の根源に由来するものであるはずです。
しかし、ひとびとは、
外観や来歴で判別するという、
勘違いを改めません。
会社での序列が社会での序列であるかのように振るまい、
その愚かさにけっして省みることをしようとはしません。
それを横暴と呼ぶのですが、
横暴が出所によってはまかり通る、
それが会社組織という歪んだ世界の実態であることは、
嘆かわしいことですよね。
厳格なる序列を強いる企業は安定しますが発展しません。
序列を問わない会社は発展する可能性を濃厚にもちますが安定はしません。
昨今の不況の中、
これまでの経営理念が通用しなくなってきたのは周知の通り。
安定しながら伸びる会社にはひとつの大事なシステムが必需です。
それは部下の諌言に上司は素直に耳を傾ける、という姿勢です。
ですが、人における友情関係に等しく、
諌言を毀損と受け取る素直さをなくした方々ばかりが、
この世にはたくさんいらっしゃるようで、
素直に聴く耳をもつものは滅多にいません。
よく少年の心をいつまでも持ち続けているひとだ、
という表現を聞きますが、
あれは大概嘘勘違いも甚だしい嘘で、
比喩とも呼べぬ下劣な表現です。
何故ならば、少年の心であれば、
諌言をきちんと受け止めようとする素直さをもつからです。
悪口としかとれないような頑なな心に「若さ」があるわけがない。
ですから、食堂の一件も珍しくともなんともない、
普通の出来事としてひとはとらえ、
忘れてゆきます。
いつまでも其処に遺されるのは、
侮蔑された者の怨みだけです。
世の中はどれくらい怨念に充ちているのでしょうねぇ。
叱咤されたジッタさんは、食堂へ行かなくなりました。
工場裏にあるポプラ並木の下にしつらえられたベンチに腰掛け、
ぼろぼろ屑をこぼしながら、
大好きなメロンパンを
雀たちに囲まれて頬張っているのでしょう。
ジッタさんの上司は仕事中の事故で右腕を付け根から失いました。
あと数カ月で停年です。
わたしの唯一の話し相手です。
140センチほどの小さな身体で40年以上、
働いてきたのです。
ひとの春秋はどうしてこんなにも過酷で、
哀しいのでしょうね、
胸が詰まってしまうことがよくあります。
もうすぐジッタさんが上司の後を継ぎます。
その日までわたしはそこにいないでしょうが、
ジッタさんは45歳、
あと15年、
同じ日々を過ごすことでしょう。
右のポッケにメロンパンをしのばせて、
毎日、薄紫のビニール袋を提げて、
よたよた仕事してゆくでしょう。
春秋は或る者にとっては、
彷徨です。
ジッタさんは、結婚しないのでしょうか。
彼女ができたことがあるのでしょうか。
人を羨ましいと感じたことがあるのでしょうか。
現在の自分に足りないものを欲するとき、
人は変身を決意しなければなりません。
変身、とは、
何かを得るための代償だとも言えます。
代償ですから、
痛みや、恥に対峙しなければいけません。
それを面倒くさがっていては、
変身することは無理です。
変身したくなく、何も欲さず、
何も得ようとはしない春秋、
それは、
それで潔く、見事な生き方だと思えてなりません。

2010 01/31 15:04:52 | none
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  昔のこと。
 ある国の王様が、
 千里の馬を手に入れようとしていました。
 千里の馬とは、
 一日に千里(約400km)走れる、
 名馬中の名馬のことです。
 王様は金に糸目をつけず、
 八方手を尽くして探し求めました。
 ですが、三年探し求めても手に入れられません。
 半ば諦めかけていたあるとき、
 宮殿内の清掃をしていた卑しい身分の者が、
 王様に進言しました。
 「どうか私にその役目をお命じください、
 必ず千里の馬を探し求めてまいります」
 卑賎な者には似つかわしくない、
 あまりにも自信ありげな風韻を感じた王様は、
 その者に千金をもたせて名馬探しの任務を授けました。
 三月ののち、
 卑賎の者は千里の馬を見つけました。
 ですが、その名馬は既に死んでいたのです。
 「死んでいようが名馬に変わりはない、
 その首を私に売ってくれ」
 なんと卑賎の者は五百金という大金を投じて、
 死んだ千里の馬の首を買い取り帰国しました。
 復命したその者はもちろん王様の逆鱗に触れました。
 「欲しいのは生きている馬だ、どうして死んだ馬を
 五百金もだして買い取ったのだ!」
 罵倒されてもその者はひるまず、
 「王様は千里の馬であれば死んでいても五百金で
 お買いになったのです、
 生きた馬ではいったいいくらで買うのだ?
 と世間では必ず取り沙汰されます。
 そののち王様は
 馬の値打ちが判る君主だと噂されるに至るでしょう。
 まもなく千里の馬を売りに来る者があらわれるでしょう」
 こう平然と応えました。
 果たして、
 1年もたたぬうちに千里の馬が三頭もやってきたのです。

 さてさて、
 こうして卑賎の者は、
 一躍宰相に抜擢され、
 改革に辣腕をふるい
 王様は「覇者」と讃えられたのだとさ。 

 
 
2010 01/23 23:28:42 | none
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 たとえば或る者が飲もうとして
 ひとつのコップを手につかむように
 そしてあとでそれを授かった者が
 片隅に置き
 なんでもないもののようにして
 それを保管するように
 おそらくは運命もまた
 ときおりひとりの女を
 口にあてて飲んだのだ
 それからひとつのささやかな人生が
 彼女をこわすことを恐れて 
 もう使わずに
 そのいろいろな貴重品がしまってある
 小心な硝子戸棚のなかに彼女を置いたのだ
 こうして彼女はそこによそよそしく
 借り物のように立ち
 無造作に老いこんで
 盲目となり
 やがて貴重品でもなければ
 珍奇なものでもなくなっていた

 それが世に謂う恋愛であり結婚である。
 
 しかしそれは
 あるときを境に
 むずけながら
 きらめいたり
 暗くなったりする
 夕暮れともなれば
 それは一切となり
 あらゆる星が
 その中から立ち昇り
 胸の奥に仄かな蝋燭の炎をともす。

           ライナー・マリア・リルケ


     *ちょっとだけ改訳しました。
2010 01/17 22:08:03 | none
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拝啓 ミスターヰ

そっちはどうですか?
メロンパン食べてくれましたか?
このあいだ
メドキを集めて
易をたててみました。
あなたの転生の日を
知っておかなければならないからです。
卦は、
吉でしたよ。
拝啓
ミスターヰ
私ももう54になりました。
あと何年春秋がつづけられるか
せめて死の時には
あなたのように
立たぬ足腰で
這いずってでも
たどり着きたい其処をめざしたい。
そう希んでやみません。
新年です、
2010年。
櫻が咲き誇る頃、
あなたの眠るあの池のほとりに
黄色い鞠と
雛菊一輪
それと
2004年の12月
毎日聴いたこの唄を
供えに行きましょう。
そちらで
思う存分
聴き
嗅ぎ
噛みつき
転がし
追いかけ
歪めて
破を堪能してください。
それまで
しずかに
お眠りください。

      なにもかも
      ぼくは
      なくしたの
      生きてることが
      つらくてならぬ
      もしもぼくが
      死んだら
      ともだちに
      卑怯なやつと
      笑われるだろう
      笑われるだろう

      いまのぼくは
      なにを
      したらいいの
      こたえておくれよ
      別れたひとよ
      これでみんな
      いいんだ
      悲しみも
      きみと見た夢も
      おわったことさ
      おわったことさ

      愛した君も
      いまごろは
      ぼくのことを
      忘れて
      しあわせだろう
      おやすみを
      云わず
      眠ろうか
      やさしく匂う
      櫻の下で
      櫻の下で

       なかにし礼「さくらの唄」

2010 01/10 14:25:25 | none
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ジャンクランド

  どっち行く?
  どっち行こう?

ガラクタだけど
こころをこめて
昔のように
ぼくと暮らそう

ガラクタだけど
こころをこめて
みどりの丘で
ふたりで暮らそう

ガラクタだけど
こころをこめて
昔にみたものを
そう、
ジャンクランドで

ガラクタたちと
かぎりなく青い
大空
そう、
ジャンクランドで

 そう、
 ジャンクランドで

 ガラクタだけど
 昔みた
 あの古い水道橋の下で
 けんかしたいよ

 せつなさをこめて
 きみに贈ったあの花は
 まだ、
 枯れていないかい?
 まだ、
 幽かに彩りをうしなわずに

 ガラクタだけど、
 ぼくはまだ生きて
 きみのかえりを待っている
 こんなにすりきれて
 ほころびだらけで
 しぼんでしまった
 あのときの
 気持ちをいまもなくさずに
 きみのかえりを待っている
 あの
 みどりの丘の
 ガラクタだらけの
 ジャンクランドで
 斜に構えて
 煙草をくゆらし
 ためいきまじりの紫煙にのせて
 きみにささげる
 ジャンクランド
2010 01/02 23:01:21 | none
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Άγιος Βασίλης

 今より54年前のことです。
 米国の大手百貨店がクリスマスシーズンのイベントとして
 サンタホットラインを
 各新聞紙上に広告しました。
 それはおそらく、
 事前に数人のサンタクロースにふんした老人を雇い、
 子供たちの欲しいプレゼントを百貨店が用意し届けて、
 幼い夢を叶えてあげようとする企画だったでしょう。
 
 ですがこのとき、
 電話番号が間違っていて、
 可愛い子供たちの電話は
 北米防衛システムの司令部に繋がってしまいました。
 司令部も驚いたでしょう、
 てんやわんやの騒乱が目にうかぶようですね。
 
 実は、司令部では毎年12月24日、
 北極より飛び立つ謎の飛行物体を補足し追跡していたのです。
 電話を受けたひとりの大佐は思わず、
 「サンタクロースがコロラドに向かっているところを
 レーダーで確認した」と応えてしまったのです。
 
 さぁ、子供たちは大騒ぎ。
 サンタクロースが今空を飛んでいる、
 この夢のような事実が世界中に伝播するのに
 時間を必要とするわけありませんね。
 北米防衛システムの司令部では、
 次の年から毎年職員のボランティアをつのり、
 サンタの軌跡を追跡して子供たちからの電話に応え続けます。
 そうして1998年、
 インターネット上に告知したのちには、
 毎年何千何万もの電話や電子メールを受けるようになりました。

 そしてついに2006年、アクセス数は9億4千万を超えました。

 2009年世界の人口は、
 66億3457万959人。
 サンタクロースは20分の1万から30分の1万秒の速度で
 各家をまわらなければなりません。
 そんなの無理に決まってるじゃん、
 っていう醒めた観測は、
 理知的なように見えて、
 実は理知めいているだけにすぎないことを、
 歴史は証明してきました。

 完全なる否定でないかぎり、
 それはそこに存在するのです。

 光を越える速度は存在しない、
 いいえ、人類がそれを探せないだけなのです。
 探せないからといって、
 あり得ない、と断言する博士がたくさんいますよね。
 私はそういう頭脳を信用していません。
 何故なら、自然界は未だに未知であるからです。
 光を超えれば、時間をも超えてしまいます。
 つまり光を超える速度が立証されれば、
 タイムマシンも夢ではなくなるのです。
 赤鼻のトナカイがどうして光を超えられないといえるのですか?
 ええ、そもそもトナカイは空を飛ばない。
 しかしサンタクロースが操るソリは空を飛ぶのです。
 トナカイも光を超えていると考えてもいいじゃないですか。

 12月24日、
 サンタクロースは、
 必ず、
 皆さんの前に現れます。
 恋人とか両親とか隣のおじさんではなく、
 本物のサンタクロースが、
 必ず、
 現れます。
 そしてあなたに、
 なにかを贈ります。
 もしかしたら、
 サンタクロースが現れても、
 私たちは気付かず、
 贈り物も見えないだけかもしれません。

 絵の具は全ての色を混ぜると黒になりますが、
 光は透明になることをご存知ですよね。

 そう、光を超える物体は、
 透明なのです。

 イブを祝いましょう。
 疑わず、
 迷わず、
 真摯な気持ちで、
 イブを祝いましょう。
 そうしたらほら、
 あなたの目の前に!

 皆さま、
 szsより愛を込めて、

 
 ・・・♪*☆★*♂♪*☆★*♪*☆★*♪*☆★・・・
        ☆.。.:*・°☆.。.:*・°
 ・*:.。. .。.:*・゜Καλά Χριστούγεννα・*:.。. .。.:*・゜
       ☆.。.:*・°☆.。.:*・°
 ・☆・**・☆・**・☆・**・☆・**・☆・**・☆・**・
 
 
2009 12/24 19:48:08 | none
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知らず知らずのうちに
きみを好きになって
知らず知らずのうちに
夢を見ていた
知らず知らずのうちに
きみの名前覚えて
知らず知らずのうちに
街を歩いていた
知らず知らずのうちに
きみの家を見つけて
知らず知らずのうちに
電話帳を開いた
知らず知らずのうちに
君と歩き始めて
知らず知らずのうちに
時を流れた
知らず知らずのうちに
君と暮らし始めて
知らず知らずのうちに
離れられなくなった

  鍵を開けたドアの前で
  あかりもつけずほおづえついて

              阿木耀子

知らず知らずのうちに
きみをもっと好きになっていて
知らず知らずのうちに
夢も見れなくなって
知らず知らずのうちに
家を飛び出していた
知らず知らずのうちに
時の流れがとまり
知らず知らずのうちに
口づけさえ忘れ
知らず知らずのうちに
きみの声さえも忘れた
知らず知らずのうちに
きみと歩いた街をさまよい
知らず知らずのうちに
影さえ慕えなくなって
知らず知らずのうちに
きみを思い出せなくなっていった

  鍵を締めた部屋の隅で
  あかりもつけず壁にもたれて
  煙草に火をつけ
  たゆたう紫煙のなかで
  ぽっかりあいた
  胸をまさぐるように
  切なさと遣る瀬無さと
  虚しさと侘びしさを 
  肩をすぼめながら
  刻みつける
  遅すぎたなにもかも
  こおりついた恋のかけら
  醒めたからだに突き刺さる


 
  

2009 12/07 22:37:14 | none
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”ほら、良い天気だね、暑くなるよ”
空を指さしながら、
真冬でもTシャツ姿の運転手が挨拶してくる。
”日陰は寒いですよ”
そう応えるのが習慣になった。

広島11月海田町、
あと数日で満月だ。
勤め始めてもう1年と4カ月。
無遅刻無欠勤だ。
月曜から金曜まで、
盆正月祭日
関係なく週の平日5日勤務する。

社員1600名の企業だ。

ここにはたくさんの奇人がいる。
たとえば髭顎蔵さん。
何とか勉強堂という複写用品を扱う下請け商店の店主。
ワゴンRを4台乗り継いでいる。
ワックスで固めたようなリーゼントに、
鬢から顎までたくわえた髭に白いものが混じっている。
”今日は暑いね”
そう言いながら敬礼してくる。
こちらも愛そう笑いを浮かべて敬礼する。
肩幅が広い。
若い頃はさぞヤンチャだっただろう。

犬そっくりやんさんは、大型トラックの運ちゃんだ。
横顔、とくに鼻から口あごにかけての稜線がとても人間とは思えない。
見上げるような座席からおりると借りてきた猫のように、
視線が下がりきょろきょろ辺りを警戒するように内またで歩く。
内またといえば、
内又男くん、嘘やろ!ってくらいの極端な内股で歩く。
下請け業者の営業マンだが、
よく社用車をぶつける。
内股は運転に支障を来すのだろうか。

品質管理部の検査場から、
ヤンキーねーちゃんが長い栗色の髪を風になびかせながら、
モンローウォークで会釈しながら通り過ぎる。
とても愛想がいい。
新入社員で、18歳。
最近の嗜好のトップ5に入っている。
帰り道信号待ちしているときに、
ヤンキーねーちゃんを見た。
その前を2歳くらいの歩みの覚束ない男の子がいた。
ねーちゃんは不安げに男の子を見守りながら
ゆっくりと横断歩道を渡っていった。
弟じゃないだろう、少し驚いた。
それ以来、無性に気になってしまう。

気になるといえば、
魔女がいた。
黒魔術の魔女なのだと同僚が真剣な顔で怯える。
なんでも彼女を叱った男性社員はほとんどが不慮の事故に遭うのだそうだ。
松葉杖くらいならマシなほうで、
命の危機に遭遇するのが普通なのだという。
死んだ人間が、だれとだれ、と、
同僚は姿を見るたびに顔色を変えた。
美貌である。
この企業一といっても言い過ぎじゃない。
40代半ばでこの美貌は考えられない、
その点では確かに「魔女」の域にある。
氷の微笑だ。
もう退社してしまったが、
彼女を見ることが入社そうそうの愉しみだった。

見ることは、
かならず相手に届き余韻を残す。
だから相手もかならず見返し余韻を残す。
余韻は距離なんか関わらずに絡み合うものだ。
絡み合うことは
たがいになにかを惹きあってゆく。

大型コピー室の鍵を貸し出す早朝、
興味がむせびながら
ふたりにふりかかる。

ここは広島11月海田町、
4畳半、Yの城。
2009 11/30 19:54:45 | none
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3歳の頃,
沖縄、
記憶の中に漫画はない。
3歳の記憶が鮮明であるかどうかは自信がない。
けれど、たとえ幽かではあっても、
ちゃんと覚えている情景や会話、
接した人たちの温もりは覚えている。

白黒テレビと抱っこちゃん、
ピストル型のライターにぜんまい式のブリキロボット、
それらが今現存していないことを踏まえなくても、
興味が失せた玩具はいつしか
記憶から消える。
欲しくてたまらなかった欲望の熱は、
満たされた瞬間から
醒め、
喪失がはじまる。

さて、何故3歳なのかというと、
その年に少年サンデーが創刊されたからだ。

内地に移り住んだのは1960年。
叔父の住む兵庫県宝塚市中高松町は、
武庫川沿いに開けた田舎町だった。
翌年の春、宝塚市立良元小学校に入学した。
半年間だけの高松町の記憶にも、
まだ漫画はない。
書店があったかどうかさえ覚えていない。

その当時の少年サンデーの値段は30円。
子供のお小遣いは、日に10円あっただろうか。
しかし高嶺の花は子供たちを惹きつける。

本格的に漫画に接し、
読み耽ったのは大阪に来た1961年の秋からだ。

横山光輝の「伊賀の影丸」や赤塚不二夫の「おそ松君」、
藤子不二雄の「お化けのQ太郎」などが
少年サンデーの紙面を飾っていた。

それから2度転校して、
大阪市港区寿町へ引っ越し、
大阪市立波除小学校2年1組に編入する。

1963年春、
急性肺炎に罹り小学校の正門真向かいの病院に緊急入院。
生死をさまよったはずなのだが、
苦しかった記憶がないのが不思議だ。
この入院生活で、
本格的に漫画を経験することになる。
白戸三平だ。
毎日見舞いに来る母が、
途中にある貸本屋で白土作品を借りてきてくれた。
白土三平を知ったのは母と肺炎のおかげだと云える。

「狼小僧」、「忍者旋風」、「シートン動物記」、「忍者武芸帳」など、
一ヶ月以上にわたるながい入院は、
8歳の感性を雷撃に踊らせた。

白土三平がなぜいいのか、
8歳の感性のどこを刺激し魅了したのか、
きっとそれは、
残酷で冷徹で諷刺と諧謔と反体制と虚無に満ちていたからだとおもう。
大好きなキャラクターが報われぬままバタバタ死んでゆく。
正義が負け悪が勝つ、
巨大な不条理が不自然なまま成立した閉鎖的な社会における個人の限界は、
はかないまでに狭く、
不合理なまま非業に倒れゆく命は紙切れほどの価値もなく、
勧善懲悪の世界などこの世には存在しないのだと言わんばかりに。
それは、
昨日入院して隣のベッドに横たわる患者が翌日いなくなる。
家族の数人が泪で顔を真っ赤にしながら、
荷物を整理する情景に重なった。
死を感じ理解するには私はまだ幼すぎたのだろう。
漫画の中に何を見いだしたのか、
私の自我の形成に与えた影響は少なくない気がする。

忘れられない出来事があった。

最後に同室となった患者さんは老人で、
奥さんが毎日朝早くから夜遅くまで看護をしていた。
いつからか会話するようになり、
退院の日、
おばあちゃんが私になにか記念の品をくれた。
お返しに得意だったロボットの絵を描いて贈った。
月刊誌少年に連載されていた手塚治虫の「鉄腕アトム」、
その最高傑作と思われるストーリーが「史上最強のロボット」だった。
世界最強ロボットたちを次々に倒し、
最後にアトムと壮絶な死闘を繰り広げる。
近年、浦沢直樹がこのストーリーをアレンジして「プルートー」の題名で連載している。
8歳の私はこのプルートーが大好きだった。
完全なる悪でも完全なる正義でもない存在、
それがプルートーだった。
私が描いたのは、彼だ。
おばあちゃんはひどく喜んでくれた。
「おばあちゃん、ぼくが大きくなったら医者になって不老不死の薬を発明してあげるからね、
おじいちゃん長生きするんだよ」

退院して3ヶ月後、
おばあちゃんから手紙が届いた。
おじいちゃんが亡くなった、と。

私は泣いた。
ひとの死を初めて理解した涙でもあったろう。

人は生き、そして死ぬ。
不変の摂理はなんと呪わしいのか。
全てを水銀の海に沈められたような絶望感に、
8歳の私はうなだれ、
ただ泣く。
空には
まぶしいくらいに青雲がひろがっていた。

最後に、
私がこれまで読んだ全ての漫画雑誌名を記します。
みなさんは、何冊ご存知でしょうか?

少年サンデー、少年マガジン、少年キング、少年チャンピオン、少年ジャンプ、
ぼくら、冒険王、少年、少年画報、少年ブック、漫画少年、少年コミック、
ガロ、月間マガジン、月間ジャンプ、スーパージャンプ、
ヤングジャンプ、ビジネスジャンプ、ビッグコミック、ビッグコミックスピリッツ、
漫画アクション、リイドコミック、ヤングコミック、プレイコミック、漫画サンデー、
ヤングアニマル、イブニング、
ビッグコミックオリジナル、モーニング、ビッグコミックスペリオール、
少女フレンド、少女マーガレット、少女コミック、なかよし、りぼん。








2009 11/08 22:25:49 | none
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   春秋の頃、
   呉の国にひとりの知識人がいました。
   名を季札(きさつ)といいます。
   同時代、中華で最高の知識人として認められていたあの子産に勝るとも劣らないと噂されました。
   
   晩年季札が、
   王となった甥のために外交使節として全国を訪問しました。
   徐の国に立ち寄った時のことです。
   徐君は季札の佩刀に目を留めて欲しいと思いましたが、
   口には出しませんでした。
   
   全ての訪問を終えた季札が帰還のためふたたび徐の国に至ったとき、
   既に徐君は亡くなっていました。
   それを知った季札は、
   徐君の墓に参り、傍らの樹に自分の佩刀を吊り下げ、
   冥福を祈りました。

   従者は訝り、
   「徐君は亡くなっているのに、あの剣をだれに与えるのですか?」
   と問いました。

   すると季札は、
   「私は心の中であの剣を徐君に差し上げようと思ったのだ。
   亡くなったからといって、
   我が心にそむくわけにはいかない」
   と応えました。

   解りますか、この機微が?

   人が生きている時間は無限ではありません。
   有限であるのならば、
   そこには秩序が必要になるでしょう。
   個人の欲望も、
   家や国家の欲望と変わりません。
   欲望のままに生きると争いは避けられません。
   秩序は破壊され、
   生き残ったものが新しい秩序を定めますが、
   混乱そのものはなくなりません。
   
   ではそうならないためにはどうすればよいのか?

   季札のこの故事は、
   冷水を浴びるような気持ちにさせられます。

   
2009 10/24 13:28:01 | none
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5月の夜の雨は激しい。
  荒れた海が、
  暗紫紺色の夜空を幾層にも覆い、
  落ちてくる。
  雷雲のうねりは高波のようだ。
  非常階段の途中、
  佇みながら、
  なつかしい詞を想い出す。

    25階の非常口で
    風に吹かれて爪を切る
    たそがれの街 ソリテュード

    だから好きとか嫌いの問題じゃなくて
    いつか馴れ合う気安さがいやなの
    うまく云えなくてごめんね ソリテュード

    捜さないでね
    醒めちゃいないわ
    だれよりも愛している 
    そう云いきれるわ
    だからなおさら
    ままごと遊び
    男ならやめなさい
    そんな感じね
    Let's play in solitude

    まるで巨大な怪獣のように
    闇にそびえたホテルに泊まる
    目の下にはシティーライツ ソリテュード
    決められたレイル・ロード走ってゆくように
    色褪せた夢を見て流されるなんて
    
    だれもみなストレンジャー
    初めは他人
    想い出はいらないわ
    バックひとつで

    捜さないでね
    醒めちゃいないわ
    だれよりも愛している
    でも
    捜さないでね
    そして
    少し憎んでね

  夜空が青磁色の光の輪をひろげた。
  霹靂だ。
  今宵、
  あたしは、
  別れを告げよう。
  歌詞の気分、
  そのままをあなたに伝えたい。
  捜さないでね、少し憎んでね、
  そうして、
  いつか、
  忘れてね。
2009 09/16 20:05:38 | none
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     ゆうべはさみしさにふるえて
     眠って夢を見た
     もつれた糸のように
     あなたとわたしとだれかと
     過ぎ去れば思い出になる
     今をちょっと耐えれば
     わたしはここにいるわ
     いるわ

     終わりのない歌を
     うたっているのは
     わたしです
     ときには声かすれ
     ひとには聞こえぬ歌です
     でもいまがいちばん好きよ
     すこし曇り空でも
     だれかわたしを抱いて
     抱いて

                       惣領智子
 
           



   ツンデレとは、ツンツンデレデレのことらしい。
  ツンツンは、高慢・冷酷な態度をとる行為で、
  デレデレとは動作・態度・服装などに締まりがなく、だらしないさま、
  もしくは異性に心を奪われたり愛情におぼれたりして
  毅然とした態度がとれず締まりがないさまをあらわすのですが、
  東京秋葉原には、ツンデレ喫茶なるものがあり、
  その意味はうねり狂う波にあらわれて擬態を表するにいたります。
  珈琲だけではなく会話(でしょう、きっと)も楽しめるという空間概念は、
  懐かしいなぁ、
  ウッドアートカフェがそうでしたね。
  

   さて、前置きはこの辺にして、本編にとりかかりましょう。


   10歳まで育つ環境、親との関係などが、
  人格形成に多大な影響を及ぼすのは多くの学者が説くところでしょうし、
  完全否定しうる逆説がもっかのところ発表されていない以上、
  全てではないが、限りなく全てに近い影響は受けるものと考えられるでしょう。
  南原は某国立大学文学部の教授です。
  厳しい父母・祖父母に育てられました。
  好奇心旺盛な幼児期を厳格なる完全管理の基に行われた教育の集積が
  彼の人格形成をどのようにととのえたのか、
  彼のその後の人生に必ず相応するでしょう。
  南原は53歳の現在まで、独身でした。
  年に数回依頼される講演が秋葉原の文化スクールで開催されます。
  今回は「現代フランス文学」について、日仏文化財団主催で2時間講演します。
  午後18時、南原はオタクの街と化した秋葉原を散策しました。
  講演後の熱を冷ましたかったのかもしれません。
  途中咽の渇きを覚え喫茶を探しました。
  どこでもよかったのですが、なんとなく惹かれたロゴは、
  メイドカフェ白山。
  雑居ビルの2階にあがり店の扉を押し開くと、
  「いらっしゃいませ!」
  若い女性の輪唱に迎えられます。
  ウエイトレスとおぼしき数人の女性が60度の角度で辞儀。
  そろいのメイド服に身を包み華やいでいます。
  異次元に迷い込んだような不安と動揺が
  瞬時に理性を喪失させ
  四肢を膠着させました。
  席に案内されメニューを渡されます。
  「コースはどうなさいますか?」
  丁寧な言葉遣いです。
  南原は感心しながらメニューをのぞきました。
  各コースが1000円で、
  お姉さまとコーヒーとかツンデレどぇすとか、
  でれでれメイドとか書かれてありますが、
  さっぱり理解できません。
  困惑しながら「お奨めはどれですか?」
  問うと、
  「当店のお奨めはツンデレどぇすコースです」
  とメイド服のウエイトレスは微笑みながら応えます。
  金髪でした。
  幼く見えますが、
  目鼻立ちはすっきりしていて一重の目が澄んでいます。
  短い何重にも重なったように見えるフリルだらけのスカートからのぞく脚は、
  白磁器のような質感でスラリと長い。
  「それでお願いします」
  南原はオーダーしながら観察していました。
  数分後、
  ガチャンという陶器音とともに珈琲がテーブルに置かれます。
  テーブル一面に黒琥珀色の滴が散りました。
  「ほら、持ってきてやったよコーヒー」
  豹変です、
  「は…」
  「は、じゃねぇよ、ありがとう、だろ?」
  「あ…ありがとう」
  「ミルクは入れるの?砂糖はどうなの?早く言えよ!」
  えらい剣幕です。
  「ミ、ミルクを…」
  「まったく愚図なんだから、こっちは忙しいんだからね」
  「…申し訳ない」
  「コ難しい本ばかり読んでるとドンドン白髪が増えるよ。
   おじさん、煙草吸うの?」
  大事なランボー詩集の原書に珈琲こぼしたのは君じゃないか、
  などと南原は、独白しながら、
  「吸いません」
  「あ、そう。なにか追加あったら声かけて」
  少女は去っていった。
  珈琲は正直美味しくはなかったはずですが、
  たとえ美味しいとしても味わうことはできません。
  繊細な味覚が麻痺するほど鼓動の高鳴りがやまなかったからです。
  読書にも集中できなくなりました。
  ドン!という衝撃とは違う、
  これまで体験したことのない
  鋭利な日本刀で身を裂かれたあとに噴き出す血のような感情が、
  みるみる南原を支配しはじめていましたが、
  彼にはそれがどういう情念に根ざすのか解かりません。
  味気ない珈琲を休みなく啜り飲み干しただけでした。
  「どうしたの元気ないわよ」
  少女がいつの間にか傍に立っていました。
  「あ、いや、も、もう帰るから」
  狼狽して舌がもつれてしまいます。
  「さっきはひどいこと言ってごめんなさい。
  ほんとは素敵な人だなと思ってたんだけど、
  つい汚い言葉を投げかけてしまったの」
  いくぶん首をかしげて満面の笑みには謝罪と慈愛が見えました。
  「わたしミューって言うの。また来ていただけたら嬉しいわ」
  頬に紅がさしています。
  「いってらっしゃいませご主人様!」
  南原は照れながら優しい声を背に店をあとにした。

  購入総額がきっちり1億円だった地上12階のマンション、
  リビングで、ワイングラスにブリジッドボルドーをなみなみと注ぎ、
  英国から取り寄せたカウチソファーに横たわり、咽を潤す。
  カマンベールチーズをかじりながら、
  南原は惚けるように夜空をながめていました。
  夜空はどこまでも深く紫紺になずみ、
  ちりばめられた星のきらめきが馳走でした。

  電話のベルで仮寝を破られます。
  受話器を取り上げて耳にあてると、
  「もしもし南原さんのお宅ですか?」
  若い女性の声、
  「はい、そうです」
  「あ、先生ですか?あたしですミュー、メイドカフェ白山の」
  「はい、覚えていますよ」
  「先生、手帳と免許証なくなってない?」
  「あ、待ってください確かめます」
  南原は寝室のクローゼットに吊り下げられた背広の内ポケットを調べます。
  ありません、スケジュールを書き込んだ手帳と運転免許証が。
  「はい、どこかに落としたようです」
  「ここにあるもの、今から持っていこうか?」
  「いえ、明日、お店に伺いますからその時にでも」
  「ベランダに出て下を覗いてみてよ」
  言われた通りベランダから見下ろすと、
  「おーい!!」
  金髪の彼女が玄関ポーチの両脇に花壇に座り手を振っています。

  「大学の先生だったんだね、あ、ごめん、手帳の中見ちゃったんだ」
  「かまいませんよ、それよりも、わざわざ届けてくれてありがとう」
  「うーん、この珈琲美味しい」
  ガーナ産のモカ・マタリでした。
  「どうしてあんな店に来たの?」
  「いや、あんなコンセプトの店だと知らなかったんです」
  「楽しかった?」
  「い、いや、パフォーマンスはともかく、君と話せて楽しかった…」
  素に戻る彼女。
  「あ、別にそういう意味じゃなくて、とにかく、君のことが印象に残った…」
  彼女が立ち上がり、食卓にのぼり猫のように這いながら、
  南原の肩をつかんで降りると脚を開いて膝の上に坐りました。
  「あたしも先生のこと好きになっちゃったんだ、ホントよ、オタクの若い客
   ばっかでウンザリしてたの、だから先生がとても新鮮だった」
  汗が止まりません。
  鼓動は高鳴り声も出ませんでした。
  「あたしと寝てみる?」
  返事は彼女の口唇に奪われてしまいました。

  その夜からひと月が過ぎました。
  ミューは毎週土曜日に南原の家を訪れ日曜の朝帰っていきます。
  南原にとって初めての女性でした。
  これが恋なのか、曾て経験したことのない世の中の事象すべてが
  鋭敏に反応してしまう感性がありました。
  月を見ても、雨を見ても、雑踏に咲く花でさえ、
  はかなげで愛おしく思えてしまいます。
  吹きつける風に彼女の匂いをかぎ、
  目をつぶると裸になった彼女の放恣な影が明滅します。
  南原は物思いに耽るようになっていました。
  そのさまを比喩する美しい字句がありますね、
  そう、南原は、惚(ほう)けていた、のです。

  そんな或る日、マンションの一階ロビーにある郵便ポストに、
  宛名と差出人のない茶封筒が投函されていました。
  部屋で開封すると、たくさんの写真が入っています。
  南原とミューとが全裸で抱き合い愛し合う生々しい画像でした。
  「いったい、誰が…」
  4つ折りの紙片にメッセージが印刷されていました。
   ”ネガを200万で買ってください。金は3日後までに用意し
   4日後渋谷のハチ公前午後9時に持ってきてください。
   警察へ報せればどうなるかは言うまでもないですね”

  南原は定期預金を解約し、
  4日後、渋谷のハチ公前で背中から振り向かないようにと指示する男に、
  金を渡し、ネガとCDを貰いました。
  これで大丈夫、南原は安堵して渋谷を離れました。

  ですが、翌日大学の正門掲示板に南原とミューの写真が
  掲げられていたのです。
  数十人の学生がそれを面白可笑しく批判する騒めきは、
  南原には最早聞こえませんでした。
  理事会に呼ばれ、真偽と仔細を尋問されます。
  南原は謝罪、辞表を提出し、受理されました。
  学長室を後にする南原に後悔の念は感じられませんでした。

  その日の夜、南原はミューに出来事のあらましを説明し、
  「ごめんね、全部私が悪かったのです」
  と深々と頭を下げた。
  「大学やめちゃったの?」
  「私にも恥の観念はあります。でもねそんなことはどうでもいいことです、
   私だけならまだしも、君を傷つけてしまったことが残念でなりません」
  「ちょっと待って、それってどういう意味なの?」
  「君の裸体が学生たちとはいえ公衆の目にさらされてしまった。
   どんなことでも償いますから、叱ってください」
  「何言ってんのよ、あたしなんかどうでもいいじゃんか、何、償うって」
  「若い君の将来を傷つけてしまった罪は重い。
   許されることじゃない」
  「信じらんない、あたしがグルだってこと疑わなかったの?」
  「え?」
  「あなたはバカよ、そんなのあたしが協力しなきゃ写せる訳ないじゃない、
   そんなことも疑わなかったの?」
  「はい、疑いませんでした。いいえ、それを知ったとしても、君に罪はない、
   君を傷つけてしまったことにかわりはありません、悪いのは全て私です」

  血相を変えてミューは部屋を飛び出していきました。
  口を付けていないコーヒーカップから幽かに湯気がたゆたっていました。

  その翌日、警察からの呼び出しがありました。
  ミューが自首し脅迫事件が明るみに出、犯人はすべて逮捕されたとのこと。
  「彼女は、服役しなければならないのでしょうか?」
  刑事もあきれる質問を南原はしました。
  「あなたには被害者意識がないのですか?」
  刑事が問います。
  「正直ありません、私には当然の罰だと思っています、しかし、彼女に
   罪はありません、悪いのは彼女を誘惑した私です」
  ますますあきれた刑事は、
  「自首ですし、捜査に協力してくれましたことと深く反省していることを
   考えますと、すぐに釈放されると思いますよ」
  そう親切に予測を教えてくれました。

  数日後、警察署の前に、ミューと警察官の姿がありました。
  膝まではねかえるような激しい雨がふっていました。
  「傘貸してやろうか?」
  警察官が訊きました。
  「いいえ、濡れて帰ります」
  そういってミューはお辞儀して警察署の入り口まで
  濡れながらとぼとぼ歩きます。
  水の中を泳ぐような雨の滴が、視界を薄紫色に霞めてゆくその先、
  黒い影がひとつ佇んでいました。
  「待っていましたよ、お帰りなさい」
  「せ、先生!」
  「よければ、私のところにしばらく居てくれませんか?」
  涙が視界をいよいよ晦ませ、からだの底から押しよせる激情がミューの声を
  消し去りました。
  「傘もってきました、はいどうぞ」
  差し出す南原の右腕をすりぬけたミューは南原に抱きつきました。
  「要らない、一緒に入るから」
  「はい、帰りましょうね、しばらく私の家に居てくれますか?」
  「しばらくなんて、ずっと居ていい?」
  「はい、ずっと一緒にいてください」
  「もうー、ホントに鈍いんだから、先生、アタシプロポーズしてるんですよ」
  「え?そ、そういうことは、いや、ということは…」
  狼狽する南原の声はミューのくちずけに消されました。
  ながいベーゼが続き、
  「ミューさん、私と結婚してください」
  返事は書くまでもないですね。
  

 
         もうひとつの心が
         わたしのなかにある
         それは人恋しさに
         いつでもふるえている
         心にしまい込む
         悲しみの数を
         数え疲れたときは
         ただたちすくむだけ
         こんな日はいますぐに
         あなたに会いたい

         もうひとつの季節が
         わたしの中にある
         それはひととの出逢いや別れを
         かわりゆく
         わけもなく疲れて
         町の騒めきに通りすがりの優しさ
         求めるわたし
         こんな日はいますぐに
         あなたに会いたい

                         ティナ

                弘兼憲史 黄昏流星群より



  
  
  
  
  
2009 08/30 18:55:06 | none
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金曜の夜帰る

   白い長椅子で横になり
   BlondieのMariaを聴きながら
   大沢在昌の天使の牙を読んでいたら
   ヒロインの神崎はつみがどうしても
   だれかに似ている気がしてきて
   気になって気になって
   どうしても思い出せない時に
   ふと窓辺の
   うすくれないに小さな花をつけた木瓜の小鉢を見つけたら
   約束を思い出したんだ
   小説は
   まだ2章しか書けていなかったけど
   ひょんなことで思い出しちゃって
   まったりもしてられなくなってさ
   ヒロインがだれに似ているかなんて
   すっかり忘れちゃって
   煙草をくわえながら
   メールボックスをくまなく探したよ
   どこかにあったはずさ
   見逃さないようにひとつひとつ件名を読みながら
   見つけた時には日が暮れていた
   そうだったね
   君だったんだね
   似てたんだ
   はつみがもっていた容姿ではなく
   あらがえなかった彼女の月日が
   君に似てたんだ
   だから
   君と
   そんなにはっきり
   約束したわけじゃないけど
   スターリングZippoで火をつけて
   深く吸いこんだ紫煙がまどろむと
   肩の力が抜けたみたいにさ
   なんだか無性に逢いたくなってきて
   胸がうすくれないに満ちあふれ
   マフラー巻かなきゃね
   外は今夜も冷えている
   煙草とライターと鍵と皮の手袋
   ステューシーのダッフルコートを羽織って
   あわてない
   ゆっくりとゆっくりと
   満ちてく月でも見上げながら
   金曜の夜帰る

    だいじょうぶだよ   
     ふところのナイフは研いでないから
2009 08/16 11:48:18 | none
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  「花岡ジッ太、14歳、5月13日生まれ、B型、独身、何故か子供がふたり」

  中学1年の春、
 初めての生徒会立候補立ち会い演説会は、
 春光ふりそそぐ運動場で、
 3学年36クラスのべ1620名の生徒の前、
 壇上にのぼった2年生の第一声がこれでした。
 失笑と痙笑が揺れながら波状に伝染し、
 絶笑へと変ずるのに、
 数秒も要しませんでした。
 立候補者はそれから公約らしきものを論じたと推測しますが、
 記憶にのこっていません。
 彼は、勇躍、当選し、
 2年生にして生徒会長に選出されました。

 翌年、再び彼は生徒会選挙に立候補しました。
 昨年同様生徒会長候補でした。
 2年生になっていた私もふくめ全生徒は、
 恍惚とした期待にふるえていたでしょう。

 「花岡ジッ太です、ぼくの持ち時間は5分です。諸君、隣同士で私語雑談してください、
  僕は何もしゃべりません」

 彼は宣言どおりまったくなにも喋りません。
 最初の1分は、
 多量の溜息が広い運動場に湧き、
 大気を歪めるうめき声となりました。
 次の1分以後、
 彼の目的に気付いた生徒たちが目笑に感嘆を帯びさせ、
 絶笑にはぜました。
 冗談やない、立候補してなにも喋らんとはなにごとか、
 そう注意する教師もいず、
 陶然とした笑いをうかべる始末で、
 ながい3分間、
 3300の瞳が彼を見守っていました。
 彼は記録的票数を得て再選しました。

 漫画のように思えるでしょうけど、
 実際に起こった風景です。
 彼がどのように生徒会長を2年つとめたのか、
 覚えていません。
 ソツのない無難な所業ほど、
 印象に残らないものですから、
 彼は申し分のない生徒会運営をつづけたのでしょう。

 今思い出せば、
 彼の風貌は小泉元首相に似ていました。
 そう、
 あの系統の顔は、
 こういう人の度肝を抜くような発想に秀でているのでしょう。

 何かやってくれる、
 何か驚かせてくれる、
 そういう期待は、
 政治に関係なく
 私たちの日常的な内からふくらんでくるものです。

 さて、3年の春、
 彼のいない生徒会選挙が行われました。
 開票後、
 選挙管理委員会から36名の担任教師に
 緊急の文書が渡されます。
 「今回の選挙は無効となりました。
 無効票の数が1000を超えています。
 立候補者の名前をきちんと筆記するよう宜しくご指導下さい。」
 中学校創設以来、
 未曾有のできごとでした。
 学校側としても座視できず、
 指導者としての能力が試されているかのようでもありました。

 教壇に仁王立ちする担任は私たちに下問しました。
 「『バットで頭を殴るのは危険だ』これ書いたん誰や!?」
 「僕です」
 ひとりの生徒が立ち上がりました。
 「『すけべえと変態は違う』これ書いたん誰や?」
 「僕です」
 「『ジュリー』これ書いたん誰や?」
 「わたしです」

 この調子で、担任はクラスの無効票の筆記者を特定していきます。
 私も立ち上がり、
 ジロリの一瞥をいただきました。
 人の怒気というものは、
 その表情から読み取り伝わるのか、
 表情を読んだあとの内なる状況分析によって生じるのか、
 そのころの私には解っていませんでしたが、
 一瞥から投げつけられた余韻は重く冷たいものでした。
 私が投票用紙に書いたのは「なし」です。
 選ぶ候補がいないから、なし、と書きました。
 興味深いことに、
 白紙の無効票はほとんどなかったようです。
 要するに、
 皆、投票用紙を無駄にはしなかった、
 何かを書いて意識的に無効票としたのでした。

 45名中、38人の無効票の投票者を特定し終えた担任の憤りは、
 南東に面した教室の窓ガラスをふるわせるくらいでした。
 「先生、どうして無効票がいけないのでしょうか?」
 こういう素直な疑問を呈せなかった私は、
 他の生徒同様に不服ながら、
 担任の説教をだまって聴きました。

 1週間後、投票がやり直されます。
 今度の無効票は300。
 有効票が過半数を超えたという判断が選管でなされ、
 生徒会長と生徒会役員が選出されました。

 生徒である以上、投票するのは義務である。
 拒否は許されない。
 無効票を投ずる事は校則違反である。

 そこらじゅうで今も耳にする理論ですね。
 本当にそうなのでしょうか?
 腑に落ちなかった私は生徒手帳にある校則をくまなく探しました。
 ですが、無効票を投じてはならない、という規定はありません。

 花岡ジッ太が立候補していれば、
 このような椿事は起こらなかったでしょう。
 彼がいるのといないとのどこが違うのか。
 それは生徒たちがいかに彼に魅力を感じたかによるでしょう。

 真面目が悪いのではありません。
 公約が悪いわけでもありません。
 では何が悪いのか?
 魅力がないことが罪だったのです。

 小泉が安倍に首相の座を譲り、
 福田を経て麻生が総理大臣となりました。
 さて、
 皆様、
 14歳の私が感じた空虚な飽和感を感じませんでしたかここ数年?
 私は感じているのです。
 魅力のない者を選出するのは辛い事です。
 小泉の政策が悪いとか、
 どこそこがいけない、
 とかの批判は簡単です。
 文句があるのなら、自民党に投票しなければいい。
 投票しなければ、
 自民党がしでかす数々の失政失策に責任を感じることはありません。

 投票という行為は、
 責任を持つということを自覚し、覚悟しなければならない、
 と私はつねづね考えています。
 国政に参加するという行為は、
 投票する行為だけで果たされるものではなく、
 選出した政党や政治家に対しても責任を持つということでなければなりません。
 
 国民の義務だからという、
 しかつめらしい優しい論理に耳を貸さないでくださいね。
 そう言う人たちは憲法を理解してはいません。
 それこそ、
 国は国民によって成り立っているという絶対的論理を
 ねじ曲げて解釈する佞論です。
 投票する政党も議員候補もいないのに、
 無理に意中ではない者に投票する行為を、
 国民の義務だと平気でのたまう頭脳構造を信じないようにしましょう。

 選ぶべき人がいないのだから投票しない。
 それは、
 当然の権利であるべきであり、
 何と言われようが誤ったことではありません。
 絶対的真理は、
 いかなる利便や事情に左右されてはならぬものです。

 投票率が50%に満たない選挙は無効です。
 しかし、
 現実はそれでも当選者が出ている。
 過半数の国民が選出しなかった候補者に、
 国民代表の任を与えるわけにはいきますまい。

 選挙で議員が選ばれないと、
 国会が成り立たなく、
 緊急の立法が行えない、
 と発言する議員がいました。

 そうでしょうか?

 一度も選挙が無効になった経験のないあなたに、
 どうしてそうなると断言できるのでしょうか?

 私は一度は、このような未曾有の混乱があってもいいと考えています。
 そうしなければ、
 日本の政治は変わりはしないとずっと思案していました。

 しかし、今回の選挙でも、
 無効票や投票しなかった有権者の意思は無視されるでしょう。
 そして投票した有権者たちも、
 撰んだ議員に責任をもちはしないでしょう。

 何故、責任をもとうとしないのか、
 何事かを選るという行為には、
 何度でも書きます、
 大変な責任が生じます。
 責任が嫌なら、撰ばなければいいのです。
 撰んでしまった以上、
 選んだ人には、重い責任を担わなければなりません。
 それが国政参加であり、
 屁理屈論者が謂うところの、
 国家への意識でしょう。

 以前、私は「大義の春」という作品を書きました。
 そこで成田紛争のことについて色々と私見をのべました。
 福田内閣下に於て行われた恥ずべき強制執行には、
 福田総理をはじめ自民党に投票したすべての有権者にも責任はあるのです。
 それを自覚できないからこそ、
 選んだ人が悪政をおこなっても陰で批判するしか出来ない事になってしまう。
 では、自民党を選んだ全ての有権者に成田における数々の残虐行為を
 正当であったと賛同しないまでも反対しない旗幟の鮮明さがあるのなら、
 私は何も言いません。
 あの残虐行為は、自民党を選んだ全ての有権者の意思であったのですから。

 撰んだ者への諌言は必要ですし、欠かすことの出来ない自浄機能です。
 しかし、選らなかった者たちへの懺悔も忘れて欲しくはありません。
 なぜなら、そういった責任転嫁や責任回避こそが、
 現在の政治の腐敗を招いているのですから。

 小泉純一郎、
 わくわくさせてくれる政治家でしたね。
 しかし、
 私は小泉以前も小泉以後も、
 それどころか、この33年間、
 自民党議員に一票を投じたことはありません。
 自民党政権を許せないからです。
 
 あるいは政権奪取を成し遂げるかもしれない民主党も嫌いです。
 鳩山、管、小沢、執行部は元自民党員ばかりだからです。

 私は騙されません。

 花岡ジッ太のような、一般庶民が気軽に立候補できるような、
 そんな国にならないものでしょうかね。

  満面に笑を、トゥース!
  
 
2009 08/09 23:00:50 | none
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  三つのあたいに
  お人形があって
  金色の髪と
  ブルーの瞳が
  不思議

  不思議が二つ
  寄ってきて
  悪意がひとつ
  できました

  パーマネントした金髪を
  鷲掴みに
  ひっぱると
  からだが
  ついてくる
  
  にらみつけても
  ふりまわしても
  たたきつけても 
  まだまだ
  ついてくる

  悪意の右翼は
  蛇で
  悪意の左翼は
  サソリなの

  両翼をなくした
  悪意は
  慈愛にかわる
  
  だから
 
  お泣きなさいな
  なみだを
  たくさん
  お流しなさいな
 
  あなたは
  女の子なんだから
  ママの言うとおり
  しずかに
  なさい
  上手にできたら
  こっちへおいで
  膝の上
  おすわりしたら
  いっぱい
  抱きしめてあげましょう

  三つのあたいに
  お人形があって
  金色の髪と
  ブルーの瞳が
  不思議
  
  
2009 07/25 00:14:18 | none
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よくわかっているよ、
   あの狂おしい青の時代に、
   もっと懸命に勉強していたら、
   もっともっと行い正しくふるまっていたら、
   おれもいまごろ家をもて、
   柔らかいねだいで寝ていただろう

               フランソワ・ヴィヨン「遺言書」より


 好奇心ってのはそもそも薄っぺらなしろものじゃない、
つまり知りたいって欲望は思うよりずっと思いあぐねるもので、
気になることはどうしたってそのままにしておけないってところが人間にはあるものだ。
世界一のグランシェフに天才と言わしめたおじいさんが、
どうして毎日コンビニ弁当を食べているのか、
そこには想像を絶する何か、
ワクワクするくらい痛い過去があるに違いないのです。
他人の苦痛は断言してもいい、
ラ・ペルーシュのお砂糖を3個放り込んだブルーマウンテンナンバーワンの珈琲より甘い。

まぁそんなわけで、
ヒロミとふたり、コンビニで待ち伏せることになったのだ。
おじいさんが現れる。
背中をポンと叩くヒロミ。
「先日のシチューのお礼がしたいわ、イッペイ・タテマツさん」
じいさんの眉間に予期しなかった驚きの蒼い剣(つるぎ)が立つ。
そうでなくっちゃ。
嫌悪感なんて意識してちゃ生きていけない。
腕を取り、いきつけのウナギ屋に強制案内。
逃がしてなるものか。

「これはうまいな、こんなしっかりした蒲焼きを食べるのは何年ぶりかな」
じいさんが美味しそうに舌鼓を打つ。
「でしょう?天才料理人にほめられると案内したアタシも嬉しいな」
箸がとまった。
一瞥(いちべつ)が少しだけ険しい。
「どこで調べた?」
「ミッシェル・ソルマンの『味の庭』という本の中に筆者とあんたが並んで写っていた」
ヒロミが応えた。
「そうか……」
険しさがゆるむ。
葛藤しているまなざしくらいよどむ鏡はない。
だけども、虹彩の波立ちがゆっくり底に沈んでいくのを見逃してはいない、
それは意執からの解放なのだから。
「よかったら、聞かせてくれないか、フランスでの修業時代のこと」
ヒロミの依頼に沈黙が応え、
「………40年以上も前のことだから、あまりよく思い出せないが行きがかり上、仕方ない、話しておこう」

――ホテルの皿洗いから修業は始まった。
何年か働いて調理場にたたせてもらえるようになり、渡仏を考えはじめたのが二十歳の頃だ。
数年後ちょっとしたコネを頼ってパリ行きがかないそうになった。
千載一遇のチャンスだ(載という字は、年と同じです。つまり千年にいちどのチャンスってことですが、ちょっと大袈裟ですね)。
西も東もわからない、フランス語も専門用語以外話せない私を雇ってくれたのは、「ル・グラン」というミシュランの一つ星のレストランだった。
修業は甘くなかった。
誰も何も教えてくれない。
東洋から来たフランス語の解らない若者には言葉ひとつかけてくれなかった。
孤独と屈辱の毎日だった――

「そんな状況でどうやって料理を覚えたの?」
せかされるように、訊いてしまう。
話の腰を折るのは失礼だと自覚していながら訊いてしまう。

――実はつまみ食いだ。
鍋に残ったものをちょっとつまむ。
冷蔵庫にあるものをちょっとつまむ。
減ったのがばれてはいけないから、判らない程度に少量口に入れる。
そのひとつまみのソースや料理を舌の上にころがして、
まろやかさや、香りの立ち具合を頭の中にたたき込んだ。
料理を極めたいなら覚えておくほうがいい、
後味が重要であるのはもちろんだが、
口に入れる瞬間こそが腕の見せ所だ。
香りは、その初めての邂逅の印象が全てを左右するといってもいい。
それがあってこその咀嚼中の味に深みが出る。
今想い出してもよく働いた。
朝は五時から仕込みがはじまり、店が閉まるのが午前一時くらい、アパートに帰って床につくのはいつも午前二時を回っていた。
眠ったと思ったら一時間もたたないうちに起こされてシェフと一緒に仕入れに行くこともあった。
平均睡眠時間はたぶん三時間もなかっただろう――

「そういう時代は何年つづいたの?」
「フランスにいる間は常にそういう毎日だった。
渡仏時代の十数年間すべてそうかな」
「ミッシェル・ソルマン氏とはどこで出逢ったんだ?」
ヒロミが訊く。
「三軒目に働いた『ラ・セルヴィエット』という店だ」
向学心がヒロミの目元をみずみずしく澄ませている。

――休憩時間に調理場の片隅でひとり新しい味にトライしていた男、それがミッシェルだった。
当時は私も彼も下っ端だったが、ふたりとも周囲から注目され始めていた頃だ。
彼は私をライバルとして認めてくれたらしく、よく料理について語り合った。
ふたりが話しはじめると朝まで料理談話は続いたものだ。
ああでもない、こうでもない、こうやってみたらどうか、いやそれは合わない、それならこれはどうだ、あ、それならいけるかもしれない、早速明日試してみよう。
とても楽しかった。
彼は日本から来た私になんの差別もなく接してくれた――

「やっぱり差別はあったの?」
「それはあった。ヨーロッパ大陸には今もそうだと思うが、階級意識が根強く残っている」
じいさんの表情に曇りと険しさが現れた。

――当時のフランスから見れば、東洋からやって来た黄色い人間にちゃんとしたフランス料理を作れる筈がないと思っていたのだろう。
私の作った料理も誰かフランス人が作った料理として認識されることがしばしばだった。
そんな辛さに脱落していった日本人はたくさんいた。
希望と不安、栄光と挫折が、常に隣り合わせで渦巻いてるのが当時のパリだ。
ミッシェルはその後三つ星レストランにスカウトされた。
私もブローニュの一つ星の小さなレストランのシェフに迎えられた。
ミッシェルはそれから次々と創作料理を発表し名声を勝ち取ってゆく。
彼の創作料理の半分は私がミッシェルに教えたものだったが、フランスでは全てミッシェルの創作として受け入れられた――

静聴するヒロミの眉間に剣が立つ。

「私は別にそんなこと気にしないで新しい店「ラ・プラージュ」で新しい創作料理を作りつづけた。
そのうち評判が立つようになり、三年後、店は二つ星を勝ち取るに至った」
「ラ・プラージュにはどんな人が働いていたの?」
「あれは小さな店だった。
若いキュイジニエと、接客係のソフィーという女性の三人でやっていたんだ」
じいさんの額が収縮し、鼻孔がせばまった。

――ラ・プラージュはソフィーでもっていたと云っても過言じゃなかった。
接客、情熱、機転の早さ、人柄、どれも抜きんでていたが、なによりも、人としての品性が備わっていた――

「その褒め方からするとあんたと彼女の間に何かあったんだな?」
「ははは、実はその通りだ」

じいさんの表情が一瞬だけ明るくなり、暗くなった。
そういえば、僅かとは云えじいさんの微笑みを見たのは初めてだっただろう。

――私と彼女は愛しあうようになり同棲をはじめた。
彼女は私と結婚したかったんだと思う。
ソフィーとは1年間暮らしたが、私の帰国で終わった……

「どうして急に?」

――昔、宮廷料理人は自分の味を主君におしつけるのではなく、
主君の舌にさからわぬとみせて徐々に自分の味に惹きこんでゆくものが超一流と呼ばれた。
客の肌艶、背腰の具合、オーダーへの嗜好、
ひとりひとりの客を料理人は把握しさじ加減を変えてゆかなければならない。
いちどきりの客ではなく常連として徐々に自分の味に惹きこんでいった。
だが、
生ガキがもとで、食中毒を起こした客が亡くなってしまった。
……すべて、私の、責任だった。
今でもそのことを考えると、心が痛んで、眠れない……。
食材を管理できなかったということは、料理人として最低だ。
ソフィーは落ち込んでいる私を励ましてくれた。
『あなたの所為じゃない。
あの仕入れたカキは他のレストランでも食中毒を起こしている。
わたしたちの管理とは関係がないのよ、そんなに自分を追いつめないで…』
しかし私はもう料理などではなかった……立ち直れなかった……。
それから間もなく私は帰国した。
最愛のソフィーとも別れた……。
以来三十年間、私は料理を作っていない――

「その後彼女から連絡は?」
ひとは誰にでもそのひとだけの大切なロマンスがあるものだ。
「彼女には私の日本の連絡場所を教えていない、それきりだ」
瞳に透明の被膜がかかる。
「ソフィーは私が愛した最初で最後の女性だった。
今、考えるとひどいことをしたが、それ以来私は女性とつきあっていない。
それが彼女に対する、せめてもの懺悔だと……。
私の中では、……完結している」
「もう料理をつくる気はないの?」
「ははは、もう自信は無いさ。以前ほどの舌の感覚もなくなっているし、手元も覚束ない」
「手は動かなくてもあんたの舌はまだ凄い。このままやめるのはもったいないよ!!」
ヒロミが毅然と云う。
「いや、今から調理場に立つ実力はない」
突然、ヒロミが爺さんの前に土下座した。
「お願いだ!!オレに料理を教えてくれ!!あんたのレシピを教えてくれ!!
レシピがダメなら料理人の心得でもいい!!料理をする人間の哲学を教えて欲しい!!
オレは今までうぬぼれていた。
料理なら誰にも負けない自信があった。
しかし、あんたの作った料理を口にした時、自分の愚かさに気がついた。
なんでもいい!!ひとつでもいいからオレに教えてくれ!!」
どうして男って、真剣になると怒ったような話し方になるのだろうか。
じいさんの顔に父親のような微笑みが映えた。

ヒロミの弟子入りが本格的にスタートしたのは数日後からだった。
アタシの部屋が、彼らの厨房に変身した。
ヒロミのアパートは狭すぎて、調理器具が収まらないからだけど、
これからしょっちゅう一流のフランス料理が味わえる贅沢を味わえる。
それはそれでウキウキしてくる。
たくさんの調理器具がわが家に運び込まれた夜、
ヒロミの修業がはじまったのだ。

「私のフランス料理は古典料理の基礎をひたすら学ぶことからはじまる。
その上で基本を尊重しながら、時代に合わせてゆく。
そこのところをしっかり頭に叩き込んでくれ」
凛々しいじいさんのキュイジニエ姿には威厳さえ漂っていた。
「ほうこれはなかなか立派な舌平目だな」
「アタシが今朝早起きして築地で仕入れてきたの」
「舌平目を使った古典料理はソール・ムニエルだけど、今はどのレストランもそんな古い料理は出さねえよな」
「いや、その古典料理の原形を保ったまま現代化してみよう。
ロール巻きにした舌平目のボンファムだ。
先程も云ったように古典を重んじる正当性と新しい味を探す創造性を調和させるんだ。
いいかヒロミ、料理には足し算と引き算のふたつの方法がある。
足し算料理はいろいろな味や香りを積み重ねてゆくだけだが、それだけに、素材のもつ味が損なわれる危険性が高い。
一般に古典料理はこのやり方だ。
引き算料理は余分な贅肉をそぎ落とすことによって素材のよさをストレートにひき出す方法だ。
昔と違って新鮮な素材が手に入るようになった現代では、素材が形式に優先すると言っていい。
つまり私のフランス料理は古典料理の形式を守りながら、素材を生かすにはどうするかを考えることからはじまる。
時間をかけて完成された形式を一度解体して、それを組みなおす難しい作業だ。
思わぬ成功をすることもあるが大失敗することも多い。
極めて知的で頭脳的なゲームと言える。
だから、料理はおもしろい」

料理が完成した。
舌平目のシャンピニョン・デュクセル巻きサバイヨン焼クリームソース。
横にナイフを入れて半割りにして味わう。
ヒロミが先ず試食した。
「あら、どうしたの?」
咀嚼しながら泣いている。
「ちくしょう!!なんて素晴らしいんだ!なんでこんな絶妙の味がだせるんだ!!」

語学を習得しているとラッキーなことにめぐりあえる。
館長から、フランス哲学の古い原書の購入を依頼された。
もちろん、フランスでだ。
二つ返事で承諾して一路フランスへ。

一週間後、78年ムートン・ロートシルトを土産に帰還した。
じいさんとヒロミが高級ワインにぴったりの料理で帰還祝いをしてくれた。
和牛・フォアグラ・仔牛胸線肉のマーブル仕立グリエ、トリュフ風味、豆苗と絹さや添えでお迎えだ。
「凄いなこのワイン」
ヒロミが感嘆するが、お土産はそれどころじゃないよ、
「おじいさん、逢ってみないソフィーと?」
「なんだって、逢ったのかソフィーに?」
含んだワインにむせながらヒロミが訊く。
「ええ、彼女は世界的に有名な食器会社の社長をしている。来週、日本に来るわよ」
「どうする逢うかじいさん?」
大宰が晩年の冒頭に挿入した「恍惚と不安とふたつわれにあり」は
ポール・ヴェルレエヌの「知恵」の一節だったわね、
おじいさんの顔色はまさにそれだった。
選ばれてあることは、恍惚と不安のふたつに祝福されるものなのだ。

     
     選ばれてあることの恍惚と不安とふたつわれにあり
     なおしかも心つつましき祈りにみちて
     おののきて、いきしたり

              ポール・ヴェルレーヌ

 
2009 07/18 18:52:46 | none
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病んだ町をみおろしながら
   野兎が吹き鳴らす
   草笛のようにわらう
   そんな壊れやすい午後に
   君が好きだ

             よしだたくろう

 壊れやすい午後、
 野兎は草笛を吹き鳴らしながら、
 病んだ人々を嗤っていました。

 甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸。
 商のひとたちは、太陽は10個あり、それぞれに名をつけました。
 このひとめぐりの時間を掌統するのが、
 「旬」という神であったそうです。

 天空の旬は野兎にこうささやきかけました。
 「青と赤の草笛を編みなさい」と。

 青は「復活」の色であり、死者の魂を呼びかえす色でしたし、
 赤は、火が赤、木のあかは朱、土のあかは丹で、
 「いのち」の色でした。
 
 野兎は朱と丹を火であぶり、
 若草を煮て青い染料を抽きました。
 あまった赤を染料にまぶし、
 かき混ぜると紫の砂になります。
 さらに水を加えて、
 草笛をつくりました。

 病んだ町は丘の上から聞こえてくる笑い声に耳をすまし、
 死者たちの舞いを観ました。
 それは蜃気楼のように、
 おぼろげで、
 かすかで、
 ほのかに切なく、
 くすんだ笑顔の下にある、
 くるしさとか、
 かなしさとか、
 やるせなさとか、
 わびしさとかを、
 それぞれの胸にふつふつ去来させました。
 
 その幻影はあたかもしずかに語りかけるように
 こうつぶやいているようでした。

 だいじょうぶですよ、
 あなたが愛したあのひとは、
 いまもこうして丘の上で、
 あなたを憂えています。
 しっかりしなさい、
 あきらめないで歯を食いしばって、
 たたかいなさいと。

   病んだ町をみおろしながら
   野兎が吹き鳴らす
   草笛のようにわらう
   そんな壊れやすい午後に、
   君が好きだ。
   

 

 
 
2009 06/14 16:27:14 | none
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ぼくらはいめを語りあい
  懸想に懸想をねじこんだ

  いめの函が月の蒼さにたえず
  風の落とす影にたがいの臓腑を侵しあうころ

  譲ることすら吝(しわ)くなり
  ささやかなことさえくみとるを惜しみ


  触れた指に霜が立ち
  重ねたくちびるに霧氷がおりる

  なのに

  どうしてなんだろう
  はりさけそうなくらい
  こんなにざわめくのは

  あだびととして出逢い
  あだびととしてむつみ
  あだびととしてそねむ

  明証的な認知に萌ゆる
  どうしようもない松露を
  どうすればいい?
  香気がいくらたとうが
  所詮
  そいつは骸炭さ
  
  血が噴き、
  肉がたぎり
  こころが燃えさかるころ

  胸の内にうかぶことすべてが
  燃え尽きる

  灰塵と化した記憶には
  のこるものはなにもないはずなのに

  どうしてなんだろう
  はりさけそうに
  こんなにざわめくのは


夢(いめ)は、草冠と四で羊の赤くただれた目を現し、さらに、
おおいと夕を合わせて、夜の闇におおわれ見えない状態を意味する字です。
夢見ることは楽しいですか?

2009 05/25 20:23:44 | none
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   この斜陽すぎる男にとって
   人生はまことにむごたらしい。
   さびれた血を生気づけるに
   くちびるうるおす蜜がない、

   眼のために、手のために
   てらすランプに油がない。
   超人的な誇りのために
   おもねる野心も見あたらない。

   生きるために、死ぬために、
   みずから選んだ妻もない。
   苦痛に耐えて忍ぶため
   しばし見とれる妻もない。

   心のために、肉のために
   湧き踊るあそび女たちもない。
   地獄を恐れまいがための
   宿札さえもない。

   いくら苦悩を払ってみても
   天国へ行く「あて」もない。
   なにもない。
   いやいや、ただひとつ、
   「慈愛の心」がのこっていた。

    刺すごとき 
    侮辱に宥恕でむくい、
    ほうけた顔の
    復讐をば放擲する。

   比翼にあじりやって来る
   悪意に対して善意を酬い、

   考えてやり、察してやり、
   それぞれの身になってやり、
   恥をしのび、
   つねに心はひろやかにしめやかに、
  
   こうしていたらなにかしらある温情が
   疲れた心のために光るだろうか
   斜陽すぎる男のために
   やがて人生もほほえむだろうか。

 ポール・ヴェルレーヌは
 デカダンスの元祖と仰がれているらしい(評論家ってのはどうしてこうも括りたがるのか理解できないのだが)。
 デカダンス、その語には
 頽廃、堕落、虚無、耽美、病的、怪奇、おぞましいばかりの形容が並ぶ。
 ボードレールやランボー、ワイルドなどもこの派か。
 裏の裏は表だが、ひっくりかえることはないらしい。
 堕落の堕落はより堕落ということだ。
 その証明のために、
 すこしだけ彼の来歴をたどってみよう。
 1844年3月30日に彼は生まれた。
 十日余の月が夜空に輝いていた。
 14歳、ヴィクトル・ユーゴーに習作を送り、ボードレーヌに感銘を受ける。
 22歳でフランス文壇(それは文学を志す者にとっては特別な世界である)にデビュー、
 26歳で結婚、一子を設けるが、
 27歳のときアルチュール・ランボーに出合い、ひとめぼれ、妻子を棄てた。
 この奇しき出逢いを運命と呼ぶのか宿縁と呼ぶのかどうでもいいが、
 28歳、痴情のもつれに激昂し、ピストルでランボーを撃ち破局、彼は牢屋へ送られる。
 31歳、英国で教職につくが生徒(美少年です、もちろん)にベタボレしてしまい解雇される。
 彼には、もともとそういう性癖(ホーモーってこと)があったのだろう、
 生徒との関係は学校を石もて追われた後37歳まで続く。
 美への憧憬は時として恋という錯覚を魅せることがある。
 しかし彼のこの性癖がそうであったならばそれは剥落という地獄をもたらす。
 何故ならば永遠に「恋」を彼は理解できないからだ。
 40歳に出した「呪われた詩人たち」は全く売れず貧窮したあげく、慈善病院に収容される。
 42歳、場末の娼婦の情夫となる。
 48歳、娼婦に浮気され、慈善病院に入院。
 49歳、別の娼婦と恋仲になり、退院するが、先の娼婦と仲直りし同棲を始める。
 50歳、この偉大なる才能は、娼婦に看取られて死去する。
 死出の夢はマドロス踊り、テンポよく脚あげ腕ふり地獄へむかう。
 晩年(40歳以降だろうか)、街角で詩を即興して得たわずかな金を握りしめ場末の酒場に走った。
 苦しい過去を茫洋とかすませ、辛い現実を甘美な桃源に変える酒は、確実に彼の命を蝕んだ。
 愛憎に削ぎ落とされた才能がつむぐ言葉はどれほどの域に達していたのか誰にもわからない。
 わかることは、
 人生は彼に決してほほえまなかったことだけだ。

    冬は終わりになりました
    光はのどかにいっぱいに明るい天地にみなぎって
    ぼくらの希望はみなどれもかなう季節になりました。

 26歳の時の詩の一節だ。
 盛りの過ぎた売女たち。
 男の心を誘うものなど見つかりそうもないうば桜。
 ただいたずらに騒々しく、欲の皮のつっぱった女たちに囲まれて、
 卑俗な世界に身を沈める痴人の歌を書きなぐる。

    心静かに話しかけると心静かに応えてくれる
    声を荒げて小言を云うと不思議にあなたも声を荒げて小言を云う
    僕が倖せだとあなたは僕以上に倖せらしい
    すると今度は倖せなあなたを見て僕が一層倖せになる
    僕が泣いたりするとあなたもそばへ来て泣き
    僕が慕い寄るとあなたもやさしくよりそってくれる
    僕がうっとりするとあなたもうっとりなさる
    すると今度はあなたがうっとりしていると知って僕が一層うっとりする。
    知りたいものだ、僕が死んだらあなたも死んでくれるだろうか、
    あたしのほうが余計に愛しているのだからあたしが余計に死にますわ、
    そう応えてくれるだろうか。

 彼に死を贈ったのはリューマチだった。
 「天の救いも、人の扶けも、神の誘いもない」孤独な死だった。
 彼が身罷るその数刹那、圧するように浴びたであろう「その頂」の光を、
 どれだけたくさんの詩人たちがあこがれただろうか。
 そう、彼は、到らないまでも、「その頂」を間近で体感したと、私は信じたい。
 希わぬかぎり道すら標されない「その頂」は、
 天才においてなおこれだけの苦境を強いる。
 彼の詩は、血と涙とひと抱えもある絶望で書き記される。
 つまり、血と涙とひと抱えもある絶望で書き記せない詩人はニセモノだということだ。
 仕合わせの裏にあるもの、豊かさの裏に巣くうもの、よろこびの影でふるえるもの、
 それらが言葉を「他の何か」に変える。
 変えられた言葉らしきものはつらなり編まれて「詩」となってゆく。
 それが「詩」だと私は信じている。

 

 

 
 
 
 
 
 
 

2009 04/30 11:03:19 | none
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   羿なんぞ日をいたる
   烏なんぞ羽を解く

               屈原「天問」


むかし、羿(げい)という神がいた。
弓の名人とされている。
史記には二人の羿が違った時間軸に現れて混乱させられるが、
古いほうのゲイのお噺をしよう。

あるとき、天帝の10人の息子たちがイタズラを企てた。
息子たちは皆太陽だったらしい。
一人がかわりばんこに天空にのぼる。
何万年もやってると飽きてくるのは神様もおなじようだ。
10人一緒にのぼってみようと誰かが言い出し9人が即座にのった。
イタズラは、どんなときも楽しい。
おやじにもおふくろにも黙ったまま天空に10個の太陽が煌めいた。
そのまぶしさは半端じゃない。
なにせ、灼熱だ。
作物は枯れ、地はひび割れ、海も川も乾いてしまう。
とても人は生きていけない。
地上の聖王だった尭(ぎょう)は天帝に祈った。
天帝も息子たちのイタズラとはいえ放ってはおけない。
一案を講じてゲイを呼んだ。
「人民のために服務してこい」
ゲイは命じられ、妻とともに下界に降り立った。
妻の名は、嫦娥(じょうが)という。
アフロディナほども美しかったのだろうか、
なにせ天界人、女神だ。
夢は美的なほうがいいに決まってる。
ものすごく美しかったことにしておこう。

ゲイは10本の弓を用意し、つがえて天空の標的を睨んだ。
地上の聖王のギョウは慌(あわ)てた。
10個もあると迷惑至極だが、全てなくなっても困る。
部下に命じそっと一本の矢を隠させた。
必中の矢は、9の太陽を射落とした。
いっこの太陽がのこった。
ゲイはついでに地上の猛禽類や大海ヘビなどもことごとく退治した。
下界に安穏な日々がおとずれる。
大手柄。
意気揚々と天帝に報告した。
だが、天帝は激怒していた。
可愛い我が子を殺されて怒り心頭に達している。
あげくゲイを神籍から外してしまった。
神の世界にも戸籍はある。
あわれゲイ夫妻は、神の特権を失ってしまった。
天界にはのぼれず、永遠の命もない。
いずれ人間のように死を迎えてしまう。
地獄にだって落ちるかも知れない。
それだけは我慢ならなかった。
ジョウガは夫に食ってかかった。
「あんたはなんてバカなの!我が子を殺されて誉めてくれる親がどこにいるのよ!」
女神といえども癇癪持ち(ヒステリー)であることは人と変わらない。
「そんな叫ぶなよ、なんとかするから」
人間の男のように、ゲイは情けなさを露呈する。

家(仮住まいだろう)にいられないゲイは人間の女と浮気をした。
これがまた性悪だったようだ。
おまけに夫もちである。
性悪女は、どうしてだろう、皆、美しいと相場が決まっている。
熟れた口唇からささやかれ声は男を恍惚とさせる。
一度でもうっとりしてしまえばもういけない、無理難題をきかされる羽目になる。
邪魔な夫を殺してともちかけられた。
天帝の神意を汲み取れずに神籍を奪われたゲイに、
女の底意を推し量れるわけがない。
頼まれたとおり夫を射殺そうとした。
だが名人も矢の誤り?放たれた矢は夫の目に突き刺さった。
夫も黙っていない。
天帝に訴え出た。
にっくきゲイを弁護するはずはない。
ゲイはまたひとつ、天界から遠ざかってしまう。
不倫相手は「間抜け!!」の捨て台詞をのこして去ってゆく。
踏んだり蹴ったりだ。
ゲイはジョウガに頭を下げて許しを乞うた。
それみたことか、と妻の悪態は想像をこえるほど降り注がれる。
無条件降伏の身の上だ、どんな誹謗中傷もがまんしなけりゃいけない。
「かあちゃんすまん、これこのとおりだ(土下座)、許してくれ、二度と浮気しないから堪忍してくれ」
恭順するときはプライドなんか捨てなきゃならない。
女房の足を舐めるくらいの無私さが肝心だ。
なにせ美貌では浮気相手もかなわない絶世なのだ、ここは耐え忍ばねばならない。
つまみ食いはもうしない、と固く心に誓うゲイだった。

あるとき耳寄りな噂を聞いた。
崑崙に西王母という神がいて、不死の妙薬をもっているという。
崑崙は西の果て、険路・険峻で人獣を阻んでいるそうだが、ゲイは人籍に落とされようが元は神である、並の体力ではない、喜び勇んで崑崙へ旅立った。
西王母に逢い、妙薬をねだると、
「あとふたつしかありませんから、夫婦でひとつぶずつお飲みなさい。
ひとつぶ飲めば不老不死となりますし、ふたつぶ飲めば昇天して神になれます」
ゲイは押し頂いて妻のもとに馳せ参じた。
西王母の言葉をそっくりそのまま伝えて、妻の顔の喜色に胸を撫おろした。
「不死で充分じゃないか、地上も楽しいぞ、ふたりで仲良く暮らそうぜ」
ゲイは得意満面に妻に告げた。
ジョウガは「そうね」と応えながら別の思案にとりつかれていた。
――こうなったのはこのバカのせいでアタシにはなんの責任もない。
不死だけで足りるわけないじゃないの。
昇天できなきゃ意味がないわ――

ジョウガはゲイに内緒でふたつぶ飲んでしまった。
あんなバカは勝手に死ねばいいのよ。
自分で蒔いた種は自分で刈ってもらいましょう。
当然の権利よ。
恨みはなにひとつ忘れてはいなかったのだ。
女は、ほんと、恐い。

果たしてジョウガは身が軽くなり、天へ昇っていった。
途中で考えた。
このまま天界に戻れば夫を置き去りにしたことがばれてしまう。
それは、まずい。
ホトボリがさめるまでどこかで休息していよう。
天と地の間に月がうかんでいた。
ここでしばらく身を隠していよう、ジョウガは月宮に降り立った。
ところが月宮で横になっていると体の異常に気がついた。
背が縮み、腹がせりだしてくる。
腰が横にふくらみ、手が曲がる。
重力に押しつぶされそうな圧迫を感じる。
やがて首は肩に埋没し、口が裂け、目が大きくなる。
皮膚は黒ずみ、斑点と腫瘍があちこちに出来てくる。
ゲロゲロ!!
ジョウガは悲鳴をあげたつもりだった。
だが声はつぶれた音に過ぎなかった。
彼女は、醜いガマガエルに変身していた。

これ以降、古代の人たちは月を嫦娥と呼んだ。
観月のたび、世の男どもは置き去りにされたゲイを重ねる。
ゲイは悲嘆に暮れなかった。
天職である弓を人間に教え、村々の若い娘をつまみ食いしながら、
よろしく余生を送っていた。
弟子の中に天才がいて、名を逢蒙(ほうもう)という。
めきめき腕が上がり並ぶものがいない。
だが、師匠がいる限り自分はナンバー2だ。
才能という強欲はつねにナンバー1を強いる。
とうとう逢蒙はゲイを闇討ちした。
あわれ、弓の神様羿はここに間抜けな人生を終焉させた。

飼い犬に手を噛まれる、ということわざはここから生まれたらしい。













2008 04/14 18:54:22 | none
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「ヒロミ、あんた、漫画と料理とアタシ、好きな順にあげてごらん?」
「漫画、料理、最後がおまえ」
これだものなぁ。
アタシの彼氏は、キュイジニエだ。
フランスでは料理を作る男性のことをそう呼ぶ。
青山のフランスレストランに勤めている気鋭の若手だ。
アタシの部屋でたまに作ってくれるご料理にはいつも驚かされる。
料理センスゼロの私が適当に買い込んだ食材の残り物だらけの倉庫となった冷蔵庫を覗き込み、信じられないくらい豊かな料理を作ってくれる。
天才だとアタシは思ってる。
ヒロミは無類の漫画好きで、
週刊誌の発行日には強制連行でコンビニに連れてこられる。
もっぱら立ち読みだ。
30分でも40分でも、夢中で読み耽っている。
ある時、
レジで騒動があった。
いつも会うおじいちゃんだ。
財布を忘れたのであとから代金を持ってくるからもって帰らせてくれと頼んでいるおじいちゃんに、店長は今すぐ取りに戻って支払ってくれ、それまであたためた弁当は渡せない、と融通が利かない。
お金取りに帰っていたらお弁当が冷めて不味くなっちゃうじゃんか。
客商売なのに、いいえ、お年寄りにどうして優しくできないのだろうか。
そういう冷たさが他の客にどういう印象を与えるのか、きっと考えたこともないのだろう。
「アタシが払います」
見かねたアタシは、おじいちゃんのお弁当の代金を支払った。
身なりは貧しくてしょぼくれてはいるが、清潔で、悪い人には見えないし、店長の傲慢さがやりきれなかったせいかもしれない。

やっと漫画を読み終えたヒロミと三人並んで家路を急ぐ。
何度も何度もお礼を言うおじいちゃんを、
アタシは家に誘った。
今朝ヒロミが、田舎から送られてきたイワシを材料にしてパン粉焼きのタルタルソースとクネルラタトゥイエ添えを作ってくれた。
味気ないコンビニ弁当より、ずっと美味しい筈だ。
黙々と食べるおじいちゃん、
「この料理は誰が作ったのかね?」
ヒロミが俺だとこたえる。
「あんたはそういう仕事をしているのかね?」
窓辺に座り煙草をふかしながら、ヒロミがうなずく。
「確かに美味しかったが、気になるところが何点かあるな」
ムッとした表情をかくさないヒロミにおじいちゃんの批評がはじまった。
箸で衣をより分けながら、
「まずこのパン粉、イワシに均等にまぶしてあるが、これは身側だけにまぶしたほうがいい。
そうすれば皮の下の脂肪がよく焼けて溶けるので、青魚の嫌な匂いが残らない。
次にこっちのイワシのクネルだが、これだと”つみれ”になってしまう。
和食にするのなら魚の素材特有の匂いも料理の内だが、フランス料理といいたいのなら、イワシの匂いは残ってはいけない。
イワシは一晩オリーブオイルと香味野菜でマリネして、包丁で細かくたたいてクネルを作らなくてはいけない。そうすれば臭みは抜ける。
練るときはコーンスターチの前に、白ワインと少量のコニャックを加えると完璧だ。
ラタトゥイエは炒める時間が少し長すぎたな。
野菜の甘味がとんでしまった」
ヒロミの顔がこわばっている。
おじいちゃんは立ち上がりながら、
「どうもごちそうさま、お金は後で持ってくる」
とアタシに告げて、帰っていった。
せっかくお茶を入れたのに、食卓の横の窓で、ヒロミが怖い顔で何か考え込んでいた。
どうしたの?
聞く前にヒロミが部屋を飛び出した。
おじいちゃんに追いつくと、
「オレの勤めている店は青山の”グー・エ・テール”というフレンチレストランだ。
文句を言うならそこに来て云え。
あのアパートのレンジでは火力が弱いし、十分な食材も香草もなかった。
このままじゃ気がおさまらない」
おじいちゃんは、返事をせずに、ヒロミに背を向け去った。

翌日、
厨房で下ごしらえに忙殺されているヒロミは、
「みすぼらしい爺さんが来たぞ、ここがどういうところか判っているのかな?」
というひそひそ声を聞き、あの爺さんだと直感した。
店内を覗き込むと、目が合った。
見ていろ、驚かせてやる、とヒロミは気合いを入れ直す。
オーダーが届く。
オニオンスープ、アジのマリネ添え、骨付き子羊ロース肉のロースト、皮付きニンニクと揚げナス添え。
シェフが、
「グッドチョイスだな」
と感嘆した。
「すみませんシェフ、そのオーダー僕に作らせてください」
とヒロミが頼む。
「ワケありか?」
「はい、お願いします」
シェフの承諾を得た。
最初の料理を運ぶヒロミが爺さんの耳にささやいた。
「じいさん、オレの作った料理に満足したら帰るときナプキンを机の上に置け。
不満だったら椅子の上に置け。
それが合図だ」
狂おしいほど待ち遠しい時間が過ぎてゆく。
どうもありがとうございました、
その声にヒロミは店内へ駆ける。
ナプキンは椅子にかけられていた。

夜、
ヒロミはじいさんと出合ったコンビニを張った。
じいさんの買物を隠れて確認し、帰宅する後を追った。
2階建てのハイツ1階にじいさんが入るのを確認し、
部屋の呼び鈴を押した。
「来ると思っていた。
なにもない部屋だが、まぁ、あがりなさい」
背後の明かりでじいさんの表情は解らないが、これまでと変わらない落着いた声だった。
2DKの狭い部屋だった。
「オレの料理のどこが気に入らなかったか聞きたいんだ。
オレはそれなりに自信をもっている」
ヒロミは用意しに狭いキッチンへ入り茶菓子を用意する爺さんに訊いた。
湯気をたてる茶碗ふたつと土産物らしい菓子を盆に乗せ坐るじいさんが応える。
「あのオニオンスープは前の晩からの仕事で、十分に臭みは抜けていたが、残念なことにヴィネガーが少し強すぎた。
あの皿はタマネギのもつ甘味をおさえるためにマリネを添えたと思うのだが、アイデアはいい、だがバランスに失敗している」
「仔羊のローストはどうだった?」
「ローストの巧拙はいかに悪い脂を抜いていい脂を残すかだ。
悪い脂というのは皮に近い部分で嫌な臭みがある脂だ。
いい脂というのは内蔵についた脂だ。
じっくり焼けば悪い脂はとけて流れるがやりすぎると中のいい脂まで逃げ出してしまう。
あのローストはもう少しジューシィに焼かなければならなかった。
君はおそらく、オーブンの途中で鍋にたまった油を上からかけるアロゼの作業を怠ったな。
アロゼは肉の乾燥を防いでふっくら仕上げる効果がある。
これはローストの基本だぞ。
料理をなめてはいかん。
時間と気配りがすべての料理の基本だ。
見ためは立派でもすぐに化けの皮がはがれる」
「あんたいったい何をやってる人間なんだ?」
「なにもやっとらんさ、ごらんの通りの一人暮らしの年金生活者だよ」
ヒロミは打ちのめされる矜持をにぎるように、うなだれて帰っていった。
その打ちひしがれた背中に、
「私が何のために君の料理をあれこれ言ったかわかるかね?」
振り返るヒロミ、
「世の中には料理人がゴマンといるが本当に好きで望んで料理の道に入った者と、ほかにやることがないからなんとなく料理人になってしまった者の二種類がある。
しかしそれで生活している以上、世間はどちらも”プロ”と呼ぶ。
同じプロでも前者と後者は全く別物だ。
作る料理の”格”が違う。
君は粗削りで未完成だが、”格”とセンスは十分備わっている。
百人にひとりいるかいないかの逸材だと私は思う。
だから敢えて苦言を呈したんだ、
普通の料理人だったらそんなことは言わない」
青い液体が体を逆流していく感触をヒロミは感じていた。
「じいさん、あんた今働いていないのと一緒だな、つまり、昼間は暇してるわけだ」
「ああ、そうだが」
「うちの店は毎週月曜日と第二、第四火曜日が定休日だ。
もし何もすることがなかったら、一度オレに料理を作ってみせてくれないか?」

次の月曜日の昼、グー・エ・テールの厨房にじいさんがやってきた。
気楽なフリーライターのアタシもヒロミから連絡をもらい、お相伴させてもらえることになった。
じいさんが最初に始めたのが厨房のチェックだった。
「なんだそんなことからチェックかよ、小うるさいジジイだな」
ヒロミが悪態をつく。
「厨房の様は料理に反映する。
汚い厨房からは雑な料理しかできない」
じいさんの一言一言に圧倒されるような重みがあることを発見した。
ヒロミもぐうの音も出ない。
「ところで今日はなんの料理を作ってくれるんだ?
食材はなんでも揃っているぞ。
フォァグラ、トリュフ、キャビア、オマール、アワビ、ラパン(うさぎ)、舌平目、ク・ド・ブフ(牛尾)、仔羊……」
「じゃシチューでも作ろうかな」
え?とヒロミが驚く。
「あら美味しそう。
シチューならアタシもけっこう得意なのよ」
アタシが横から言うと、ヒロミの顔が微妙に歪んでいた。
……ジジイ、こいつ料理人じゃねぇな。
聞きかじりのただのグルメだ。
それとも、ふざけているのか?
ヒロミの内心が複雑に騒いでいるようだった。
「ヒロミ君だったな、見ているだけではもったいないから、フォン・ド・ボーのあく取りでもやってくれ」
「了解」
ヒロミが従った。
顔の不満が、シチューという家庭料理にあることはアタシにも判った。
「おじいちゃん、フランス料理のコックさんだったの?」
彼女としては助け船をださなきゃいけない。
「まぁな」
「じゃ、少しはフランス語しゃべれるの?」
返事がないかわりに、眉間にしわが寄った。
「ごめん、ちょっとからかっただけだから」
とじいさんの頬にチュをしてあげた・
「ばかもん!!仕事中はむやみにはなしかけるな。
十秒単位の時間と勝負をしているんだ」
「ごめんなさ〜〜い、おお、コワっ」

出来上がったシチューをアタシがテーブルに運んだ。
「私はこのへんでおいとまする。
あとはふたりでゆっくり味わってくれ」
エプロンをきちんとたたみながらじいさんが言った。
「あら、おじいちゃん帰っちゃうんですか?」
「ああ、見たいテレビがあるんだ」
帰っていった。
「ちぇ、こんなお子様メニューをオレに食えってか」
ヒロミの悪態はとまらない。
「あら、せっかくおじいちゃんが作ってくれたんだから感謝しなきゃ」
しばし無言で二人は食べた。
「美味しい!!
家で作るルー入れるだけのシチューと味がちがうわ」
舌鼓を打つアタシの声にヒロミは反応しない。
その表情は真っ白なくらいに蒼ざめている。
「本当に美味しいわ。
バカにしたもんじゃないわね」
ヒロミの眼がまばたきを忘れた。
……これは、凄すぎる、完璧だ、同じ材料で同じ方法でやっても、オレにはこんな味は出せない。
どこが、違うんだ……
「どうしたのヒロミ、不味いの?」
等身大の店望ガラスの前で茫然とたたずむヒロミに声をかける。
「美奈、おまえ大学の図書館勤務だったな?
調べて欲しいものがある」
「何?なんでも言って」
「あのジジイの過去を知りたい。
ひょっとしたら昔は名の通ったシェフかもしれない。
料理関係の本、あたってくれないか?」
「あのひとの名前なんて言ったっけ?」
「立松、アパートの表札にそう書いてあった。
ヒントはそれだけだ」

翌日からの図書館勤務が退屈でなくなった。
次の日の夜、ヒロミのアパートに成果を届けた。
「どうだ、わかったか?」
待ちきれないようにヒロミが問う。
「うん、どうもそれらしい名前を発見したからコピーとってきた」
用紙を渡すと、
「なんだこれ、フランス語じゃねぇか、よくわかんねぇな」
「これはね、ミシェル・ソルマンという人が書いた料理の本なんだけど」
「ミシェル・ソルマン?フランス料理の頂点に立つグランシェフじゃないか」
「そうなの、その人が書いた著書の中にこんな一節があったの。
翻訳するとね、『私の料理哲学において”師”となる人間がいた。
それはジャポネ(日本人)である。
あとにも先にもこんな凄い料理人に出逢ったことがない。
私は修行時代に彼と組んで仕事をしていた。
同じ年齢のその天才料理人の名は、イッペイ・タテマツ』
ここに古いツーショット写真が載ってるわ。
似ているような気もするけど」
白黒の解像度が悪い写真を食い入るように見つめるヒロミがつぶやいた、
「ジジイだ…」

2008 03/18 23:06:15 | none | Comment(0)
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山奥の
さらに奥にある
小さな小さな盆地
ナリヒラ竹の林を東にもち
西にのびるウレシノ茶の畑と稲穂がまぶしい段々畑

浅い河辺で水遊びをする少女が
スカイブルーの空を呼ぶ

 おりてこい
 こっちにきてあたしをアオクしろ

せせらぎのギラギラと
水しぶきのバシャンバシャンと
匂い立つかげろうが
少女の薄桃色のワンピースに光背をかたどりました

はしゃぐ少女の水色の影が
春におぼえた詩を日めくりする

かなしさも
くるしさも

せつなさも
はかなさも

あどけなさも
つたなさも

うめきも
なやみも
わずらわしさも

みんな
やさしい青にとけてゆくようでした

ことばはいつも

優しくないが
辛くはしない

あなたが
もとめるかぎり
それはあなたを裏切らない

いくつもの日がのぼり
いくつもの日が沈むだろう

盛衰はうたかたの泡より淡い

ワタシの中の恋は
満ち欠けする月のあいまに
ただよい
かくれてゆきました

スズカゼが立ち
タソガレがおりて
セイレイが水際をハシると
カワグモが折れ
おおうように
ヤマカゲが背をのばすと
チャノキバタケがオドリだす
さぁ
夏のウタゲがタケナワです
2008 03/15 03:03:17 | none | Comment(0)
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  3歳
  サンタクロースは来なかった。
  5歳
  サンタクロースは私の靴下にだけプレゼントを入れ忘れた。
  7歳
  サンタクロースは神戸屋のキャンディシューズの右足を枕元に置いた。
  10歳
  サンタクロースは同じ神戸屋の右足のキャンディシューズを置いた。
  15歳
  サンタクロースは現金を枕元に置いた。
  18歳
  サンタクロースは手編みのひざ掛けを手渡してくれた。
  20歳
  サンタクロースは「愛しています」と手書きしたカードを配達した。
  24歳
  サンタクロースは天国から届けられた手紙を配達してくれた。
  33歳
  サンタクロースは稚拙な文字のカードを添えた毛糸の手袋を贈ってくれた。
  47歳
  サンタクロースは27年ぶりのひざ掛けを編んでくれた。
  49歳
  サンタクロースは写りの悪いDVDを化粧箱に遺してくれた。

  12月24日深夜、
  北欧・北米の気象観測所は毎年おきまりの行事に胸をおどらせる。
  北極から飛び立つ小さな未確認飛行物体をどこまでも追跡するのだそうだ。

  サンタクロースはいない、
  なんて醒めた子供たち、
  君たちはやがて知るだろう。
  サンタクロースは今もそしてこれからもずっといるのだと。
  だいじょうぶだよ、
  サンタクロースは相手を選ばない。
  きみたちがこれから愛する全ての人たちを訪れてくれる。
  なぜならば、
  君たちこそが、サンタクロースになるのだから。

  皆様、
               
        ・*:.。. .。.:*・゜メリークリスマス・*:.。. .。.:*・゜

  
2007 12/24 07:01:21 | none | Comment(0)
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  風林火山は久し振りに見応えがある大河ドラマです。
  通常の放送は、配役がどうにも好きになれず、
  観ていませんでした。
 
  井上靖の原作は読んでいませんので、
  なんとも批評しづらいのですが、
  今回の番組における武田の軍師、山本勘助の描かれ方は
  説得力に富んでいるように感じました。
  主演の俳優にも慣れてきたことにも要因は求められるでしょうが、
  実際、この「慣れ」は大事なんですよね。
  初対面の人の声も、
  慣れなければ、何を云っているのか解らないことが多いのです。
  適当に返事するのも失礼だから、
  なんどもなんども訊きかえしてしまう。
  隻眼跛行の醜悪な男が、
  ようやく仕官したお館さま、武田晴信の描かれ方も、
  まぁ理解できる範囲だと感じました。

  戦国時代、
  数々の英雄が攅立しましたね。
  甲斐、信濃、越後の
  武田信玄と上杉謙信、伝説の人伊勢新九郎こと北条早雲のながれ北条氏康、
  東海の覇者今川義元、
  戦国時代最高の大才織田信長、中国の覇者毛利元就、四国の覇者長宗我部元親、
  東北の覇者伊達政宗に三河の徳川家康、そして天下を布武した豊臣秀吉。
  
  だが、憧れるのは、
  小さき頃より、ただのひとりだった気がします。
  長尾景虎ことのちの上杉謙信。
  
  生きたいという根源より発する慾が、
  他国を攻め、自国の領土を広げる。
  ひとよりももっといい暮らしがしたいという
  現代でも充分許され奨励される慾に駆られて、
  よき家臣を召し抱えまたぞろ他国へ攻め込む。
  いつしか心中に芽生えた野望はふくらみ、
  その先にあるのは天下統一です。
  慾に限りはなく、
  秀吉に至っては朝鮮にまで攻め込んでしまいました。
  朝鮮史によると、
  現在の日本に対する悪感情の源はどうやらこの出兵に起因するようです。
  嘗ての敵だった新羅も半島統一後は、日本と誼を結びたがったらしい。
  天智・天武・持統天皇の律令政治発足時代の両国の関係は、
  現在からは考えられないほど親密であったといいます。
  大義と小義の違いは明確であるようでいて
  見分けはむつかしいですね。
  善悪ほどの区分けがつかないからだとも云えるでしょうか。
  だからこそ、
  誰しも大義は大善であると胸を張り大声で叫び吹聴する。
  悪事は堂々と明るくやってのけるのがコツらしいです。
  明るい悪事は、正しいような錯覚をもたらせるようですよ。
  扇動家には、詐欺の才能が必要ですね。
  人はみかけにコロリと騙されます。
  第一印象とかいう錯覚の巣窟ですね。
  立派な服に身を包み、
  笑顔を絶やさず、慈愛に満ちた物言いに、
  寸分の落度もない礼節、
  しかるべき免許皆伝の証書をもち、
  ついでに世間に名前が売れていれば、
  もうそれだけで畏敬の念を抱きやすい。
  
  要は、いかにそのような来歴を偽装するかに依るのでしょう。
  節度をわきまえる人物の名が世にとどろくはずがなく、
  立派な衣服に身を包むものが金を欲しがるはずがない。
  よく考えてみればなにかがおかしいのですが、
  聖人たるものの名は世間で噂になり、
  立派な衣服に身を包むものは偏執的に金を欲しがる。

  マルチ商法もそのなりの果てでしょう。
  威厳ある箱を彼らは探し出し根城にします。
  次に清潔で貧しさを感じさせない衣服に身を包み、
  話すことは明るい未来。
  こうすればよくなる、こうすれば悩みは失せる、
  こうすれば救われ、こうすれば健康になれる。
  
  高名さに目がくらんだやからはやっぱりコロリと騙されてしまう。
  この高名というのが大いに曲者なのです。
  たとえば、ここに高名な占い師がいます。
  このものの占いは奇跡的に当たるという。
  そこでワタシが占いを乞う。
  生年月日を訊かれ、応える。
  顔を見、名前を訊かれ、ついでに手相を観る。
  よく云われるのは、水子の霊がついている。
  お母さんにそういうことがありませんでしたか?
  ないのだけど、あるかもしれないと応えると、
  ニヤリ、
  意地汚くほくそ笑んだ口から、
  あなたはこうこうこうでこういう宿命を背負っているから、
  これからはこうして生きていかなくてはいけない。
  般若心経を写本しろだとか、このお札を買い求めよとか、
  先祖の墓を清め、ちゃんと供養し、
  家内のお祓いを至急しなければ大変な凶事に遭うなどと脅される。
  そういう星の下に生まれたのだからその宿命を変えるのは並大抵ではない。
  
  そこでワタシはこう言い添えます。
  実はワタシの生まれたのはその日でもその年でもその月でもないのです、と。
  ここからの反応が面白いのです。
  戸籍に記載されて40年以上その生年月日で世間を渡ってきたのだから、
  もはや本当の生まれなど関係ない、とか、
  正確な生年月日を教えてくれないと占えません、とかとか。
  摩訶不思議、
  水子の霊はどうなったのでしょうか。
  先祖の供養はどうなったのでしょうか。
  ワタシの宿命とかいうのはどこへ行ってしまったのでしょうか。
  その程度で、何万も何十万も金銭を要求する行為は、
  はい、詐欺です。
  大衆扇動においても
  ペテンの才能に秀でていなければなりません。
  なにもしない、したいと思ったこともない人たちに、
  何かをさせるのですから生半可な扇動は通用しません。
  思想というものは宗教的熱狂と紙一重なものですから、
  信じ込ませれば強いのです。

  悪いヤツは滑稽なことに見るからに悪いカッコウをしたがります。
  存在しもしない会社の名刺、
  偽造した免許の証書、
  勝手に拝借した有名タレントの写真を合成しこの会の仲間です、
  いつも飲み食いの支払いは奢ってくれ、
  親身になって相談に乗ってくれる。

  もうこの辺りで相当の人が騙されてしまいますよね。
  まぁ、いい。

  凶作によって明日食べるものもない、
  ならば、隣の村を襲って食料を奪うのだ、
  隣の村だって凶作だったかもしれない、
  ひとにぎりの食料を奪い合う浅ましさは人事ではありません。
  国の当主が積極的にそれを奨励する、
  ありもしない太鼓判を押された百姓たちは武器を取り、
  隣国に襲いかかる。
  慾とは、かなしいものですね。
  潔く餓死するひとなんているでしょうか。
  いないでしょうね。
  いないとしても、それをわれわれは責める権限をもっていません。
  何故なら、それは、生きる、という人の本能に由来するからです。
  慾を利用すると人々は踊る。
  油を注げば踊り狂う。
  ならば扇動すれば富を得るのも夢じゃない。
  麻原ショウコウも織田信長も、
  別物に見えて、やることはよく似ています。
  でも、信長は本物ですからまだいいほうでしょう。
  ニセモノに躍らされ、
  偽りの大義の前に命を落としたら悔やみ切れません。
  
  信長がやった比叡山焼き打ちや一向宗門徒の大虐殺、
  秦の兵士10万人を生き埋めにした項羽、
  亜米利加が戦争終結のためという大義を掲げて広島長崎へ投下した原爆、
  沖縄戦では一般市民の死傷数が日米の兵士よりも多かったのです。
  南京虐殺を今なお責める中国だってかつて南京以上の虐殺をわが日本に行ってきました。
  南京南京というまえに、自分がしたことは過去のこととすっとぼけてしまうのでしょうか。
  問うなら、問われるべきなのです。
  その覚悟なくして他人を毀誉褒貶してはなりませんよね。
  自分の姿は、鏡にてらさねば見えないものです。
  人を責める前に先ず自らを糺す態度こそが
  大義なのかもしれません。
  
  大義名分。
  勝てば官軍、
  ひとりを殺せば殺人者だが、
  100万人を殺したら英雄だ。
  ほんとうに、そうなのか?
  そんな屁理屈が大手を振って
  まかり通らせてかまわないのでしょうか?

  今の亜米利加さんもそうですが、
  我々の欲望は、昔も今も全く克服できていません。
  統一されることによって争いはなくなり、
  全ての人民に平和と安息がもたらされると
  本気で信じる英雄もいたでしょう。
  現在もなお罪のない人々が大義の名の元に虐殺されていることは、
  皆様ご存知のことでしょう。

  違う、のです。
  人殺しに大義などがあってたまるものですか。
  人殺しになんの善が宿りうるのでしょうか?
  ひとり殺しても100万人殺しても、
  人殺しなのです。
  数の多い少ないじゃ絶対にありません。

  だが、謙信は少し違いました。
  彼の戦は、正義でしか発されない。
  正義、
  現代において尚気恥ずかしさなしには語れないこの定義は、
  謙信の時代においては一層希有であったはずです。
  清濁合わせ持つ器量こそが人物であり、
  英傑であったことは、現代も変わりません。
  だが、現代よりももっと露骨な強欲が奨励され、
  許されていた戦国時代においてその潔さは驚愕に値するでしょう。
  
  天下は望まない。
  領地も増やさない。
  ただ、他国を攻め盗るものを誅伐する。
  強欲に鉄槌を下し続ける。
  毘沙門天への祈願に、
  女犯を戒めと誓言し、
  ストイックなまでに守り通す。
  関東管領家から救援を求められれば、
  自前の兵糧で関東に乗り込み北条を討つ。
  見返りの恩賞など求めもせず、授かろうとすれば断固拒否するのです。
  世にこれほどのバカヤロウがいるでしょうか。
  好敵手信玄を親を追い出した非道なるものとひとことで切って捨てる鮮やかすぎる審判には、
  開いた口がふさがらなくなるくらいです。

  無論、
  謙信も人殺しです。
  正義があっても、
  人を殺せば人殺しです。
  この絶対法理は今の法律の根幹をなしていますよね。
  つまり、
  殺しても、殺されても、
  死なねばならない太古よりの掟がある筈なのですが、
  殺したほうには、生き残れるチャンスが与えられます。
  そこに死者は立てません。
  物言わぬがいいことに、
  被告弁護人が死せる魂を、
  冒し、穢しぬき、あげくの果てには、
  全く別人の像を創り上げてしまう。
  それだけ殺されても仕様のない人だったと証明する。
  弁護士とは、因果な商売ですね。
  依頼人を守るためには、
  殺人行為そのものを正当化して行かなければならない。
  偽りの像を示された判決は、
  被告を救うでしょう。
  人を殺しておいて、自分は生きのこります。
  情状酌量の余地、
  これは正義であるかないかと置き換えてもかまわないでしょう。
  殺すには殺すだけの理由があるという非常に曖昧な論証が展開されます。
  だから悪である殺人行為もその理由が重要になってくる。
  
  なるほど、とうなずかないでください。
  これは、よく考えてみてください、
  殺す理由さえあれば殺しても構わないという
  子供のような屁理屈の立場に寄りすぎていませんか?
  殺されたものは、生きられないのです、死んだのですから、生き返れないのです。
  殺されたものを抜きにして殺したことの理由がどうして重要になるのでしょうか?
  罪は理由ではなく結果に対して罰を定めるものではないのでしょうか。
  結果に理由なんて関係ありません。
  殺したか殺していないか、それだけです。
  どんな理由があろうとも、絶対に殺してはならないのです。
  殺しても理由さえあれば生き長らえる、
  それがまかり通る世の中に、殺人はけっしてなくならないでしょう。
  法律とは、
  生きるもののためにあるのでしょうか。
  死んだ人も死ぬまでは生きていたのです。
  生きているという現在進行形だけで判定する行為はいかがなものでしょう。
  生きていたという過去完了形もどうして活かされないのでしょうか。
  活かされるのならば、弁護士に対する罰もあってしかるべきではありませんか?
  死者を冒涜し、蔑み、悪を生き長らえさせた罪は万死に値しませんか?
  これは刑事でも民事でも同じです。
  
  正義、という自己基準を心棒として正邪を別けることは難しい。
  そこに、純粋な観念がなければかないますまい。
  正義のためならば人をあやめても許されるのかという議論は
  ひとまず置いておきましょう。
  少なくともその行為は慾に発してはいないことは確かです。
  アイツを殺せば自分は得をするという手合の
  損得勘定は存在しません。
  憎悪は濃厚にあったでしょうが正義ではないという確信があらねばなりません。
  だからこそその征伐は苛烈を極めました。
  正義、
  難しいその判定を彼はおのが心身を毘沙門天に捧げることによって、
  内なる葛藤(疑問)に辻褄をくらわせ、
  善なるものの存在を疑わず、
  絶望することなく(高野山へ逃げ出したこともあります)、
  邁進させました。
  
  戦国の世に彼のような人物が現れたことこそ、
  空前絶後であり奇跡なのです。

  ワタシとは正反対、
  真似しようにも
  あまりの険峻ないただきを仰ぎ見るようで、
  登る前に気力がしぼんでしまいました。
  だが、だからこそ
  ワタシは彼に憧れました。
  オノレと正反対の対象に憧憬をもつのは自然ではないかもしれません。
  しかし、これは気質である以上どうしようもない。
  
  絶対正義を振りかざし、
  一切の慾を断ち切ってこの世の悪を懲罰せしめる、
  そんな雄姿はためいきつくほど潔い。
  ひとたるもの、
  すべからく潔くあるべし、
  いつしか意識の底に沈殿してゆく、
  意志とは真反対の意志、
  それがことあるごとにワタシを突き上げ、
  糺します。
  不道徳に対する異常なまでに噴きあがる憎悪、
  いい加減なことへの苛立ち、
  私利私欲のために闇を蠢く魑魅魍魎然とした政治家や企業家、
  憲法、法律、倫理、道徳、
  律するというのはどういうことなのか、
  ワタシは今も苦悩する。
  ワタシはアナーキーだとか、
  ゲリラ気質だとかよく評されてきました、
  けれども、
  ワタシの行動の根にはいつも上杉謙信の生き様がありました。
  なりたいものとなりつつあるものが、
  正反対でもいい、
  矛盾したままワタシはここまで育ちました。
  そして、
  矛盾したままこれからも老いるでしょう。
  ワタシの言動から感じる思想のようなものを、
  どうか誤解しないでいただきたい。
  ワタシは人殺しになりたくない。
  人殺しを創りたくもない。
  ワタシがしたいのは、
  創ってみたいのは、
  殺し合わずに慾を制御できる社会です。
  感性、感度、価値観、
  それは気質だけに所以するのではありません。
  われわれがもつ偉大な無意識の中にこそ詩藻は存します。
  詩藻こそが、
  行動を潔くするものであるならば、
  ワタシは悦んでそれに殉じたい。
  
  最後に、戦国最強の英傑は誰か?
  
  ワタシは、織田信長だと思っています。
  かれの次元はケタ違いの高みにあります。
  最盛期の謙信でも信玄でも、
  信長と真っ向勝負すれば大敗したでしょう。
  私のいう勝敗とは、
  局地戦の勝敗ではありません。
  たとえば劉邦は宿敵項羽に
  100戦して99敗しました。
  ですが最後の最後の闘いに勝利し、
  漢を建国しました。
  読み流さないでくださいね、
  99敗もしているのにどうして死ななかったのか、
  どうして最後の最後に勝てたのか。
  それを逆に考えると、
  項羽は99勝もしながら、
  劉邦を殺せなかったのです。
  運とか宿命だとかで片づけないでください。
  これは、劉邦だからそうできたのです。
  いくら喧嘩が強くとも世界はおろか、
  この日本ですら征服できません。
  所詮、武力とはその程度のものに過ぎません。
  では、なにが勝敗を決めるのか、
  それは、やはり、その人に拠るのです。
  宮本武蔵、上泉伊勢守、塚原卜伝、
  彼らは伝説の剣豪で敵するものがいませんでした。
  ですが、彼らはやがて必ず悟る。
  天下を布武するのは、
  肉体ではなく心なのだと。
  いくら不世出の剣豪であれ、
  たったひとりの建国者には敵わない。
  多勢に無勢とかを言っているのではありません。
  なぜ、肉体において秀でながら無勢となるのか、
  なぜ、打ち合えばものの数秒で討ち取られてしまうつたない剣技に、
  多勢が可能なのか。それを書いています。
  項羽は肉体において圧勝し、
  心において大敗したのです。
  謙信も信玄も、その肉体は不世出でした。
  肉体のみに於ては、信長など赤児同然です。
  ですが心に於ては、逆転します。
  
  生まれたところがよかったとかいうのは、
  何百もある要素のひとつに過ぎません。
  三段構えの鉄砲陣、神を否定するだけの自負、
  部下を道具として観る冷酷さ、徹底的能力至上主義、
  古き風習の安心感に虫酸を走らせ雷鳴のごとく憤怒する気質は、
  天才としかいいようがなく、
  日本によくぞ生まれてくれたと賛辞を贈りたい。
  千年にひとりの才能だと信じています。
  合理主義とは、かくなるものである、と、
  よくそう言われる亜米利加さんに学んでもらいたい。
  あんたらのは合理主義ではなく、
  ずっこい利己主義なんですよと。
  まぁ、信長も人殺し、ですけどね。
  
  2番は、はい、太閤秀吉です。

  3番は武田信玄、4番が上杉謙信、

  だいぶ離れた5番が毛利元就、

  あとは十羽ひとからげ、かな?
  徳川家康は後ろから勘定したほうが早いでしょう。
  はい、ワタシは、
  彼が大嫌いです。

  真田幸村・昌幸親子も嫌いじゃないけど、好きでもない。
  ワタシは死ぬために戦する人間が嫌いです。
  生きるためにする人間も嫌いじゃないけど好きでもない。
  ワタシは、
  だからこそ謙信が好きなのです。

  Gacktはどうかとおもうのですが、ね。
  
  
2007 12/16 02:50:00 | none | Comment(0)
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  春秋時代の中国、
  紀元前598年、
  陳国の大夫の夏微舒(かようじょ)というものが
  主君を殺して自立した。
  中国屈指の美女に数えられる彼の母、
  夏姫(かき)はもと鄭国の公女で夏微舒の父親に嫁してきたが、
  その美貌は傾国の域をはるかに超越していたそうだ。
  実は夏家に嫁ぐ前、
  夏姫は実家で兄の霊公とその弟の子公と同時に通じてしまい、
  兄の霊公は嫉妬に狂った子公に殺されてしまった事件があったが、
  夏家には親族の恥と内緒にしていただろう。
  陳に嫁してきてからしばらくは良き嫁を務めていたようだが、
  夫の死後、
  陳主の平国に言い寄られ、これと通じた。
  よほど淫奔な女であったのか、
  気が弱くて男の誘いを拒みきれない性質だったのか、
  次には大夫の孔寧(こうねい)という者とも、
  儀行父(ぎこうふ)という者とも通じた。
  三角関係どころか四角関係だ。
  三人の情夫の間には格別な問題が起こらなかったようだ。
  それぞれがそれぞれの家庭をもっていただろうから、
  どう話をまとめたのか、仲良く、また平和に情交がつづいた。
  平和というところがいかにも、異常でいかがわしい。
  あるとき、いかめしい儀式が政治堂で催され、
  正面に座していた平国がにやにやほくそ笑みながら大夫席を見て、
  ちょいちょいと襟元をくつろげて見せた。
  すると二大夫もにやにや追従笑いしながら揃って襟元を広げて見せた。
  三人とも夏姫からもらった女物の下着を着ていて、
  それを見せびらかし合ったという次第だ。
  神聖なる政事堂の百僚有司の列座するおごそかな儀式の場で、
  兄弟講をやったのである。
  これで、どろどろの関係を薄々は知っていた世間が
  はっきり事実と知れるところとなり、
  ぱっと高い噂が巷をはしった。
  当時の中華思想は、嫁を共有しあう遊牧民族独自の民法を最も野蛮と蔑すむ。
  つまり不倫関係もひとりの女を二人の男が共有するのだから、
  野蛮で汚いものを見るように蔑視されてしまう。
  もう青年になっていた夏微舒にとっては、屈辱だっただろう。
  亡き父への操も守らず、こともあろうに三人と通じる母。
  それでも情夫のひとりが主君であるからには、どうすることもできない。
  歯をくいしばってこらえた。
  歯噛みする歯茎は破れ、腸は煮え湯を飲み続けただろう。
  翌々年の夏、
  夏微舒の家に慶祝事があって、多数の賓客が集まった。
  その席で、平国は酒興に乗じて、二大夫に言った。
  「見ろよ、微舒はその方ども二人に似ているぞ。
   眉のあたりは孔寧に似ており、姿は儀行父にそっくりだ」
  その方どもの胤(たね、種)ではないのかという意味だ。
  二人は笑いながら、
  「とんでもございません、顔も姿も君公そっくりでございます」
  とやりかえした。
  微舒の父をあわせて五角関係だったのだから、
  誰の胤かわからないという冗談だったろう。
  微舒はもう我慢ならず、
  その夜、平国が乱酔して辞去し、
  車寄せで侍臣がさしだす松明の灯をたよりに
  馬車に乗り移ろうとするところを、
  暗闇の中から弓を引き絞り、一矢に射殺してしまった。
  夏氏は一族のひろがりもあり、家臣も多い。
  世間の同情者も多かった。
  堅固な備えを立てたので、
  姦夫のかたわれである二大夫の力ではどうしようもなかった。
  一目散に隣国の楚に出奔し、荘王に訴え出た。
  荘王は兵をくりだして自ら征伐し、
  夏微舒を殺し、夏姫をとりこにした。
  少なくとも四十になっていた夏姫は、おどろくほどの容色だったという。
  年を感じさせないほどの化け物じみた若々しさと
  艶冶(えんや)をもっている。
  さすがの豪傑王とあだ名された荘王も恍惚として魂を奪われた。
  枕席に召して寵愛し、数日の間、われを忘れた。
  連れ帰って後宮に入れようとすると、
  「夏姫はこのたびの大乱の基、希代の淫女であります。
  かかるものを寵愛なさっては、
  天下の望みを集めてやがて天子たらんとする大王の大目的を
  敗ることは必定であります。
  ご反省を促したてまつります」
  と大夫の巫臣(ふしん)が諌言した。
  荘王はおおいに未練を残したが、
  さすがに賢君の名に恥じぬ、
  いさぎよく断念して、将軍の子反(しはん)にくれてやった。
  子反が大満悦でいると、巫臣はその子反のところに来て、
  「夏姫は不祥の女でござる。
  彼女のあるところ、必ず不祥事がおこり、
  彼女に関係したものは皆不幸な死をとげています。
  天下に美女は多いに、
  なぜによりにもよって、
  このような不祥な女を得てよろこんでおられるのです?」
  と、忠告した。
  巫臣は楚で賢人の名の高い人物だ。
  子反は反省し、夏姫を返上した。
  かわりに大夫の襄老(じょうろう)が荘王に乞うて、夏姫をもらい受けた。
  それから間も無く、
  楚は晉(しん)と大合戦して大勝利を得たが、
  この戦いで襄老は戦死し、その遺骸は敵に持ち去られた。
  葬式もできないのは、この時代、大変な不忠にあたった。
  「不祥な女をめとった報いである」
  と世間では身の毛をよだたせた。
  夏姫は未亡人として、その家で暮していたが、
  今度は、襄老の長男の黒要という者と密通し、
  それが世間の高い噂となる。
  容色は男を狂わすに足る。
  狂わされる男は、溺れ、沈み、気骨を溶かされてしまう。
  
  巫臣はこれを聞いて、たまらなくなった。
  彼が夏姫を寵愛する男のあるたびに諌言忠告してやめさせたのは、
  彼自身が夏姫に恋情を抱いていたからだった。
  一目惚れだったろう。
  この女こそが我が畢生の伴侶たりうると、感嘆しただろう。
  巫臣は冷静で、頭のよい人物であったから、
  その恋情は素直な形では出てこず、これを毛嫌いする形で出、
  自分でも嫌っていると信じていたのだが、ここに至り、
  自身の本心を知ってしまった。
  頭の出来の善し悪しは、恋愛道には関係ない。
  どんな高説のたまう学者も、色事に関しては、
  瞬時に子供と化す。
  嫉妬なんていうものは、
  幼児期の名残に過ぎない。
  名残をいつまでも統御できない野郎は、大人ではない。
  真に大人足りうるものは、
  自身の潜在意識に巣くい根をはりめぐらせた、
  蜘蛛のような欲望を制御できるものだけだ。
  無論、子供返りした巫臣は気も狂わんばかりとなった。
  
  巫臣は夏姫(かき)を訪問して、自分の恋情をうちあけ、
  「実家の鄭(てい)に帰りなさい。
  そうしたら折を見、拙者が求婚して、
  夫人として迎えるでありましょう。
  鄭に帰られる工作は拙者がします」
  と説いた。
  夏姫は承諾した。
  義息の黒要と関係を続けながら、である。
  不謹慎だが、
  これだけしたたかで純粋な奔放さには却って純情ささえ覚えてしまう。
  襄老の死骸を晉(しん)が返してくれることになり、
  夫人である夏姫が引き取りに来れば今すぐにでも返す、
  という通知が来た。
  夏姫は荘王に願い出て許され、鄭に帰った。
  楚は斉(さい)と通謀して魯(ろ)を挟撃する策を立てた。
  その戦期の打ち合わせのために、
  斉に送る使者に巫臣が選ばれた。
  思惑通り、時は、きた。
  彼は一族郎党をひきつれ出国した。
  もとより戻るつもりはない。
  巫臣の家は、名流で富み栄えており、
  巫臣自身も楚国の賢大夫として
  最も有用な人物として世に仰がれていた。
  王の信任も厚かった。
  だが、
  彼は夏姫を求めて、これら全てをすて、
  国をすてた。
  愛欲の情熱は時として一切の計算を忘れさせるもののようだ。
  これも二千四百年後の現在とさして変わらない。
  価値とは、それだけのものだ。
  巫臣は鄭にゆき、夏姫と結婚した。

  この事件を調べて驚くのは、
  この時夏姫の年はどう若く計算しても
  五十近くになっていたはずだ。
  妖怪じみた美しさであったと言えようか。

  この後、巫臣は、
  かなった恋に耽溺するだけではなく、
  夏姫や族人達と共に一度は斉に入ったが、
  斉が鞍の戦いで晋に敗退したのを受けて、
  亡命先を晋へと変更した。
  そこで「快男子」と天下に名の聞こえた郤至を頼り、
  ?の大夫として正卿の郤克や晋の重臣達に重用され、宰相にまで栄達する。
  巫臣の晋での評判を聞いた当時の楚の重臣である子反、子重(公子嬰斉・荘王の弟)は、
  「晋へ賄賂を贈って巫臣を用いられないようにしましょう。」と共王に献策したが、
  「無能であれば賄賂の有り無しに関わらず用いられず、
  有能であれば賄賂の有り無しに関わらず用いられる。無用である。」と退けられた。
  しかし、狙っていた夏姫を巫臣に横取りされたと怒っていた子反は子重と共に、
  楚に残っていた屈氏一族を殺害した。
  これを知った巫臣は、子反と子重へ
  「あなた達は邪悪な心で王に仕え、数多くの無実の人達を殺した。
  私はあなた達を奔走させて死ぬようにさせる」との復讐の書簡を送った。
  その後、晋公(景公)に呉と国交を結ぶ事を進め、自ら呉に出向いた。
  これにより晋は中華(この場合は周王朝と言う意味)の諸侯で初めて呉との国交を結んだ。
  当時、呉は中華の国とは認められておらず、蛮夷として認識されていた。
  古代中国とは不思議な社会通念をもっていたようで、
  匈奴や鮮卑など(わが倭もそうだが)近隣諸国を、
  人種の相違で別けず、風俗や言語によってのみ、
  未開人と認識していたようだ。
  たとえば周を建国した一族は髪が赤かったらしい。
  金色の髪をした夷狄もいたって不思議ではない。
  あれだけ史実に命を張ってまで忠実な歴史編纂者たちも、
  異民族の肉体的特徴を記していない。
  現代においてさえ、どの先進国もなしえていないこの極上の社会通念を、
  ごく自然にもち得、しかもなんらの疑念も抱かないその高邁さをみるにつけ、
  現代の中国とは、人種そのものが違っているような気がするのは、
  私だけではあるまい。
  
  巫臣は用兵や戦車を御する技術を伝え、
  子の屈狐庸を外交官として呉に仕えさせ、晋に帰国した。
  この事が後に呉国が強国になった一因となった。
  そして子反と子重は、巫臣の目論見通り晋や呉との両面戦争に奔走させられ、
  その後子反は紀元前575年の?陵の戦いでの失態を子重に責められて自害し、
  子重もまた、呉との敗戦による心労で紀元前570年に死去し、
  巫臣の復讐は果たされた。呉が強国となる事で楚にとっての脅威となり、
  遂には楚が呉によって滅亡寸前に追い込まれるな
  その功により、巫臣は呉に招かれ宰相に就任した。
  子反にとっては泣きっ面に蜂か。
  恋敵に女をさらわれ、ついには国も敗れ去る。
  歴史を大きく変える復讐の策だったとも言える。
  その後、巫臣と夏姫との間に生まれた娘が、賢臣として名高い叔向の妻となった。

  巫臣、姓は?(び)、氏は屈、諱は巫、字は子霊、
  呉が強国となる事で楚にとっての脅威となり、
  遂には楚が呉によって滅亡寸前に追い込まれるなど、
  歴史を大きく変える復讐の策だった。
  

  喝采をうける復讐劇が、正義だと私は思わない。
  だが、復讐を生むなにがしかを他に対し行う者は、
  覚悟なしには為しえないことを、我々は意識しない。
  怨みは、恐ろしいものだ。
  刃傷沙汰に陥るのは不思議でもなんでもない。
  覚悟もなしに、我々は、他を讒言してはならないのだ。
  関ヶ原で封土を削られた毛利家は、維新倒幕で怨みをはらした。
  維新に乗り遅れた細川家は、昭和に総理大臣を送り込んだ。
  復讐は何世代にわたってはらされるものである。

  しかし、夏姫、
  ぜんたい何人の男を狂わせたのか?
  げに、
  恐ろしきは魔性の女か。
  いいや、
  老いを知らぬその容色こそが、
  魔の魔たる所以であろうか。
  
2007 11/07 14:27:37 | none | Comment(0)
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女は言った。
   「あなたの瞳はいつも真っ暗だわ」
   瞳は対象をとらえるために開く。

                   ジム・モリソン

俺はちびで醜い。
団子っ鼻で、
3段腹の脂っこい中年男だ。
俺みたいなのが女にもてるわけがない。
そんなこたぁ、わかっていたさ。
この世の中は、金で動いている。
終戦後、
金のためならなんだってやってきた。
生きるために、どんな卑劣なことだってやってきた。
学歴のない俺がこの世で学んだたったひとつの哲学は、
人も金のために動く、ってことだ。
初老を迎える俺に縁談があった。
倒産寸前の取引先の社長の一人娘らしい。
資金援助が目的なのは判っていた。
揉み手で、良縁でございますと勧める父親の額には、
金を貸してくれ、と書いてある。
一人娘と見合いしてみると、
驚かずにはいられなかった。
まさか、と見間違うほどの美しさだったのだ。
こんないい女が、俺なんかと結婚したいはずがない。
親に言い含められていたのだろう、
一人娘夏子は、
俺のプロポーズをその場で承諾した。
結婚生活は、とりとめのない猜疑心の日々だった。
俺は俺の全てを知っている。
俺なんかを、妻となった夏子が愛してくれる訳がない。
興信所を何社も使って、
夏子の浮気を調べさせた。
だが、どの興信所も尻尾をつかめない。
皆、シロ、だと報告した。
そんな馬鹿なことがあるか、
俺は意地になって、更に十数社の興信所を使った。
夏子は夫の私に尽くす完璧な妻を演じていた。
風呂場では必ず背中を流してくれ、
毎夜の肉欲にも堪えて、愉悦をかくさない。
しかし、尽くせば尽くすだけ、
美しさがより美しく磨かれてゆくだけ、
疑惑は募る一方だった。
こんな女が俺なんかを愛してくれるわけがない。
下品で学歴もなく家柄もない、
でかっ鼻の中年男を愛してくれるなんて、
甘ったれた夢を俺は信じなかった。
人はだれでも金のために動くのだ。
そんな俺のたったひとつの哲学を覆されそうな
夏子の笑顔の下の嘘を、
あばく日がやってきた。
突然姿を消したのだ。
信州のある山の付近でガイドや山小屋の番人をしている南條という若い男と夏子が同棲していると、
興信所が報せてきたのは、一ヶ月後のことだった。
俺は、
みずからの哲学を証明するために、
妻の嘘をこの目で見るために、
俺の目が狂いなかったことを自ら証明するために、
いいや、
金で買った愛情なんて紙切れよりも薄っぺらくもろいってことを
確かめるために、
南條に偽名でガイドを頼み、
彼らが同棲する山小屋での宿泊を予約した。
夏子の旧い友人だという南條は、
若く、国立大卒の美男子だった。
そうだろう、
この男が、夏子の彼氏だったに違いない。
世の中には釣り合いという、
自然の天秤がある。
学歴のない男に学歴のある女は惚れない。
美男美女はしばしばくっつくこともあるが、
醜男と美女は正常な関係を保てない。
分相応、家柄なんて関係ないなどという、
しょうもないハッタリがまかり通るのは、
少年少女の青臭い夢物語であることを、
どうして大人たちは語らないのだろうか。
真実を知らせることこそが教育の原点ではないのか?
学のない俺には理解できないが、
南條は、俺の偽名を疑いもせず、
険しい山を案内した。
国立大出身のくせにどうしてこんな仕事を選んだのか、
頭の好いヤツの考えることなんか俺にはさっぱり分からない。
さっぱり分からんヤツが、冬登山は危険だという。
そんなこと知るかよ、
俺は趣味らしいものをひとつももっていない。
登山なんてド素人なんだ。
ガンジキを履き、
ピッケルを使って、
登山は中途まできた。
頂上付近から、小さな石ころが転がってきた。
「雪崩です」
南條が表情を変えて、俺に指示した。
津波のような雪の波が空を覆うくらい巨大に咆哮しながら
押し寄せてくる。
よかったな、南條、
これで俺が死ねば、
財産はすべて夏子のものになる。
俺には親も兄弟も親類もいない。
天涯孤独の捨て子だったんだ。
夏子の嘘を証明できぬことが心残りだが、
仕方があるまい、
これも運とあきらめて、
死んでやろう。
大きな石が額に直撃した。
一瞬に、視界が朱色に染まった。
もう、これまで、
と観念は一瞬だったろう。
だが、南條は、俺をサポートして、
数メートル下の巨大な岩の陰にひきずり、
雪崩をやり過ごした。
俺を本気で助けたのか?
俺はたまらずに、いきさつを白状した。
だが、南條はそれを否定した。
夏子は、あなたを愛していると。
頭部に岩を受けて流れ出た血が視力を奪っている。
遠のく意識に、
南條が必死で励ましていた。
「しっかりしてください、
夏子さんの真実を見てあげてください。
彼女は一ヶ月前、
私にしばらくここに置いてくれと頼みました。
事情があることは、
様子で知れましたが、
訊かずに一緒に過ごすことにしました。
彼女は、よせというのも聞かず、
毎日、炊事洗濯まき割りに、登山者の世話まで焼きました。
無理がたたったのでしょう、
寝込んでしまったこともある。
その時、彼女は何故山小屋を来たのか理由を語り出しました。
結婚して三年、
本当に幸せだった。
しかし夫はわたしに心をいちども開かなかった。
わたしも女だから、
夫の愛を確かめたかった。
もし本当にわたしを愛してくれているのならば、
夫はどんなことをしてもわたしを捜しだして
連れ戻しにきてくれるだろう。
でも、そうでなかったら、
わたしは一生山を下りるつもりはない、と。
あなたが偽名で僕のガイドを頼む手紙を見て、
夏子さんはすぐにあなたの筆跡であることを見抜きました。
どんなに喜んでいたかあなたにわかりますか?」
そんなことがあろうはずがない。
証拠はどこにもないじゃないか。
ろれつの回らぬ舌は、
それでも意思を伝えてくれた。
「それじゃ、あの声はなんなのですか?」
声?
たしかに何かを呼ぶ声が遠くから聞こえた。
女の声だ。
夏子の声だ。
「あなた!!あなた〜!!」

俺はこの世の最後に、初めてこの世の真実を知った。

遺骨を胸に家に戻る夏子に南條が訊いた。
「失礼とは思うけど教えてくれ、彼のどこに惹かれたんだ?」
すると夏子は、
目を細めながらこう答えた。
「あのひとの瞳、あのひとがどんな生き方をしてきたのかわたしには判らないけれども、
あのひとの瞳には、一生懸命に生きてきたひとだけがもっている光があった。
どんなに苦しくても精一杯頑張ってきた光があった。
その瞳を見た瞬間、
理由もなく胸がつまったの」

高校3年生の秋、この漫画を読んで感動した私は、
当時交際していた彼女に読ませて感想を訊いた。
彼女はこう応えた。
「夏子は結局夫を殺したのよね。ほんとに愛していたら、そんな危険な賭けに出るわけがないわ」と。

なるほど……。
2007 04/19 22:34:31 | none | Comment(0)
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桜の散らないところ 


  4月、眉月のある夜、

  男はとどいていた手紙の封を切った。

  そこには爛れ果てた情事が描かれていた。

  非の打ちどころのない造形が、潰崩するきわのうめきは、

  半分が皮肉(シニカル)だ。

  煙草に火をつけありきりまで吸いこむ。

  吐き出された紫煙が、たまたま掩蔽が隠れて現れた紫の輪を

  いそがずに包んだ。

  おののくようにさだまらぬ手で、いまいちど、読みかえす。

  花羞じらいて月閉じる、

  魚沈みて雁落ちる、

  美貌の喩えを、ふと思い出した男は、苦く顔を破った。

  男には、この瞬間が見えていた。

  こういった虫の知らせを、

  男は単なる『勘』だと信じていた。

  妄想を真実だと悟ったとき、

  ひとはどうするのだろう。

  だいじょうぶ、冷静だ。

  終わりの鐘はまだ鳴り響いてはいなかったが、

  けたたましく空気をよどませる前触れはひしひしと

  暗い部屋を迷いあるいている。

  せせりさがしては、ならない、

  漂失する浮標を憑けてはならない。

  モノローグは闇を手まねく。

  桶の内側をけずりあげる鉋をうちぜんと呼ぶが、

  けずりおとされるのが、よごれたものだけとは、

  かぎらない。

  意識を集中しなければ、のみこまれてしまう。

  男は、そのまま、心が悲鳴をあげるまで、

  考え得るあらゆるものを想起した。

  思椎に限界はない。

  愉快なおとこたち、

  最高だったおんなたち、

  逢ったこともない親爺とお袋、

  やがて、
  
  鳩尾の辺りから鎮まってゆくような風の途が通る。

  男は、みずからに問うた。

  それでいい、

  みじかく返事して、

  ある場所へ向かった。

  まだ、桜が散らないある処へ。  



 2章


  蜻蛉獲りだと噂された。

  ひとっところに居を構えたことはないせいかもしれない。

  あみかごは、見えないが、しっかりゆんでに握られている。

  男が追い求めるのは、季節にこだわらない蜻蛉だった。

  春夏秋冬、その生に終わりはない。

  存在には、自然的・物的なものと、意識的なもの、

  さらに超自然的で非感覚的なものとがあるだろう。

  超自然的で非感覚的な物象とは

  そこにあっても、なくても、存在すると信じている限り、

  あるものを指す。

  そんなだれもが聞いただけでややこしくなるものを

  かれはずっと追い続けてきた。

  その仕上げが今度の旅になるだろう。


  桜はもう散っていた。

  遅かったのだ。

  
  蜻蛉はまたもや彼の傍から逃げた。

  移り香だけを残して。

  どこへゆけば見つけられるのだ、

  男に初めて焦りがあった。

  焦の字は、火と鳥でできている。

  夢のある火の鳥ではない、火で鳥をあぶる意だ。

  自信があぶられる、そんな気分を彼は味わっていた。

  彼が追うものを、人々はこう言う、

  未練、と。

  桜は散った。

  だが、彼の、「未練」は、いまだ散らない。

  夜の宿の心配よりも、

  行方を探さなければならない。

  必ず見つけ出す、

  男はそう決意して雑踏に消えた。


 3章


  夢は、その全てを人に語り伝えることは出来ない。

  しかし、われわれは、その夢のすべてを知っている。

  あるいは、忘れ、或いは、説明する表現を知らない、

  あるいは、筋道立てられない。

  しかし、われわれは、それでも、その夢の全てを見た。

  男は、南へ下った。

  金沢城から石川護国神社の参道を抜け、

  聖ヨハネ教会をのぼりおえた高台にその病院はある。

  精神科、神経内科、心療内科、内科、歯科があり、

  金曜日の午前9時、奴は外来を担当している筈だ。

  診療時間が終わる午後一時まで、

  男は時間を潰す。

  厚生年金会館の前を通って小立野通りに出るところに見事な桜と木蓮の樹が並んでいる。

  この道を、男は、浪人時代、この坂をのぼったことがある。

  ここだったのだ、ここから、おれの旅ははじまったんだ。

  午後1時の鐘の音が鳴り響いた。

  受付に呼び出しを頼む。

  院内放送が流れ、待合室で男は待っていた。

  麻倉さんは?

  精神科医山根さとるが現れた。

  男は立ち上がり、彼を捜す山根とすれ違いざま、なにごとかを、告げた。

  山根の顔色が変わった。

  石引有料駐車場まで、男は振り返らずに歩いた。

  山根は、黙ってあとに続いた。

  泥だらけの白いRVの前で、男は振り返った。

  来られると思っていました、山根医師が観念するかのような、

  低い声で会話の口火を切った。

  どこにいる?いっしょにいるのか?

  男は、山根の目を見据えながら問うた。

  その前にお伺いしたい、あなたは、彼女のどういう知り合いなのですか―?

  言い終えぬ内に、彼の頬桁(ほおげた)が燃え、陥没した。

  話し合う気は無い、黙って案内しろ、

  男はさらに低い声で強要した。

  おまえの自宅になんか案内するんじゃねえぞ、

  高尾2丁目だったよな、そこに嫁も娘もいる。

  電話番号は、076ー×××ー××××。

  山根の顔色が一層蒼くなった。

  どこにも逃げられないんだよ、もう、おまえは。



      木の蔭になつた、青暗い
      わたしの書斎のなかへ、
      午後になると、
      いろんな蜻蛉が止まりに来る。
      天井の隅や
      額のふちで、
      かさこそと
      銀の響の羽ざはり……
      わたしは俯向いて
      物を書きながら、
      心のなかで
      かう呟く、
      其処には恋に疲れた天使達、
      此処には恋に疲れた女一人。




  




 4章

  臨済宗南禅寺派の修業道場である京都円光寺は、紅葉が見事なのだそうだ。

  同じ地名をもつ町をさらに南へ下ると、

  山科という聞き慣れた町に着いた。

  ここか?

  蜻蛉獲りは頬を腫らした山根がうなずいた。

  ひところ流行った2階建ての鉄骨モルタル造りのハイツだった。

  1フロアに6室、全部で12部屋の扉がふたりに向いていた。

  どの部屋だ?

  2階の右端の部屋です。

  視線で確認し、

  建物の両脇にある階段の左側からのぼる。

  訝しげな山根の表情に、

  男は小声で応えた。

  足跡で、気づかれるだろうが。

  部屋の前、阿藤という木彫りの表札がかけられている。

  あいつが彫ったやつだ。

  チャイムを2度鳴らし、数秒後に、もう一回鳴らす。

  それが合図なんだろう、

  しゃらくせえやつらだ。

  男は声に出さず、扉の吊り元側、右に移動した。

  ドアチェーンをはずしていないのだろう、10度の角度しか開かない。

  まぁどうしたのその顔!!

  なつかしい声がした。

  夢にまで見た声がした。

  この扉の向こうにその声の持ち主がいる。
 
  とうとう見つけた。

  せきまえに閉じられた扉が今度は90度に開いた。

  まーちゃんごめん、

  山根が女に告げた。

  女は山根の傍らに立つ男に視線を奪われて、膠着していた。

  あ、麻倉さん・・・・・・。


  
 5章

  相変わらず分量の目利きが下手な女のたてた

  どろどろの珈琲が、座卓に運ばれた。

  卓の中央に濃紫・黄・白の斑をばらまいた三色スミレが萩焼の花瓶に挿され、

  ふたりとひとりをわけていた。

  窓から西日が差し込んで、視界が暗い。

  
  阿藤真砂子、

  45になるのにまだその美しさに陰りがない。

  目元の隈が所帯の辛さを浮き彫りにしているようだが、

  白磁器のような肌は健在だった。

  男が彼女と知り合ったのは、

  1年前の大阪だった。

  大學進学する娘の部屋を探しにきたついでだったろう。

  伊勢丹の進出に合わせて大改装を行ったJR京都駅、

  贅沢過ぎるほどの空間をおしげもなく使い果たしたような、

  長い長いエスカレーターに乗ると、

  空に浮かんでゆくような錯覚に陥る。

  昇りきった屋上に、

  女が立っていた。

  麻倉さん、少女のようだ、と男は女の声を

  眩しい印象を繊細に上書きされた。

  
  さやちゃんは気丈に暮しているよ、

  男がはじめて声をかけた。

  元気にしてる?あの娘、料理なんかできないから。

  元気だ、ときどき、電話が来る。

  鎖骨が目立つほど痩せた。

  青みがかるほど白いその顔は、

  陽を背にうけながらなおも白い。

  男は、目のやり場に困るように、

  壁の傷跡を見つけた。

  数ヶ所、右上から左下に3本の深い引掻き傷。

  床のフローリングにも、同じ傷があった。

  爪か?

  そのときだった、

  沈黙してうなだれていた山根の様子が気味悪く笑い出した。

  ひっひっひっひっひ・・・・・。

  肩が震え出す。

  細かく左右に揺れたかと思うと、

  激しく上下に振動しはじめた。

  麻倉さん、帰って下さい!!

  女が叫んだ。

  少女の叫びだ、しかし、その音色は、

  真摯さにまみれている。

  まーちゃん、どうしたの・・・・・、

  二の句を継ぐ瞬間だった、

  山根が急に立ち上がった。

  だが、その背丈は山根じゃない。

  その影も、山根じゃなかった。

  逃げて!!!!

  女が叫ぶのと同時だった、

  山根の影がさらに膨らんだ。




 6章

  個人にはプライバシーがあります。

  交際する男女にも、共有して守らなければいけないプライバシーがあるんじゃないのですか?

  それを公開されたら、

  死にたくなります。

  配る方は着衣姿で、配られた方は下着だ。

  それで並んだ姿なんだ。

  
  そんなことしないよ。

  どうしてそんなことしなければいけないの?

  
  山根さとるって誰ですか?

  どういうお知り合いなのですか?

  
  相談に乗ってもらったお医者さんです。

  助けてもらってたけど、

  もう連絡してないですよ、

  あなたとお会いしてお付き合いはじまってからは。


  変ですね、あなたがそのひとに出したメールが、

  自分のところに着てるんですよ。

  
  そんなばかなことあるわけないじゃない。


  そんなばかなことが起きたんですよ。

  転送してさしあげますよ。

  彼誕生日なんですかもうすぐ?

  そんな内容でしたよ。


  ひどい、だれがこんなことしたの!!

  ひとのメールぬすむのはんざいですよ!!!


  待って下さい、自分は山根さとるなる人物を、

  このメールで初めて知りました。

  このアドレス、

  やっぱりあなたのだったんですね?


  むすめのアドレスなの。

  ぜんぜんつかってないのよ。

  どうしてアタシだとおもったの?

  
  115って半角数字、あなたの誕生日じゃないですか。


  こないのわかってるから、だしたの。

  へんじのない一方通行のてがみ。


  抒情的ですね。

  ひろびろとした丘の上で桜がさみしく散ってゆくようだ。


  かくしてなんかいないわ。

  いわなかっただけよ。


  

  学会?

  彼がここに来るのですか?


  しょうかいしてあげるね。


  結構です。

  それよりも、その連絡は?


  メールがきたの。


  そうですかメールがね。


  あ、かんちがいしないでね。

  ひさしぶりにあうだけだから、

  あなたもいっしょよ。

  
  逢いませんから、あなただけ、お会いください。

  自信がないです、自分を抑えられるかどうか。


  へんなの、じゃあわないわ。


  いいえ、あなたはお会いになる、必ず。


  あわないわよ、あなたがかなしむもの。


  おすきになさってください。


  しんじてね、あわないから。


  
  会いに行ったんですね?

  あれほど会わないって言ってたくせに。

  そこまでして会いたかったのですか?

  そこまでこだわらなければならない友人なんですか?

  メル友っていうのは

  それいがいの全てを犠牲にしても、

  だいじなひとなのですか?

  電話、出てくれませんね。

  このメールにも返事はないでしょう。

  山根さんてひとから、メールが来ていました。

  ここ数日のあなたと交わしたメールやメッセが貼付されていましたよ。

  説明してもらいたかったけど、

  返事もしてもらえませんからね、

  誤解されたままで平気なあなたが自分は羨ましいです。

  今夜、また会うのですね。

  身辺は潔くありたいと、

  自分は決めています。

  これがあなたの別れの言葉と受け取ります。

  ありがとう、いままで、あなたを好きでした。



  麻倉が呼ばれたのはトシオが失踪する前の晩だった。

  数年ぶりに会う彼は、憔悴しきっていた。

  心が病むと、肌も病む。

  肌が病むと、外見が変貌する。

  別人のようだった。

  トシオの依頼を麻倉はこころよく承諾して、

  安心して行ってこい、骨はひろってやる、

  細くなった背中を押した。


7章

  世阿弥の能にも記された妖かしがいた。

  源頼政が紫宸殿上で討ち取った、

  頭は狸、尾は蛇、手足は虎、声はトラツグミに似た妖かしも、

  同じ、

  鵺(ぬえ)と謂う。

  妖かしとはいえ、ひどい描写だ。

  ひとではない形相に、ひとではない体躯、

  ひとは変化(へんげ)しないと信じられているうえでの剪定(せんてい)だろう。

  きつねつきの女の形相を観たことがあるだろうか。

  ヒステリーの一種だと解説されても、にわかに信じられないほどの変貌ぶりだ。

  その顔は、きつねそのものだからだ。

  情に偏執した顔は、どうだろうか。

  憤怒の顔、それも、違うのだろうか。

  ひとは、心の顔をごまかせない。

  感情が激すれば、なおさらだ。

  純粋な意味で、ポーカーフェイスなどありえない。

  心の起伏は、その肌にまで現れるし、

  吐息にまでこもる。


  
  訥々怪事。


  ひっひっひっひっひ、

  山根の呼吸補助筋の強直性痙攣(つまり、しゃっくり)めいた声が止まった。

  やりたい放題、やってくれたよな。

  その声は、山根の声ではない。

  さとるちゃんやめて!!!

  女が絶叫する。

  麻倉は、異様な圧迫を山根の影から受けていた。

  影をとりまく大気が圧縮されて飲み込まれるような、

  異様、と形容したい緊迫だった。

  がちゃり、がちゃり、と重厚な金属音が2度響いた。

  影の形容が変わっている。

  手だった部分が、鋭い鉤爪をはやした熊手のようだった。

  こいつはいったいなんだ、

  麻倉は瞬時に攻撃を予感した。

  あいつもはじめは威勢がよかったぜ。

  おまえトシオに何かしたんだな?

  おなじところへ送ってやるよ、感謝しな。

  殺したのか?

  まーちゃん、そうなのか!!

  逃げて麻倉さん!!

  一瞬男の気がそれた。

  虚の間は、容易に危機をさそう。

  影の爪が右から飛んできた。

  寸前でよけた、つもりだった。

  だが、爪は男の衣服と胸の肉片を奪い去っていた。

  あの鉤爪は、のびるらしい。

  まいった、避けようがない。

  かっと熱くなる胸にを抑えると濡れている。

  血が噴き出ているらしい、それを確認するひまはなかった。

  じわじわと、死を予感させられる間合いがつめられる。

  あの手の内側に飛び込まない限り、勝機はない、

  覚悟を決めた男は、左に跳んだ。

  影がそれを追う。

  男は跳ぶと同時に、右に跳躍した。

  影に肩をぶつけ、その頭部を両手でわしづかみ、

  頭突きを鼻らしき箇所に3度いれた。

  ぐしゃり、と骨のつぶれる音がする。

  そのまま襟らしき箇所を両手でにぎり、
 
  背中を胸に合わせ、しゃがむように、腰に乗せた。

  背負い投げ。

  影が鈍い轟音をたてて床にたたきつけられた。

  受け身は取らせない。

  たたきつけたのだ。

  しかし、投げられながら影は、腕を一閃させて男の腿を裂いていた。

  ひるまぬ男は、顔面に蹴りをいれ、

  めまいをこらえながら肘打ちをつづけて落とした。

  抵抗されては、負ける。

  男は、2度、3度と、肘内を入れる。

  どこにいれているか、感覚がない。

  勝てるかも知れない、そう思った瞬間だった、

  後頭部を衝撃が貫いた。

  がしゃん、ばらばらと、砕けこぼれる鈍器の音が衝撃を押した。

  ま、まーちゃんなにするんだ・・・・・・

  ふりかえった男の目に、泣きながら佇む女が見えた。


8章
  
  懈怠(けたい)の内に巣くうものは、

  どこからやって来たのだろうか。

  女は、幸せではなかったのかもしれない。

  夫と娘たちがいて、家があり、親族がいた。

  魔が差したのだ、とは、とても思えないくらい、

  その熱波は衝撃だった。

  量子力学で、空間の中に有限の拡がりをもつ波動関数のことを、

  波束(はそく)とよぶ。

  この波動関数が代表する粒子は、空間のその有限の部分でだけ存在の確率を有し、

  粒子のおおよその位置がこの部分の中にあることを示す。

  われわれは、有限の世界で生きている。

  そう、

  なにげないひとことから、

  すべては、はじまった。

  女が山根と知り合ったのは6年前だった。

  衝撃は直線でやってこない。

  波である。

  波動を少しづつ受けて、

  やがて、堰が切れるように、

  心を一変させるほどのつみかさねた事実をつきつける。

  どの時点が波の頂点で、どの時点が底部なのかは、さぐれない。

  事実、つまり、「愛情」を自覚する時点が、

  最後の最後の、瞬間だ。

  面白いものだ、最後の瞬間が、同時に愛情の発露の瞬間なのだ。

  女は、山根に逢った。

  逢い、抱かれ、なにもかも忘れて、

  磁気嵐のような情感に身をまかせた。

  この時間があれば、自分は、生きてゆける、

  とまで、確信する。

  家に帰れば現実が待っている。

  ならば、これは、夢実なのだと確信する。

  それから6年、

  女と山根の不倫は続いた。

  

  過酷な現実への代償が必要だった。

  身近で即応できるほど好ましい。

  男はごまんといる。

  だれでもいいわけではないが、

  女の嗜好はうるさくない。

  優しい、それだけでもいいくらいだった。

  そのひとりが、倉木俊男だった。

  麻倉と倉木は、高校生時代からつるんでいた。

  傍若無人と敬遠されていた麻倉は、

  倉木と知り合い、友好を深めるに従って変わった。

  蜻蛉は追うが、地に足をつけられるようになった、と、

  倉木を通じて増えていった友人達の眼の鱗を落とさせた。

  麻倉は、人がましく、なった。

  俊男が女を紹介したのは、

  自慢したいだけではなかったろう。

  女は、麻倉の携帯電話の番号を知り、

  ふたりで逢おうと、連絡してきた。

  少女の声だった。

  このまま年老いて、こんな声だいじょうぶなのか?

  要らぬ節介やきたくなるくらいだった。

  女は麻倉と違い、人見知りしなかった。

  麻倉のことを知りたがり、

  麻倉の警戒心は溶けた。

  だからといって、興味を抱いたわけではない。

  麻倉の感情はそれほど短絡ではない。

  女には、そうなるためのなにかが、欠けているように思えた。

  俊男も同じことを感じているのか聞いていなかったが、

  一筋縄じゃいかない印象を強めた。

  腹蔵のない女は、こういった接近を好まない。

  窒息、糜爛(びらん)、血液ガスに襲われたような即効性はないが、

  覚醒剤などの麻薬系でもない、

  しかし、染まれば、必ず身を滅ぼすであろう危険な匂いがした。

  少女が、みずからを少女と思わないように、

  悪女は、自分を、悪女だとは思わない。

  俊男は、からめ捕られるように、街から消えた。

  ふたたび連絡が来た時、

  声の変わりように驚いたものだ。

  なにかが起こる、

  麻倉はそれを危惧していた。

  こういう予感は、いやなことに、よく当たる。


  俊男から最後の電話が来た時、

  麻倉は彼を止めなかった。

  ひとりで行ってこい、

  そう背中を押してあげたつもりだった。

  そうしなければならないし、そうしなければいられない筈だから。

  だが、

  俊男は、消息を絶った。

  消えた女を追うように、俊男も消えた。

  女の家族に会い、

  女の友人達を軒並み訪問して得た情報をまとめると

  山根、という名前が浮かび上がる。

  俊男からは、女の過去を聞かされていた。

  普通の恋は、不倫に負けた。

  現実が夢に敗れたのだ。

  それを俊男に言ってやりたかった。

  選ばれなかった恋は、紙屑以下だ。

  拠所になりはしない。

  それまで築いた全てをおまえは喪失したのだと。

  だが、激昂もせず、話をつけるてくる、

  そうしなければならなくなった、と、

  決意の程を聞かされて、麻倉は何も言えなくなった。

  恋愛に騙し騙されたはないと、人は言う。

  だが、麻倉は傍観者の立場に立っている。

  彼にとっては、敵か、味方か、そのふたつがあるだけだ。

  一歩でも敵の陣地にいるものは、敵とみなす。

  ややこしいのはごめんだから、揉事はシンプルにしなくちゃいかん。

  やるかやらないか、我慢できるかできないか、

  それだけでいい。

  麻倉は、動いた。

  山根が、この失踪の中心にいることは分っている。

  だが、動機が解明できなかった。

  山根にも家族がある。

  俊男から女を奪ったとしても、女を家族以上に愛せはしないのだ。

  山根にとっては、適度の距離を保っていた、

  それまでの関係が、都合いい。

  逢いたいとメールに書けば、女は会いにくる。

  抱きたいと書いただけで、女は抱かれにくる。

  それで、良かったはずだ。

  だから6年も続けられたはずなのだ。

  女の気持ちなんて、分りたくはない。

  どろどろした情念なんぞごめんだ。

  山根の意図はどこにあったのだ?

  どういうつもりで女に接近したのか、

  あるいは、どうして女が山根を選らばなければならなくさせることができたのか、

  麻倉は、それを確かめたかった。


 9章


  北陸鉄道石川線どうほうじ駅と県道157号線に挟まれた

  安養寺に不当たりを出して閉鎖された小さな町工場があった。

  債権者たちによって、機械は運び去られ、

  残されたものは、

  塵埃(じんあい)と、錆びた螺子(ネジ)、

  年代物の薄いモルタル床の亀裂の錆色と、埃だらけのスレート壁だけだった。

  人のいない建造物は、老いる。

  まるで、吸収する人間がいないために、

  自由自在に立ちこめる澱んだ気が、

  異臭とともに内部を侵食していくかのようだ。

  スレートの留め金具の隙間から、

  陽光が差しこみ、モノクロの埃を映しだす。

  気がつくと、後ろ手に縛られていることを知った。

  麻倉は、ここに運び込まれた記憶がなかった。

  身動きしようにも、

  ご丁寧に、両足まで縛っている。

  誰もいない。

  少なくとも、一晩はここにいたのだろう。

  後頭部に激痛が走った。

  女がどうしてあんなことをしたのか、

  それほどまでに山根を庇いたいのは、

  失踪された理由に基づくのだろうか。

  考える時間はたっぷりありそうだ。

  意識に霞がかかり遠のくさなかに、

  麻倉は女の顔を見た。

  俊男もこの顔を見ただろう。

  裏切る顔は、醜い。

  愛するものの裏切る顔は、まして、醜悪だ。

  俊男はその顔に絶望しただろう。

  女の目尻の隈が、その顔を決定づけた。

  悪女とは思わない。

  これがもしかしたら女と言う種族の「素」なのだ。

  俊男は知り合った頃から女にもてた。

  少しだけワルで、たまらないほど優しい接し方に、

  容貌が加味されて、女達は夢中になった。

  その俊男をしても、女を御しきれなかったのだ。

  山根がそれほどいいのか、

  6年と言う歳月は、それほどの価値をもつのか、

  女にも答えられないだろう。

  車が停車する音がして、エンジン音がやんだ。

  がちゃがちゃと、鍵だろうか、施錠を解く音が響いた。

  音にも、埃たちは、反応する。

  こころなしか、咳を誘発された。

  開け放たれた通用口に、人が立っていた。

  逆行でシルエットから女だと認められる。

  影が近づいてきた。

  どうして麻倉さんが来るの?

  来ちゃいけなかったのよ。

  あなたまで犠牲にしたくなかった。

  女が抑揚のない声でしゃべった。

  俊男をどうした?

  知らない方がいいわ。

  生きているんだろうな?

  それも知らない方がいいわ。

  君も共犯なのか?

  変な訊き方ね、共犯?まるであたしたち犯罪者みたいじゃん。

  じゃ、俊男は生きているんだな?

  あなたにも同じところへ行ってもらうわ。

  どこだ?

  そんなに知りたい?

  ああ、教えてくれ。

  女は白衣を着ていた。

  ナース服だ。

  右のポケットから注射器をとり出した。

  麻倉さんは、なにもない世界って好き?

  なんのことだ?

  いまから案内してあげるわね。


  

  



 
2006 10/13 00:08:33 | none | Comment(0)
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百鬼丸



 眠った。
 ただ、眠り込んだ。
 夢は見たのだろうが、
 覚えちゃいない。
 久しいポンタールは、
 催眠効果も半端じゃない。

 遠い日、
 ドラッグにはまったことがある。
 きっかけは、
 ボンドからだった。
 中学三年の卒業を前にした、
 うらびれる黄昏どきだった。
 シンナー狂いで、
 歯までとけた友人が、
 叔父の命令で勉強部屋という名目の、
 六畳一間の安アパートに、
 従兄とふたり押し込められて間もない頃だった、
 紙袋を提げて遊びに来た。
 精気のない微笑みを浮かべながら友人は三〇枚入りの
 透明ビニール袋とチューブ入りの速乾ボンドを机に置いた。

 指に唾つけて、ビニール袋を三枚とりだし、
 友人は、シンナー臭い息を中に吹き込んでふくらませると、
 ねりねり、ボンドをなかに捻り出す。
 黄柿色の塊が異臭をふりまきながら袋の底にとぐろを巻く。
 右手で底を大事そうに持ち、
 左手で異臭を逃さぬように口をにぎる。
 吸う、
 胸いっぱいに、異臭を吸い込んで見せる、
 こうやるんや、と。

 大きな黒く古い柱時計が壁にかかっていた。
 秒をきざむ音さえも、
 確かめられるほどのうるささだった。
 私と従兄は教えられるままに、
 友人と同じように、
 異臭を体内に入れた。
 何も変わらない。
 既に友人の目はすわり、
 死んだ魚のようなまどろみに操られている。
 だが、
 なにも変化がおきなかった。

 あれ?と友人の横にひとりの女がいることに
 初めて気付いた。
 胸ぺちゃで、
 太ったチビの醜女だった。
 自意識を破壊された従兄がしゃにむに襲いかかる。
 薄い胸をわしづかみ、
 気持ちの悪いくちびるに唇を重ねて、吸う。
 友人がおんなの背にまわり、うなじにキスをした。
 従兄の片手は女の短いスカートの中をまさぐり、
 友人の片手は窮屈そうに女の尻をなでている。

 ニシダか?
 驚いた、女は私の同級生だった。
 こうちゃん元気やった?
 おかまのような低い声だが、
 そんなことされてて、
 どうしてそこまで普通なんだ?

 衣服を脱がされながら、
 女は、
 曼荼羅の中央にすわる
 大日如来のように、
 宇宙の心理を私たちに魅せた。

 時計を見る。
 そんなはずはないのに、
 そこまでわずか数秒しか経っていなかった。
 時計と裸の女、
 交互に見比べる。
 壁が時のうねりを波うち、
 女が時のうつりを遅らせた。

 中二のときに吸った大麻ほどではなかったが、
 こいつはかなり効く。
 自覚しはじめた頃に、
 私は意識を忘我の果てにとばせていた。

 高一の初めに受けた能力測定、
 担任が驚いていた。
 なにがあった?
 私の知能指数は、
 あの日からの数週間で、
 50も落ちていた。

 私のそれからの三十五年は、
 去勢された記憶のかけらを、
 拾い集める日々だったような気がしている。
 そう、
 未だに私は15の私に戻れていないのだろう。
 
 
2006 09/15 00:41:03 | none | Comment(0)
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  交渉事に必携なのはたたみかける事だと私は思います。相手に、判断の暇を与えない。このことは、諸事全般に通じます。たとえば、プロポーズ。男性諸君は、許婚の後に、時を与えてしまってはいないだろうか?与えた時が、彼女の心をどう左右するか、一喜一憂し、永劫の焦燥に身を焼きながら、あらぬ妄想に、挫けそうになってはいまいか?

  決断を、熟考させてはなりません。大切な事であればあるほど、熟考させてはなりません。一瞬の判断と、時間をたっぷりかけて導き出した決断と、実は、ほとんど変わらないものです。多少の誤差はあるかもしれませんが、そんなものは、時計が0.001秒遅れる程度の小事に過ぎません。

  プロポーズされたとき、考えさせてくれと、三人に頼んだ私に断言できる資格があるのかどうか疑わしいのですが、そこは、大目にみてもらって、話を続けます。

  女性の長考はほとんどの場合、好結果に結びつきません。何故なら、女性自身がその決断に絶対の自信をよせっこないからです。女性は、いつも、理性と現実を懐に忍ばせています。いつでもその切り札を出せる状況でないと、安心して、夢にひたれないのです。男のように、三歳児でもヒキそうな感情任せの行動は性的にも出来なくなっているのです。

  そこを、つく、のです。

  安心なさって下さい。女性は確かに好悪の区別が激しいですが、「悪」の認識さえされていなければ、案外、何にも考えていませんし、警戒もしていません。つまり、嫌われていない限り、この方法は必ず通用する筈です。

  16歳の春の夜でした。私は友人と二人、彼の家の近所の電話ボックスから、彼の調べた女生徒の電話番号をダイヤルしました。顔ぐらいは、同級生ですから、まさか知らないことはない、という程度の関係でした。話した事はなく、視線を合わせたこともありません。
  友人は、この告白の失敗を99%確信していたでしょう。上手くいくわけがないのです。私は留年している不良です。姿形も、不良だったでしょう。好印象を与えているとはとても思えません。対する女生徒は、世俗の垢とは全く無縁で育ったような、謂わば、深窓の令嬢、でした。男女交際なんて破廉恥なことは、耳にするだに穢れた心地がするでしょう。

  「どう言うつもりや」

  友人は作戦を尋ねます。いいえ、作戦なんてありません。出たとこ勝負、感性のままに、当たって砕けてみようと私は、決意らしい決意としてそんな曖昧なものしかもっていませんでした。

  家人が出て、同級生である由を前置き、彼女を呼び出してもらいました。若い声でしたから、姉か母親だったのでしょう、私は幸運でした。父親だったら、用件を根掘り葉掘り聞き出されていたでしょう。彼女の足音が響き、

  「はい、博子です」こういう声だったのか、この無謀な男は、この時初めて彼女の声を聴いたのです。

  「Sやけど、今晩は」

  「今晩は。何?急にびっくりしたやん」

  どっちの胸が高鳴っていたか、それは、神のみぞ知る領域でしょう。たかが人間の私は、覚悟を決めなければなりません。今ならば、まだ、引き返せる。

  「お願いがあるんやけど、聞いてくれるかな?」

  「お願い?何?聞いてみないと、分からない」そりゃ、そうだろう。彼女も、私の声を初めて聴いているのだろうから。

  「俺と付き合ってくれへんかな?」

  「え?」

  「真剣やから、笑わんといてな。冗談やないから」

  「分かってる…」これが、彼女の弱みになりました。

  「俺と付き合ってくれへんか?」

  「S君、わたしのこと好きなの?」大胆な事を訊いてくる娘だ。普通は交際申し込む相手に確認する事ではあるまい。

  「判らへん。嫌いではないと思う」

  「何それ、好きかどうかわかるらへんのに、付き合って欲しいの?変やん、そんなの」

  「いいや、全然、変な事ないぞ。付き合って欲しい、と思っているのは本心や。そやから、返答してくれへんか?」

  「え、分かった…」

  この瞬間です。この瞬間を逃してはなりません。たたみかける好機は、この瞬間をおいて他にはありません。

  「考える、っていうのは無しやで。今、すぐに、返事してくれ。今判断したって、数日判断したって、答え、なんて変わらへんもんや。今、すぐ、判断して欲しい。断っても、安心して、気まずいことにはなれへんから。君の事、これまで通り、いいや、今夜を境に、ちゃんと、級友として扱うから、保証する。断ったあとのことは、本当に、心配いらへんからな。さぁ、どうする?付き合うか、付き合わへんか」

  少しの沈黙。真面目な彼女のことだ、真剣に考えているのだろう。この思考も、破らなければならない。

  「正直に言うわな。君の事が好きかどうか、判らへんって言うたやろ。他に気になる娘もいっぱいいてる。君でなければ駄目だ、って自信もない。他の娘と付き合ったほうが仕合わせになるかもしれへん。君を好きになれるかどうかも自信がない。好きになれへんかもしれへんし、無茶苦茶、好きになるかもしれへん。そんな先の事は判れへんやろ?ただ、俺は、君に付きあって欲しいと頼んでる。何としても付き合って欲しいと思ってる。断られたら恥ずかしいからと違うで。決めたからや。今、このとき、君に決めたからや。もう一度言うけど、君を好きになれるかどうかは判らへん。でも、決めたんや。そやから、今はもう迷わへん。さぁ、どっちや?返事は」

  「付き合う」

  友人の信じられない顔が、傍らにありました。信じられないのは、私も同じでした。まさか、上手くゆくなんて、想像もしていませんでしたから、そのあとの言葉が見つからなくなっていました。無難に「ありがとう」でいいのか、「本当に、いいのか?」などと、不審がる心のままに訊き直すわけにもいかないでしょう。

    薮をつついて出てきたのは……。

  その後、私達は交際を始めました。クラスの誰もが訝る関係だったでしょう。富士に月見草は似合うのかもしれませんが、私にIはどう贔屓目に見ても、似合いません。不純と純、垢と無垢、聖水と汚水、彼女が堕ちてゆくと誰もが、声に出さないまでも、噂していたでしょう。

  恋人同士は、お互いに似てくる、ってよく言いますよね。私は言われた事がありません。

  私は、煙草は吸うし酒は飲む、エスケープはするしズル休みもする、エロ雑誌は定期購読しているし麻雀だってする。朝方まで夜更かしするのはしょっちゅうだし、予習復習、ついでに宿題なんてしたことがありません。

  私は、少しずつ、少しずつ、変化させられていたことを、知らされます。

  彼女は、vampでした。別名bloodsucker。血を搾取する者。そう、バンパイヤ。ただし、彼女が搾取するのは、血ではなく、毒でした。

  妖婦の条件は色々あるでしょう。ですが、その正反対の清純無垢な魂にも、vampは存在します。つまり、清冽という、魔の伝染病です。毒をもって毒を制す、その毒は、なにも劇薬であるとは限りません。

  疑うことを知らず、盲目的に信頼を寄せる相手を、それでも騙し続けられる男なんて、いるのでしょうか。彼女は、私の漏らしたたった一言に希望を見出していました。君を好きになるかも知れない。これはあながち嘘とは言えないけれども、可能性の問題を語ったまでで、確率の程は低いことを彼女も承知していたでしょう。

  彼女は私達に慣れるのではなく、私達を彼女に馴れさせようとしていました。言葉でも行動でもなく、私達の情操に訴えかけるように。自分を自分のままに保つ事がまるでどうでもいいかのように無償の心で。

  長くなりそうなので、本日はこの辺にしておきます。さてさて、私は何が書きたいのだか。

  最初の妻に待ってもらった時間は1時間、2番目の妻は、1週間、現在の妻は、半年待ってもらいました。結局、1時間も半年も、答えは同じだったわけです。私の夢は、一瞬で夢へいざなうような、プロポーズだったのですが、どうやら、一生、使えないようです。
2006 07/29 10:31:49 | none | Comment(0)
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   一番大切なひとは誰ですか?

   この質問に、素直に答えられる人がいるのだろうか。

  私は、きっと、迷う。そして誰かを選ぶだろう。だけど、それは、嘘だ、と思う。何故ならば、ひとりにきめられる筋合いのものではないからだ。

  そんなタイトルをもってきたこのドラマ、結構、奥が深い。

  誘拐、監禁されたコナミちゃん。

  救いを求めたのは、自分を捨てた、大嫌いな父親でした。

  発見した父親の洩らした言葉、「だめだ、コナミ、俺、こいつ殺すわ」そして、「お父さんのことはもう忘れろ」

  駄目な男だけど、最低の父親だけれど、救いようのない父親だけど、吐き出す言葉は、きらめいている。

  「父親だからって、いつも優しいと思うなよ」

  三宅裕司の劇団出身だとは、信じられない、透明な存在感をもった役者だ。台詞に臭みがなく、演技に粘着感がない。

  あげくの果てに、娘に告げる。

  「逃げよう、二人でどこかに逃げよう」

   男は、娘の望むままに、八丈島へ。

  娘は、ブスッとして、まともに口をきいてくれないし、父娘の会話は、まんま、漫才だ。

  そう、逃げようとして、逃げられることなんて出来はしない。

  どこにも、逃げる場所なんてないのだから。

  逃げるのは、捨てる事だ。捨てられないのだから、逃げられる筈がない。

  私には、蒸発者の気持ちが、よく分からない。その思いを浮かべる事は誰にでもあるし、私にもある。

  満員電車に揉みくちゃになりながら、眺めた、反対方向へ擦れ違うガラガラの電車。あれに乗れば、この日常から、飛び出せる。そう、次の駅で降りて、反対のホームに移ってしまうだけで、劇的な変化がおきるかもしれない。

  しかし、そこには、見えない敷居がある。それを越えるのは簡単なのだが、足が上がらない。上がらないから、つんのめる。つんのめると、倒れてしまう。倒れたら、痛いだろう。血だって出るかもしれない。血が出たら、情けない。情けないのならば、やめようか。やめたら、このままだ。このままが嫌だから、情けなくなりたいのか?いいや、そうじゃない。越えるには、それだけの、理由が必要なのだ。それは、絶望だとか、挫折だとかいった、暗いものじゃ駄目だ。

  明るい絶望が、この世にあるのだろうか。明るい挫折。明るい悲しさ。それがもしあるのならば、その時が、越える機会なのだ。

  明るい、とは、希望と置き換える事ができるだろう。希望ある絶望。希望に充ちた挫折。希望に抱きしめられた悲しみ。

  それは、どういう時なのだろうか。

  考えて、考えて、考えあぐねて、結局、分からない。

  分からないから、今日も、満員電車に揺られる。揉みくちゃになって、OLが胸に頬を寄せるのを我慢する。女子高生が、背中に顔を埋めても、貝になっていよう。服に化粧がついてしまう。背中に少女の髪の匂いが染みつく。毎晩、服を直す妻は、どう思うのだろう。夜までに消えるだろうか。

  10時間の我慢だ。10時間経てば、我が家で、可愛い子供たちが、とびっきりの笑顔で迎えてくれる。湯気の立ち上る温かいご飯が待っている。

  だけども、その湯気が、疎ましくなることだって、ある。それが、魔の忍び寄る瞬間だ。そうしたとき、私は、夢を見る。夢は、魔でも、冒せない。

  男は、そうして、交番の前を、いつも同じ時刻に通り過ぎる女子大生にある時、気づく。男の楽しみは、終業してからの居酒屋。

  その居酒屋でその女子大生はバイトしていた。話した事はないけれども、居酒屋で会釈して、交番前で会釈する。

  半年も続けば、どんな鈍感な男だって、気付く。これは、変だ、と。毎日、同じ時刻に、同じように通り過ぎて会釈する女子大生。そして、どんなに遅くなっても居酒屋にいた女子大生。

  これは、無言の告白だったのだ。あなたが好きです。声ではなく、視線でもなく、態度でもなく、ただ、偶然を意識的に積み重ねてゆく、という、告白だった。

  その女子大生が、再婚相手の牧瀬里穂だ。男は、自分の気持ちに向き合った。そうだった、俺は、この娘に、癒されていたんだ、と。

  一番大切な人は誰ですか?

  男には、答えられない。きっと、答えられない。でも、私なら、男の一番大切な人が誰か、分かる気がする。それは、傍観者の特権ではなく、同じ思いを抱いていた想い出が、その答えを明らかにしてくれるからだ。

  張りつめていたものが、少しずつ、少しずつ、剥がれ落ちてゆく。それらは、ささやかな緊張と、深い思い遣りと、溜息が出そうなくらいに際立った誠意によって、不安定なバランスをようやくのことで保っていられたのだろう。

  娘と逃げた父親が戻った家には、宮沢りえ演じる元妻と妻が、いた。

  奇妙な晩餐が始まり、細い今にも裂けそうな絆が、複雑に縺れあい、解けなくなってゆく。

  娘は、大好きなお姉さん(妻)と大好きな母が笑顔を交す場面を素直に、そう、屈託なく、平穏を思えたのだろうか。

  笑顔を交すたびに、傷つけあう事だってあることを、少女は理解出来ない。見たまま、感情のままに、直感に左右されてしまう年代にありがちな、狭視野。

  見えるものだけが真実ではないことを、少女は知らない。

  母は、傷ついていた。数億もの絶望の刃に胸を切り刻まれて、立っている事さえ忘れていただろう。

  お姉さんも、傷ついていた。数億にはほんの少しだけ足りない絶望の斧を脳裏に振り下ろされて、過去と現在の区別が判別出来なくなっていただろう。

  しかし、父親はどうだったのだろうか。大好きな娘とふたり、娘の望んだ佐渡へ旅し、娘との10年あまりの溝が埋まったことを、素直に悦んでいられたのだろうか。

  溝は埋まるものなのだろうか。裂け目が、どうしたって、元に戻せない傷跡を残すように、溝だって、埋まったつもりで、醜く盛り上がった傷跡を残すものではないのかしら。

  直感ままの本能を受け止められるだけの寛さが、ある筈がないのだから。

  仕合わせな結末が、本当に、仕合わせな結末だったのか、それは、これからの展開に依るだろう。

  いいドラマでした。胸が詰まってしまう。
2006 07/25 10:22:56 | none | Comment(0)
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            狂いの少ない時計

     狂いの少ない時計のネジ巻いている。
     永遠に、永遠に巻き続けている。
   
      もし時が現し世ならば、
      女は分針で、男は秒針だろう。

      女は10億9百15万2000回、
      嘘を装い、
      男はその2.34375倍、
      嘘に惹かれる。

      敷き詰められた罠に、
      しみこんだ芳香、
      朝と夜も識別できず、
      行き止まりを選ぶ岐路。
      
      折り畳まれ折り重なった歯車が、
      刻みつける
      容赦ない流れの中、
       
      乾燥した夜に、
      季節がないように、

      細い帯状の光を目指して、
      歩き続ける孤独と希望のように、

      色変わりした
      かの世の乙女達が、

      くる日も、くる日も、
      気炎を上げては嘆き、
      嘆いては痛飲し詩を謳う。

      あのなまめかしい野戦址は
      凝縮された空に思念となって漂う。

       やがて雨となり地に落ちてくる。
       その滴は、思念です。
       乙女達の、愛や葛藤や挫折や絶望の溶けた思念です。
       
     
      狂いの少ない時計が狂う時、
      地は裂け、天は咆哮し、
      海は巨大な波を立ち上げる。

      西に起こった地の揺れは、
      東に針路を変えて襲い来る。
      東の地の揺れは、北へ転じ、
      南へ来たる。

      光とともに産まれしものは
      分裂を繰り返し、
      ひとつの結晶となってゆきます。

     狂いの少ない時計に性別はありません。

      父もなく、母もない。
      兄も姉も弟も妹もいない。

      狂うように狂わぬ定めを背負いしこの存在は、
      狂うように過たない時を刻んでゆきました。

      この存在の正体をそろそろ明かしましょうか?

      それは、

          デオキシリボ核酸。
          「n」で表される、ゲノムです。

    人間どもは、心がけずに、
    これからもずっと、

    狂いの少ない時計のネジを巻いている。

                 1976年 より (改稿)

    
   当時私は、大阪府吹田市山手町にて、ひとつ年上のOLと同棲していました。僅かな学生時代。

   変な詩を書く、小生意気で、はにかみ屋の年下の男を、彼女は、いつも黙って見守っていた。

   出来上がった作品を彼女に見せると、

   ”わたしには、判らない” と決まって困った表情で、申し訳なさそうに謝ってばかり。

   理解してもらえなかった彼女を、一作だけ、泣かせた小品がありました。

   捨てられていなければ、今も、それは、彼女が保管しているでしょう。

   ”これだけ、ねぇ、おねがい、これだけわたしにください”

   彼女が私に甘えた最初で最後のおねだりでした。

   「紫陽花」という短編小説だったっけ。
2006 07/24 14:09:24 | none | Comment(0)
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 人形(ひとがた)の妖し
           

           おいで、

           ここまでおいで、

           手は鳴らさない、

           声だけで、

           ぼくを探してね。

           ほら、

           そこじゃないよ、

           あぁ、そこでもない、

           ぼくが欲しいかい?

           盲いたニンフ、

           不完全変態をする昆虫の幼虫と

           同じ名の

           人形の妖し、

           僕のなにが欲しいんだい?


               
               血塊?

               肉片?

               さきみたま?

               生魄?

               え?涙?

               悔恨?

               懺悔?

               正気?

               宿業?

           
           たくさん欲しいんだね、

           さぁ、

           捕まえてごらん、

           鬼さんこちら、

           あぁ、おめでとう、

           それはぼくの尻尾だよ、

           捕まえたね、

           観念するよ、

           君の好きにするがいい、

           かわいいかわいい、

           ニンフを形どる妖し、

           またの名を、「恋患い」

           抵抗は、無意味だよね。

           記念にぼくの名前をおしえてあげよう。

           ぼくはね、

           エンビアウスって、

           呼ばれているよ。




        真夏の夜の夢物語、

        これからもつづきますれば、

        皆々様には、

        ご機嫌麗しゅう、

        暑中お見舞申し上げます。

   ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆



                     まずは御礼まで、
                     
                     敬白。
2006 07/22 10:03:18 | none | Comment(0)
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お好み焼き屋のお話しをひとつ。

   三年前まで住んでいたマンションの近くに、不思議なおかみさんがいるお好み焼き屋がありました。

   年のころは、どうでしょうか、私よりきっと年上だとは思うのだけども、自信がないのは、女性の年が解り辛いってことのせいなんだけど、ひょっとしたら年下かもしれないし、とにかく、美人のおかみさんです。ご主人のお姿をお見受けしないから、もしかしたら、そういう事情にある方かもしれません。

   最初、迷いこんだ猫のように、怪訝な表情隠しもしなかった私に、おかみさんは、

      ”いらっしゃいませ” と迎えてくれました。

   そして、明石焼やらミックス焼きやらをたいらげて、満腹、仕合わせいっぱいで清算すると、

      ”おにいさん、また来て下さいね”って送り出してくれました。

   ここまでは、普通のお店と同じ。

   次に行ったのが、一ヶ月後くらいでしょうか。明石焼が無性に食べたくなって、駅の近くまで、歩いて、その店を見つけた私のおなかは、背中にくっつきそうなくらい、あの通りの状態でしたから、ソースの焦げる匂いが鼻腔をくすぐってたまりませんでした。

      ”お帰りなさい”

   そう、おかみさんは私を迎えてくれました。変でしょう?

   で、ですね、そんな挨拶交すほど、話していたわけではないのです。瓶ビール頼んだら、グラスに最初の一杯だけ、お酌してくれるのですが、それも、観察する限り、私だけにではなくて、それが彼女の、サービスなのだと思い直したりする程度で、あとは、焼き方だとか、店と客との普通の会話しかしていないのです。

  そうだからといって、この日も、おかみさんがほかの客(男性ですね、人気があるようだから)のように、世間話に花を咲かせることもなく、ひたすら、胃袋を満たした私が清算を済ませると、

      ”いってらっしゃい’

  と送り出すのです。これは、かなり変ですよね。

  これも常連客(私は二回目だからその部類には入らないでしょうけど)への、お決まりのサービスなのかというと、そうでないのだから、ややこしくなるのです。

  世間話や、もう少しつっこんだお話しを、聞こえよがしに話し合っている常連と思われるお客さんに、彼女はけっして、「お帰り」も「いってらっしゃい」も言わないのですよ。

  で、ですね、もうひとつ驚いたのが、マヨネーズとか辛しとかケチャップ(この店はこれもかけるから)の量を必ず彼女は、常連客に対しても焼く前に尋ねるのですが、この日の彼女は、何も訊かずに、イカ豚玉焼きを私の前に私の好みの量を再現して並べてくれました。お酌は最初の一杯だけ。ほかの常連客には、何度も、お酌しているのだけれども、私は、やっぱり、一杯だけ。

  おにいちゃん、って呼ばれるのが癪にさわるから、三度目は、ヒゲ剃らずに、行ったのです。ですが、やっぱり、「お帰りなさい」で、「おにいちゃん、何する?」

  白髪、けっこうあるし、ヒゲにも、白いのがまじってるから、まさか本気でおにいちゃんなんて思っていないのだろうけれども、またまた、癪に触ってしまったまま、

     ”いってらっしゃい”

  と、送り出されてしまうのです。

  四度目は、

    ”お帰りなさい、あ、お疲れさま”

  と、私の様子に気付いて言い添えてくれました。

    ”いってらっしゃい、気をつけてね”
  
  これが送る言葉。

  そうして、月日が過ぎてゆき、

  ある日、Zを連れて、食べに行ったのです。

    ”おかえりなさい、あ、あ、彼女なの?お似合いね”

  って言うから、

  「違います、娘です」って言いかけたら、

  「そうですよ、似合ってますか?わたしたち」

  とZが先に応えてしまって、随分バツが悪いことになってしまいました。どうみたって、そんな関係に見える筈がないのに、なにを勘違いするのだろうかなどと、心中、ぶつぶつぼやきながら彼女を窺うと、

  またね、不思議な表情をしているのです。

  おかみさんはもともと無表情に近い、能面のようなお顔をなさっていて、まぁ、美人なんだけど、どこか寂しげな陰のある雰囲気で、しっかりせい!!っていつも元気づけてあげたくなってしまうのだけれども(したことないですけどね)、このときはね、

  母親のような、慈愛に満ちたまなざしをくれたのですよ。

  そして、私がミックスモダン、Zがミックス焼きそばと明石焼ととん平焼きをたいらげる (@_@ のを待って、お勘定すませると、おかみさん、

    ”いってらっしゃい、早く帰ってきてね”

  表情が変わったZが、私を恐い眼で射ぬく。

  なんてことをあなたは、とおかみさんを観ると、

  小さな舌をぺろっと出していたのです。

  しばらく、行ってないけど、元気なのかなぁ、と思い返すわけであります。

  そして、もうきっと帰らない、こまっしゃくれた日々、

  暖簾をくぐって、店に入ると、

     ”おかえりなさい”  の、
  
  華やいだ声が聞こえてきそうで、少しだけかなしくなるのです。
2006 07/20 18:26:05 | none | Comment(0)
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 ゲノム

   ある生物がその生物として生きてゆくために必要な一組のDNA(遺伝情報)のセットを“ゲノム”とよぶ。ゲノムの大きさ(長さ)は原則として進化の進んだ生物ほど大きいとされている。例えば大腸菌ゲノムは470万塩基対、実長1ミリメートル。ショウジョウバエでは1億7000万塩基対、実長1センチメートル、ヒトの核ゲノムでは30億塩基対、実長1メートルと見積もられている。これは24種類の長さの異なるDNA分子に分かれ、それぞれが別の染色体をつくっている。しかし、この原則に合わない生物もあり、例えば植物のユリはヒトのほぼ30倍、1000億塩基対という巨大なゲノムをもっている。大腸菌など原核生物ではゲノムDNAの上に、遺伝子がほとんど隙間なく並んでいるが、ヒトを含む哺乳動物では遺伝子として働いているDNA部分は全体の数パーセント程度で、それ以外の大部分のDNAについてはなお不明な点が多い。遺伝子=DNAとはいえても、DNA=遺伝子とはいえないことになる。



   
    その頃は、ベッドじゃなくって、まだ、布団に眠っていた。

   嫌だった丸坊主にも慣れた。人がどう見ようが、そんなことは、どうだってよかった。自分さえ、耐えられたら、それで、よかったのだ。そうかといって、私は、冷淡な少年じゃなかったと思う。どこからか迷いこんできた小さな黒猫を、ちゃんと可愛がって、育てていたし、叔父から譲ってもらった、梅の盆栽も、大事にしていた。

   西田からもらったチョコレートもまだ、食べきれずに、机の上に、無造作にほったらかしてあるが、これは、甘すぎて、虫歯に悪いからで、けっして、食べたくなかったからじゃない。気持ち、って、あのオトコ女は洒落たこと形容してたけど、それじゃ尚更、意地でも食べてやるものかとは思うのだが、そうできないところにも、そんな私の性格が出ていたろう。

  週に3回、店の奥にある座敷で、母が琉球舞踊を弟子に教えていた。6人のお弟子さんは、皆、10代で、ひとり、16歳のお姉さんがいた。明美姉ちゃんだ。高校の授業が終わってから、習いにくるので、いつも、恐縮しながら、座敷に上がってくる。

  舞踊というものは、徹底的に、才能を競う世界、である。才能のないものには、習得は適っても習熟は永劫適わない。それは、手の表情、腰と背の入り方、足の運び、顔の位置、そんな細かいからだの全てに、如実に現れてくる。おかしなことに、美を創造しながらもこの才能は、容姿の美醜に拘わらない。痩肥、小顔大顔、背高低、腕脚長短に、左右されない。もうひとつやっかいなことに、聡明さにも拘らない。いくら完璧に模倣できても、美の世界を構築できるわけではないのだ。これほどまでに、記憶が実践されない虚しい世界は、芸能に不可欠の要素なのだろうが、その基幹となるの感性であるが、こいつは、もうひとつ身体の感性という天賦のものが必要になる。敏捷で、切れが良く、肉体に宇宙を描き出さなければならない。しなやかであり、軽く、そして、なによりも、止め、に於ける、静寂の比喩が、その宇宙を銀河系からアルファ宇宙域を飛び出し、ベータ宇宙域まで拡大させなければならない。
  才能のある者が集まり、そのなかで抜きん出るためには、並大抵の努力を強いられるのは勿論、そこもまた、才能の量によって順列が生まれてくる。巨大な才能の持ち主が、選ばれた地位にもっとも近い者となる。だが、現実に、トップの者が、才能ナンバー1かというと、これは、免状をもつもの全てが一堂に会して競わない限り、証明は出来ないだろう。
  スランプ、というものもあるだろう。体調の善し悪しもあるだろう。だが、巨大な才能の持ち主には、そういう言訳は通用しないし、また、そうなることは考えられない。

  6人のお弟子さんの内、明美ねえちゃんは、ひとり抜けていた。砂に水を撒くように、吸収して、蒸発する。ただし、蒸発するときの、蜃気楼は、ちゃんと残っている。そんな弟子だったそうだ。教え甲斐があると、母は、異常なほどの執着を見せる。片時も離れずに傍に控えさせて自分のもつ全てを教え込み、啓発する。あげく、時には、スナックを手伝わせたりしていたようだ。いけないことだけど、女子高生には、結構なアルバイトだったのかもしれない。明美ねえちゃんも師というよりも、もっと近しいものとして母を慕い、その息子である私も、及ばないだろうけど相応に気にかけてくれていたようだ。週末には、そのまま泊まって行くこともあった。

  部屋は、余っているけれども、布団は、一組しかなかった。つまり、私の布団だ。14歳の中学生と16歳の女子高生が、ひとつの布団に眠る。私が眠る横に、服を脱ぎ、下着姿の明美姉ちゃんが滑り込んでくる。私は熟睡してるから、その状況を見たことがないけれども、明美ねえちゃんの話によると、私は、まるで、起きているかのように、寝言を言うのだそうだ。膝を立てるな、ちゃんと、服を脱げ、などと、え?って私の寝顔を確かめるくらい。

  私は毎晩、どういう夢を見ていたのだろうか。明美ねぇちゃんへの、秘めやかな思慕も、夢に反映していたのだろうか。

  私は、片思いしい、だった。恋というものをしらないのだから、仕方がないだろう。好き、という気持ちが、きっと、こういうことをいうのだ、という、今から思い返したら、著しい錯誤をしていたのかもしれないが、含羞が薄らぐわけでもないのだから、どうしようもない。そんなことどうでもいい、そう、おおらかで、底なしに明るく、少し、切ない恋心。抱く相手は、日替わり状態だった。気が多いのか?と悩んでしまうくらい、私は、色々な異性を好きになった。

  小柳ルミ子に一目惚れしたり、いしだあゆみも素敵だなんてため息つきながら、中村晃子もいいなぁ、などと、定義を知らない、ただ、玩具を弄ぶように、片思いしていたのかも知れない。

  学校で1人、教室で1人、そして、近所で1人、家で1人。4人は、片思いする。片思いする相手がいてこそ、私は、この世界に棲んでいられた。従順なままに。それは、きっと、今でも何ら変わらない。偏執する気質は、どうやら、親譲りのようだし、気が多いのも、そうなのかもしれない。

  いつものように明美ねえちゃんは、二階に昇ってくる。階段板が軋む音が、break the still of the night 。黙(しじま)は、畳を踏みしめる圧縮音に掻き消される。抜き足、差し足、忍び足。優しい明美ねえちゃんは、電気もつけずに、そのまま、服を脱ぎはじめる。

  私は、闇に慣れた目で、ずっとその動作を見ていた。下着姿でも格好良い明美姉ちゃんは、掛け布団を持ち上げて、身体を横たえた。

  「コウチャン、起きてるんでしょう?」

  「うん」

  「どうしたの?眠れないの?」

  「うん」

  明美姉ちゃんは、僕の首を抱いた。そして、その首に、向き合うように、潜り落ちてきた。そして、

  「コウチャン、キス、したことある?」

  「あるよ」

  「本当に?」

  「うん」

  嘘かもしれないし、真実かも知れない。ファーストキスなんて、どれを差すのだか、私はいまだに探し出せない。

  「じゃ、お姉ちゃんとしてみたい?」

  言うなり、明美姉ちゃんは、くちづけてきた。触れ合う唇、カサカサに乾燥していた姉ちゃんの唇から、舌が私の口腔にねじ込まれてきた。

     たとえば私が恋を、恋をするなら、
      四つのお願いきいて、きいてほしいの♪

  窓から聴こえてくる歌謡曲、ネオンの赤や青、緑に黄色、オレンジにピンク、様々な色が、硝子を照らし出す。

  お姉ちゃんは、眼を閉じていた。私は、驚きながらも、その舌の動きに、従っていた。からむ、もつれる、押す、擦れる、目紛しくって、ついてゆけているのか分からなかったけれども、私の全身は汗ばんでいた。

  気が遠のきそうな時間が流れた。

  お姉ちゃんは私のシャツを脱がす。そして、布団を被ったままパジャマの下も脱がした。ズボンを傍らに投げると、私の上に馬乗りになりながら、背中に両腕をまわして、胸を露にした。長い髪が、こぶりの乳房を隠しているけれども、私は、そうしたことを、ネオンがもたらせる僅かな光りを頼りに、つぶさに、眺めていた。

  お姉ちゃんは、私の横に寝ると、下を脱ぎはじめた。脱がせる手が、私の腿に触れたままで落ちる。裸になったんだ。

  「まさか、これはないよね、コウチャン」

  訊かれた内容がよく飲み込めなかった私は、訊き返すことをためらっていた。何故だかは、答えたくない。そんな経験が、ある筈ないのだから。

  だけど、私も、返事の替わりにブリーフを脱いだ。その瞬間だった、

  「わたしも初めてだから、上手くできないかも知れないよ」と途切れ途切れに呟きながら、お姉ちゃんが私の上に被さってきた。

    私はその夜、初めて女を知った。

  
   「お寝坊さん、まだ起きないの?」

  目覚めた私は、背中に朝日をいっぱい浴びて覗き込んでいる明美姉ちゃんの顔を、薄目で見上げていた。いつもの顔が、そこにあった。少しだけ、照れ臭そうに、はにかんだ頬が、紅潮していた。お姉ちゃんは、もう服を着ていた。裸のお姉ちゃんとの違いが、私には不思議に思えていた。別人だったんだ。そう、思えてならなかったのは、お姉ちゃんの裏を、初めて知ったからなのだろうか。表裏一体、だれでもそうなのだろうけれど、私には、まだ、そういう含みや、ややこしい虚飾なんかは、よく理解できていなかった。それよりも、

  逆光のただ中のお姉ちゃんが、ただ、まぶしかったんだ。

  勘定できないくらい同衾した私とお姉ちゃんの別れは、それから、半年後、お姉ちゃんが、晴れて免状を授与されたおめでたい日だった。恐らく、母の弟子の中でも、五本の指に入るだろうその舞いは、研究発表会を催した、会館の舞台でも、充分発揮されていた。小宇宙を体現するお姉ちゃんの力量は、観衆の誰の目にも、明らかだった。底なしの才能の息吹、そして、女としての艶美の萌芽、視線の動きひとつにも、それは、描写しきれていた。私は、呆気にとられたかのように、魅了されていた。

  お姉ちゃんとは、十四歳のその日を最後に、会っていない。どちらが避けていたのかは、お互い様だったのかもしれないけれども、お互いの動向がずっと気掛かりだったことは、母から伝え聞く話では、確かなようだ。

  会いたくて会いたくて仕方がないのに、会わないで叶う恋もあるのだと、私は、教えられた。

  今でもときどき想い出すことは、もし、母がふたりの関係を知っていたら、赦してくれただだろうか、ってことなんだけど、その可能性は、少なかっただろう。なにしろ母は、どんな彼女を紹介しても、「ヤナカーギー」と裁定するのが癖だったから。「嫌な景」っていう意味で、つまり、美しくはない、ってこと。

  今のカミサンなんか、十七歳の時に会っているけれども(キスしている場面に出くわしたんだ)、ため息交じりに、お前の趣味が解らん、とひどく嘆いていたものだ。母は八十を過ぎてはいるが、世界中の80代の全女性の中で、イチバンの美貌を維持している、と怪気炎をあげている。見たくはないけれど、80代インターナショナルコンテスト、なんてもし開催されたら、文句なしに、母は、十七歳の時にそうだったように、女王の座を射止めてしまうだろう。

  母は、いつも、言う。美は、もたらされるものではなくて、積み上げてゆくものだ、と。基礎を固めて、積み上げて、練り上げ、塗り上げてゆく最後に、出現するものなのだ、と。
2006 07/16 21:41:20 | none | Comment(0)
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 光あるうちに光りのなかをあゆめ




        神のもとには大きなものも小さなものもありはしません。人生においてもまた、大きなものも小さなものもありはしません。
        あるものはただ、まっすぐなものと曲がったものだけです。                              
                                                                  
                                             トルストイ


            

    当時、私のバイブルになっていた歌。

    ディオールのイニシャル模様のネクタイ、ホワイトアイボリーのスーツ。それまでの私の全てを覆したそのドラマは、私の中の他のものまで変えてしまったのかも知れない。

    この歌は、魔法の歌だった。

    ありえない現象を、うみ、ありえないものを、もたらし、ありえないことを、可能にする。

    当時の私は、22歳。

       「アズマエさんは、カラオケとか行きますか?」

       「うん、行くよ」

       「どんな歌唄うんですか?」

       「ガラス坂かな」

       「えー?そんな歌唄うんですか?」

       「変かなぁ?」

       「変じゃないけど……、今度、連れてってくださいね」

             
             ゆうべは淋しさに 震えて眠って 夢を見た
             もつれた糸のように あなたと私と誰かと
             過ぎ去れば思い出になる 今をちょっと耐えれば
               私は ここに いるわ  いるわ

             終りのない歌を うたっているのは私です
             時には声かすれ 人には聴こえぬ歌です
             でも今が一番好きよすこし曇り空でも
               誰か私を抱いて  抱いて

                                         及川恒平


     これが、社交辞令、とかいう、許された嘘なのだろうと、私は聞き流した。数千足の在庫が立ち並んだ、狭く暗いストックルーム。彼女は、売場いちばんの美人だった。

     数日後の退社時間、店員通用門を抜けると、彼女が誰かを待っていました。恋人だな?と少し焼けたけど、

       「お疲れさま、早番だったでしょ?誰か待ってるの?」

       「うん、待ち人来たらずで、退屈してたの」

       「彼氏だね?ご馳走さま。じゃお先にね」

       「待って!待ってたのはアズマエさんですよ」

       「え?僕?僕なんですか?」

       「そうよ、約束したでしょ?飲みに行こう、って」

       「はい、確かにしましたけど、え?えええ?本気だったの?」

       「ひどいなぁ、忘れてたのね」

       「違うって、社交辞令だと思ってたから」

       「あたし、そんなこと言いませんから。それとも、あたしのこと、嫌い?」

       「まさか、売場のマドンナを嫌いな男なんていません、って」

       「じゃ、嫌いじゃないのね?」

       「はい、嫌いじゃありません」

       「それは、好きってことに取ってもいいのね?」

       「ご随意に」

       「なんか狡いなぁ。あたしとは飲みに行きたくないの?」

       「飲むのが、そもそも、苦手だから」

       「じゃ、あたしが教えてあげる。いいでしょ?」


     よけいなものまで、教えてくれました。

    
       
     無理を承知の行動だった。ふられて筋書き通りに運ぶ筈だったんだ。私は、「終わりのない歌」をひととおり口遊(くちずさ)んで、君を誘いに行った。

     君は、暗くなった店の奥で、日報をつけていた。私は棚卸しが終わったばかり。部下を帰して、私は迷っていたさ。閉店してもう二時間が過ぎている。残業届に記した時間は、あと数分しか残っていない。

     私は、大流行の兆しを見せはじめていた毛皮のコートを広げながら、レジの奥の小さなストックルームの奥、小さな机に向かう君の背中に声をかけた。

        「遅くまで、ご苦労様です」

        「あら、棚卸し終わったの?」
 
        「ええ、なんとか。帰らないのですか?」

        「アズマエさんは、もう帰られるの?」

        「ええ、もう帰ります」

        「お腹空いてませんか?」

        「え?お腹?」

        「帰り、どこかで食事しませんか?」

        「残務処理はもういいのですか?」

        「ええ、あなたを待っていただけですから」

        「え?驚くことをおっしゃいますね」

        「そうですか?私は底なしだけど、アズマエさんって、お酒大丈夫ですよね?」
 
        「いいえ、ダメなほうです。すぐに酔っぱらって、寝ちゃいますから」

        「じゃ、今夜はわたしが介抱しますから、思いきり飲ませてさしあげますわ」

    そう誘った君は、私より先に酔いつぶれて、歩けなくなって、どこにも行けなくなって、君の部屋まで送っていったら、そのまま、部屋に引きずり込まれて、酔ってなんかぜんぜんいなかったんだね、君は着ていた服を脱ぎはじめ、私の服を脱がせた。その時、君の胸の中で、爆発しそうになっていた鼓動を頬で確かめたさ。それは勇気なんかじゃなくって、覚悟だったんだよね。

     

        「アズマエさん、お久し振りね」

        「永井さん?ご無沙汰しておりました」
 
        「阪神にいないから、ここまで来ちゃったじゃん」

        「すみません、ご挨拶もせずに、転勤してしまって」

        「そんなことより、あなた、店長になったんだってね?」

        「はい、おかげさまで。若輩者ですから、苦労してます」

        「何言ってるのよ、自信満々のくせに。わたしも応援するから、出世してね」

        「ありがとうございます、今日は、春物をお探しなのですか?」

        「ええ、それもあるけど、今日はね、この娘を紹介しにきたのよ、あなたに」

        「え?お嬢さんですね?」

        「こら、照れてないで、挨拶なさい。カッコイイでしょう?ママのお気に入りの店長さんよ。年はまだ二十三歳、どう?あなた、気に入った?」

        「やめてよ、ママ」

        「この娘はね、十六歳、7つ違いだけど、お似合いだわ」

        「永井さん、僕は独身じゃありませんよ」

        「分ってるわよ、そんなこと。あなたが独身だったら、わたしがモーションかけてるわ」

        「ご冗談を」

        「だからね、娘を紹介するのよ」

        「すみませんでした。永井さん同様、懇切丁寧に接客させていただきますよ」

        「違うわ、あなた勘違いしてる。紹介はね、文字通り紹介なの、解る?」
  
        「いいえ、全然」

        「ホントにあなたこういうことには、鈍いのね。内の娘と交際してくれ、とおたのみしてるのよ」

        「こんなおキレイなお嬢さんに、私なんか、身分不相応ですよ。それに、そんなこと出来るわけないじゃありませんか」

        「あら、ねぇマリちゃん、あなたこのお兄さん嫌い?」

        「知らない、ママのばか!」

        「ほらね、この娘も、気に入ったようよ。あなた次第だわ、アズマエ店長、ご返事は?」

        「か、考えさせて下さい」

        「きゃぁ、照れちゃって、もう可愛いんだから。これだけは覚えておいてね。わたしはあなたを気に入ってるの。わたしには残念なことに息子が出来なかったけど、あなたなら、息子にしたいと真剣に思っているわ。覚悟しなさい、わたしからは逃げられないわよ」

     この奥さんは、阪神百貨店時代からのお得意様で、外商部から紹介されて、接客したら、なにが気に入ったのか、次から外商部を通さずに、直接売場に来るようになった、最初のお客様でした。

     
     私の迷走は、すくなくともひとつの帰着点に向かって進んでいたことが、最近、分りはじめてきました。 


        このごろわたしは想い出す。
           遠いあの日の、天使のようなあまいろの声。

        このごろわたしは想い出す。
           軟体動物のようなあなたのいやらしい肢体。

        このごろわたしは想い出す。
           再会したときのあなたのたたずまい。

        このごろわたしは想い出す。
           あなたに受けたさまざまな嫌な思い。

        このごろわたしは想い出す。
           あなたの最後の、最後のせいいっぱいのまなざし。

        このごろわたしは想い出す。
           あなたたが最後に、最後に遺した切ない言葉。

        こうしてわたしは想い出す。
           乾燥した胸には、去来するものがなにもないことを。

        こうしてわたしはさらに想い出す。
           想い出すことを想い出している、わたしを想い出す。
           醜いこの身を晒してまでも、自然発火した小さな焔が、
           乾燥した胸を焼け尽くすその時を、
           見逃さぬように、
           ただ、
           待ちわびるように。
2006 07/16 06:19:42 | none | Comment(0)
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あめあめ ふれふれ、かぁさんが、
       
      じゃのめでお迎えうれしいな。

      ぴちぴち ちゃぷちゃぷ らんらんらん。

  私は、昼から雨になるのを知っていても、傘を持たずにいつも登校していました。雨が好きだったためでもありますが、いちども母親に迎えにきてもらったことがないからでもありました。

  近所に住んでいた同級生で書店の娘でしたYという女の子がいました。当時は、まだ少年ジャンプやチャンピオンは創刊されておらず、サンデー、マガジンが主流でした。サンデーには「伊賀の影丸」。マガジンには「サスケ」。貸本屋がどこの街にも一件あり、月刊誌花盛りの時代、「少年」、「少年ブック」、「冒険王」、「ぼくら」、「少年画報」など、少年たちを魅了していましたから、書店は夢の宝庫だったのです。

  その日、昼から降り始めた雨は、放課後になってもやみません。傘をもたない私は、校舎から駆け出して、全身に雨を浴びます。顔を濡らす雨が気持ちいい季節だったのでしょう。濡れてゆく衣服、髪、したたりおちる滴が飴色に透けてゆっくりと、大粒に膨れながら落ちてゆく。ぬかるみだした大地も、やわらかく靴を包んくれました。

  思い遣りは、どこからやってくるのでしょうか。神の国からかもしれませんね。

  「Sく〜ん」

  雨音にまぎれて喚ぶ声が聞こえました。振り返ると、Yでした。

  立ち止まった私に追いついた彼女は、私に傘を差しかけます。

  何か云っていたでしょう。傘も持たずにとかなんとか、女の子は小学校2年生のこの頃から、もう説教が得意だったようです。お爺ちゃんを叱るどこかの愛くるしい孫のように。

  「じいたん、しょんなことをしては、ダメでちょ」

  「スマン、(6 ̄  ̄)ポリポリ、もうしませんから許して下さい」 孫に謝るのは、少し、気持ちがいい。

  悪いことをしたら叱られる。いいことをしたら、褒められる。2極端ならば、この世はなんて潔いことだろうか。でも、そうはいきません。よくても悪いことや、悪くてもいいことが、たくさんあります。凄く悪いことやちょっとだけ悪いこともあります。叱るのは、直感に左右されるでしょう。叱咤を受けるのは、感情ではなく、理性になっている今の私には、この幼い直感が、いとおしくてなりません。

  相合い傘、色っぽいこの言葉を、当時の私は知りませんでした。男と女、どうして分けられるのか、どこが違うのか、視覚できても、その意味までは理解できていなかったのでしょう。同類です。同じ生けるもの。同じ言葉を話し、同じ熱をもつ。パンツがすぐに見えそうなスカート穿いていても、チンチンがついていなくっても、風合いていどの違いしか私には、認識出来できませんでした。

  「今日も、家に来る?」

  「行く、少年サンデー今日発売やろ?」

  「うん、置いてあるよ、S君のために」

  転校生だった私に、最初に話しかけてくれたのが彼女だったのです。家が近い所為もあって、誘われるままに、彼女の家に行くと、廊下に山のような雑誌が積み上げられていて、一角に宝の山がありました。読んでいいか?って訊くと、好きなだけ、と応えてくれ、居間のソファーへ座り漫画の世界に没頭していると、これ食べよう、とオヤツを持ってきてくれます。一人分を、仲良く二人で食べる。ビスケットとかクッキーとか煎餅や饅頭の類いだったでしょう。

  嫌だったのは、ママゴトの相手をさせられることでした。お父さん役、仕事から疲れて返ってきた夕飯の風景、お父さんを知らない私にこなせるわけがないのに、そこはそうしなければいけない、と、演技指導。言われるままにこなすと、彼女は若妻役。私は、お母さんもしらないのに、何をすればいいのかが判らず、固まっていると、お帰りなさいあなた、と抱擁。暑苦しいなぁ、と閉口しながらも、我慢。漫画の為だ、と言い聞かせ、ツバメのような気分を味わいます。

  それだけで済めば、まだいいのですが、挨拶替わりのチュウしなければいけないんだよ、と、強要されると、閉口の度合いが頂点に達してしまいます。子供ができたら、どうするんだ?それだけは、困るだろう。7歳で父親なんか、やってられないぞ。心配は、頬への口付で解消されて、ほっ、ひと安心。

  他の女の子と遊ばないのか?と疑問をもつが、この子は、平気だったようだ。私は、ベッタンやビー玉遊びをしたかったのに、来日も来日も、ママゴトばかり。こんなののどこが面白いんだか、さっぱり判らん気持ちは、心にしまい、私は、ツバメを続けました。

  ママゴトから開放されてほっとすると、今度は、トランプ、歌留多。ゲームが嫌いな私には、地獄だったでしょう。ばば抜き、どこが面白いんだ?七並べ、どこに面白みがあるんだ?

  「わくわく、するね」

  おまえの神経は、だいじょうぶか?本気で疑うこともありました。
  
  雨が降っています。

  傘の中で、仲のいい男の子と女の子は、肩を寄せ合うように、歩いていました。女の子はオママゴトを想像し、男の子は漫画のつづきを空想していました。

  「やーい、男と女が抱き合ってるぞ」背中に、下品な哄笑が起きました。

  抱き合ってる?目、見えないのか?これが抱き合ってるのなら、バスや市電や電車の中は、抱擁だらけじゃないか。冷静になれば、そう切り返せた年に私はなっていました。だけども、先に、感情が泡立ってしまいます。みるみるうちに膨れ上がった泡は、胸の中の全てを支配してしまいました。

  ”もういっぺん、言うてみぃ!!”

  私は、冷やかした男の胸ぐらを掴み、殴りました。「S君、やめて!!」彼女の悲鳴も聞こえません。倒れた同級生の上に馬乗りになり、更に殴りました。相手は泣き出します。こんどは、呆然と佇む残りの同級生達に、掴みかかりました。

  ”S君、やめて!!”

  彼女が背中にしがみつきます。邪魔でした。動きを封じられたら、反対にやられてしまうじゃないか。私は、彼女を突き飛ばし、残りの敵にバチキ(頭突き)を入れました。泣けば、決着はついてしまうのです。

  雨が降りしきっていました。

  泣きながらランドセルを手に逃げてゆく同級生達を見据えながら、私は、傍らにいる彼女をふと見てしまいました。彼女は、泥だらけの道に座り込み、泣いていました。傘は何処へやったのでしょうか。

  雨は容赦なく二人を濡らしてゆきます。

  彼女の記憶は、ここで消えてしまいました。近くに住みながら、私は、その後、彼女と一言も口をきかなかったのです。彼女は、いつも、私を恨めしそうに見つめていましたが、私は、無視し続けました。愧じていたのでしょうか?ケンカを邪魔されたからなのでしょうか?

  いいえ、違うと想います。私は、照れ臭かったのです。男と女は、やっぱり違うんだ、って、初めて自覚してしまったのです。彼女が嫌いじゃなかったし、好きでもなかったけど、無視するような気持ちは抱いていませんでした。ただ、もう二度と一緒に、遊べない、そういう年になったのだ、と自分に言い聞かせていたのだろうと想います。

  15センチも背の低いチビの転校生のことを、彼女は、覚えているでしょうか。その想い出の中の私は、優しく笑っていますか?
2006 07/14 22:11:44 | none | Comment(0)
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眞白の月

    

      君が誰とましろの月を観たかなんて、野暮な事は訊かないよ。    
      
      刃渡り2寸の小さなナイフ、
      君はなんども、なんどもこの胸を刺した。
      おなじところを、おなじちからで刺した。
      
      血は出ぬその小さな傷跡に、
      いつかしら咲いた黒い花、
      摘んで君に捧げるとしたら、
      それは君にどう見える?
      
      君はニベも無くこう言うよ、
      そんなきみわるい花、要らないわ、って。
      
      君が刺した傷跡に咲いた黒い花、
      ぼくはそれを胸にかくしたまま、
      君の無邪気な想い出に相づちを打っている。
      
      ぐさり、ぐさりと、
      脂だらけの肉が裂ける沈んだ音を耳にしながら。

      夜空には、
      ましろの月が、
      映えかえる。

      あぁ、うつくしの夜や。
2006 07/13 22:33:06 | none | Comment(0)
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 狂いの少ない時計

     狂いの少ない時計のネジ巻いている。
     永遠に、永遠に巻き続けている。
   
      もし時が現し世ならば、
      女は分針で、男は秒針だろう。

      女は10億9百15万2000回、
      嘘を装い、
      男はその2.34375倍、
      嘘に惹かれる。

      敷き詰められた罠に、
      しみこんだ芳香、
      朝と夜も識別できず、
      行き止まりを選ぶ岐路。
      
      折り畳まれ折り重なった歯車が、
      刻みつける
      容赦ない流れの中、
       
      乾燥した夜に、
      季節がないように、

      細い帯状の光を目指して、
      歩き続ける孤独と希望のように、

      色変わりした
      かの世の乙女達が、

      くる日も、くる日も、
      気炎を上げては嘆き、
      嘆いては痛飲し詩を謳う。

      あのなまめかしい野戦址は
      凝縮された空に思念となって漂う。

       やがて雨となり地に落ちてくる。
       その滴は、思念です。
       乙女達の、愛や葛藤や挫折や絶望の溶けた思念です。
       
     
      狂いの少ない時計が狂う時、
      地は裂け、天は咆哮し、
      海は巨大な波を立ち上げる。

      西に起こった地の揺れは、
      東に針路を変えて襲い来る。
      東の地の揺れは、北へ転じ、
      南へ来たる。

      光とともに産まれしものは
      分裂を繰り返し、
      ひとつの結晶となってゆきます。

     狂いの少ない時計に性別はありません。

      父もなく、母もない。
      兄も姉も弟も妹もいない。

      狂うように狂わぬ定めを背負いしこの存在は、
      狂うように過たない時を刻んでゆきました。

      この存在の正体をそろそろ明かしましょうか?

      それは、

          デオキシリボ核酸。
          「n」で表される、ゲノムです。

    人間どもは、心がけずに、
    これからもずっと、

    狂いの少ない時計のネジを巻いている。

                 1976年 より (改稿)

    
   当時私は、大阪府吹田市山手町にて、ひとつ年上のOLと同棲していました。僅かな学生時代。

   変な詩を書く、小生意気で、はにかみ屋の年下の男を、彼女は、いつも黙って見守っていた。

   出来上がった作品を彼女に見せると、

   ”わたしには、判らない” と決まって困った表情で、申し訳なさそうに謝ってばかり。

   理解してもらえなかった彼女を、一作だけ、泣かせた小品がありました。

   捨てられていなければ、今も、それは、彼女が保管しているでしょう。

   ”これだけ、ねぇ、おねがい、これだけわたしにください”

   彼女が私に甘えた最初で最後のおねだりでした。

   「紫陽花」という短編小説だったっけ。
2006 07/10 22:04:00 | none | Comment(0)
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    ぼくが死んでも 歌などうたわず
    いつものようにドアを半分あけといてくれ
    そこから
    青い海が見えるように

    いつものようにオレンジむいて
    海の遠鳴り教えておくれ
    そこから
    青い海が見えるように

                    寺山修司

  
   月があんなにも神秘的に私たちを惹きつけるのは、じぶんで耀いていないからかもしれない。

  私たちは、光によって、その存在を、他に認識されている。私たちに、自ら発光できる能力は備わっていない。触れても、匂っても、聞こえても、見えないものは、実質存在の有無につながってしまう。

  そこには、たしかに、ある。しかし、それを、可視させるものは、光だ。光がなければ、私たち人類は、進化さえできなかった。

  私の伯父は、白内障を病んで、壮年期に視力を失った。私が4歳くらいだっただろうか。伯父は、私に、「故郷」を教えてくれた。

  忘れ難き、ふるさと。

  視力を失いつつあった伯父にとって、掠れ行く故郷のたたずまいは、万感の思いを吃逆させていたのかもしれない。

  私は、幼いくせに故郷を口ずさむ、異様な子供だったようだ。断片的に残る記憶の中に、伯父のその姿は、小さく幽かだ。下の伯父によって、ようやく、全ての歌詞を記憶できたその日、伯父は、血を吐き、倒れた。

  視力をなくし、尚、不治の病を得た伯父は、私が小学校に入学してからしばらくのち、逝った。衰弱憔悴の果て、兄妹に見守られながら、その生き様に似て、静かに、愚痴をなにひとつこぼさず身罷った。

  大好きだった柑橘類を、その墓前に供えることが、現在、母の日課となっている。

  ひとも他によって光を得ると言い換えられるだろう。耀きは、他によって、もたらされる。

  ならば、伯父は、その38年の生涯に於て、一度でも、光に包まれた事があったのだろうか。それを、伯父の年を随分追い越してしまった私は、時々、思い出しては、胸が詰まってしまう。

  伯父の墓は、朝日がふりそそぐ場所にある。
2006 06/30 11:15:54 | none | Comment(0)
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思想別ハッピーバースデー ]

理想主義 : お誕生日おめでとう!

資本主義 : 誕生日プレゼントのために一日中買い物したよ

懐疑主義 : 君の誕生日だなんて信じられない

実存主義 : 君の誕生日は僕には何の意味もない

共産主義 : みんなでプレゼントを分け合おう

封建主義 : 君がもらったプレゼントは私のものだ



A「なあ。きみは患者に恋したことがあるか」
B「ああ。医者だって恋はする。たまたま相手が患者だったというだけさ」
A「・・・そうか。そうだよな。患者に恋したっていいんだよな」
B「なんだよ、もしかしてお前」
A「うん・・・。立場上、許されない恋かと悩んだこともあったけど、お前の話を聞いて安心した。
 患者に恋するのはいけないことじゃない。恋はすばらしい。恋の炎は誰にも消せやしない」
B「でも、お前は獣医だろ」


長距離夜行列車にて。高校卒業記念に旅に出た3人の若者は、4人がけの席に座った。男ばかりの気安さで盛り上がっていると、
「あのう。ここ、あいてますか」
見上げれば、かわいい女の子が一人で立っている。喜んで座ってもらったのは言うまでもない。
今度は4人で楽しく盛り上がった。
若さをもてあましている男と女。夜がふけ、周りの席が静かになってくると、話は少しずつエッチな方へと移っていった。

「ねえ。一人100円ずつくれたら、ふとももの蚊に刺された所、見せてあげる」
女の子が笑いながらこんなことを言うと、3人は即座に100円を取り出した。女の子はスカートをめくり、ふとももをあらわに。
「うおー、すげぇ」と、うれしげな男3人。

「ねえ。一人1000円ずつくれたら、胸の谷間のほくろ、見せてあげる」
今度も3人はすぐに1000円を払った。女の子はシャツの胸元を大胆に開けてみせた。
「うおー、すげぇ」

「ねえ。一人10000円ずつくれたら、盲腸の手術した所、見せてあげる」
3人は、待ちきれないように10000円を払った。30000円を手にすると女の子は立ち上がり、窓の外を指差した。

「ほら見て。あの病院よ」



その男はなんとかして融資を受けようと、銀行の融資担当窓口で長い間熱弁をふるった。ついに融資係が言った。
「あなたへの貸し付けが成功するかどうかは五分五分ですな。なかなか判断がつきません。……よろしい、それではこうしましょう。実は私の片方の目は義眼なのですが、それがどちらか当てられたら、融資するとしましょう」
男は融資係の目をじっと見つめた。その義眼はとても精巧にできていて、本物の眼とまるで見分けがつかなかった。やがて、男が答えた。
「右目が義眼ですね?」
「これは驚いた」融資係は言った。「今まで誰一人として当てた人はいなかったのですが、どうして分かったのです?」

「いや、簡単なことですよ。右目にはわずかながら人間らしい光が見えたのでね」
2006 06/28 02:31:35 | none | Comment(0)
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