2010年 02月 14日 の記事 (1件)


  
 風のざわめきが気になる街だった。
 1991年2月14日、
 京阪電鉄森小路駅、
 PM20時。
 
 地上10メートル、
 夜明け前の駅のホームに、
 冷たい北風に吹かれる少女がいた。
 水中にさす月光をあびた貝に
 孕まれた結晶が真珠であるならば、
 少女の肌は、
 真珠のように青磁色の深遠さを
 たたえていた。
 少女はいつも
 風にまかれながら絶え入るように
 ふるえていた。
 定まった時間にそこにいるということは、
 定まった時間以外にはそこにいないということでしかない。
 たがいの時間が重なる機会は少なかった。
 わずかではあっても偶然が積まれてゆくと、
 意識にさざ波がおきてくる。
 はかないまでにちいさな意識ではあるけれども、
 からだの奥を少しずつ侵食して
 確固たる拠を造りあげてしまう。
 きっとそれは、
 あこがれとは呼べないまでも、
 それに似たものであるに違いない。
 ぼくはずっと見つめていた。
 仕草と髪とその肌のあまりの白さを。
 こころはずっと少女に語りかけていた。
 ぼくを
 どうか意識しないでください、と。

 期待を抱かなくなるのは、
 つらいことがたくさんあったからじゃない。
 まして、
 夢をみなくなるのは、
 後悔が横溢したからじゃない。
 ただ、
 飢餓感だけが
 あったからに過ぎない。 

 階段をおりて、
 改札口をぬけると
 風に包まれる。
 新月だった。
 夜空に月はない。
 茄子紺色のとばりが、
 暗い空からおりてくる。
 風もからだを捲くように、
 足許から吹きあがってくる。
 寒い夜だった。
 夜食をなににしようか、
 迷いながら高架をくぐっていると、
 煙草屋の前、
 水銀灯の下に少女がいた。
 あの少女だった。
 こちらを向いた。
 白い吐息にささやかな驚きが乗った。
 眼と眼があう。
 こんな顔をしていたんだ、
 ぼくは得をしたような気分になった。
 瞬きもせず、
 少女はぼくを見ていた。
 距離は近づいている。
 激しく鼓動が高鳴っている。
 胸の奥にくすぶっていた例の拠が
 パチン、
 と弾けた。
 
 黒い鞄の中から、
 なにかを取り出して、
 ぼくの前に少女は立った。
 これ、受け取ってください、
 切り分けたためいきのような吐息が
 少女の声を運んだ。
 はぁ?
 素っ頓狂な声しか出ないぼくは、
 贈られたものを見下ろした。
 バレンタインチョコレートだった。
 
 1991年2月14日、
 大阪旭区森小路、
 PM20時10分、
 見えないはずの灰黒色の月が、
 夜空に浮かんでいる気がしたとき、
 胸をまさぐると、
 飢餓感は消えていた。

 そして、

 1992年3月28日、
 少女はこの世から消えた。
 まだ18歳だった。
 不治の病が、
 少女を冒していた。
 数週間後、
 不在通知が部屋のポストに入っていた。
 再配達してもらうと、
 少女の三年分の日記だった。
 少女がぼくを知ったのは、
 三年前だったんだ。
 あふれるものが眼を歪めた。
 しずくとなって頬を伝い、
 膝に落ちたとき、
 ぼくは少女の死を
 認めなくてはならなかった。
 好きなままでいれる恋が、
 いま、
 終わったんだと。


   きらきら星の騒めきがもし空から落ちてきたら
   手にすくえそうもないから眼をひらいてまなじりをただす
   夢の初めは慄えるばかり 
   なのに夢の終わりは眠くなるほど仕合わせだ



 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2010 02/14 21:58:31 | none
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