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あめあめ ふれふれ、かぁさんが、 じゃのめでお迎えうれしいな。
ぴちぴち ちゃぷちゃぷ らんらんらん。
私は、昼から雨になるのを知っていても、傘を持たずにいつも登校していました。雨が好きだったためでもありますが、いちども母親に迎えにきてもらったことがないからでもありました。
近所に住んでいた同級生で書店の娘でしたYという女の子がいました。当時は、まだ少年ジャンプやチャンピオンは創刊されておらず、サンデー、マガジンが主流でした。サンデーには「伊賀の影丸」。マガジンには「サスケ」。貸本屋がどこの街にも一件あり、月刊誌花盛りの時代、「少年」、「少年ブック」、「冒険王」、「ぼくら」、「少年画報」など、少年たちを魅了していましたから、書店は夢の宝庫だったのです。
その日、昼から降り始めた雨は、放課後になってもやみません。傘をもたない私は、校舎から駆け出して、全身に雨を浴びます。顔を濡らす雨が気持ちいい季節だったのでしょう。濡れてゆく衣服、髪、したたりおちる滴が飴色に透けてゆっくりと、大粒に膨れながら落ちてゆく。ぬかるみだした大地も、やわらかく靴を包んくれました。
思い遣りは、どこからやってくるのでしょうか。神の国からかもしれませんね。
「Sく〜ん」
雨音にまぎれて喚ぶ声が聞こえました。振り返ると、Yでした。
立ち止まった私に追いついた彼女は、私に傘を差しかけます。
何か云っていたでしょう。傘も持たずにとかなんとか、女の子は小学校2年生のこの頃から、もう説教が得意だったようです。お爺ちゃんを叱るどこかの愛くるしい孫のように。
「じいたん、しょんなことをしては、ダメでちょ」
「スマン、(6 ̄  ̄)ポリポリ、もうしませんから許して下さい」 孫に謝るのは、少し、気持ちがいい。
悪いことをしたら叱られる。いいことをしたら、褒められる。2極端ならば、この世はなんて潔いことだろうか。でも、そうはいきません。よくても悪いことや、悪くてもいいことが、たくさんあります。凄く悪いことやちょっとだけ悪いこともあります。叱るのは、直感に左右されるでしょう。叱咤を受けるのは、感情ではなく、理性になっている今の私には、この幼い直感が、いとおしくてなりません。
相合い傘、色っぽいこの言葉を、当時の私は知りませんでした。男と女、どうして分けられるのか、どこが違うのか、視覚できても、その意味までは理解できていなかったのでしょう。同類です。同じ生けるもの。同じ言葉を話し、同じ熱をもつ。パンツがすぐに見えそうなスカート穿いていても、チンチンがついていなくっても、風合いていどの違いしか私には、認識出来できませんでした。
「今日も、家に来る?」
「行く、少年サンデー今日発売やろ?」
「うん、置いてあるよ、S君のために」
転校生だった私に、最初に話しかけてくれたのが彼女だったのです。家が近い所為もあって、誘われるままに、彼女の家に行くと、廊下に山のような雑誌が積み上げられていて、一角に宝の山がありました。読んでいいか?って訊くと、好きなだけ、と応えてくれ、居間のソファーへ座り漫画の世界に没頭していると、これ食べよう、とオヤツを持ってきてくれます。一人分を、仲良く二人で食べる。ビスケットとかクッキーとか煎餅や饅頭の類いだったでしょう。
嫌だったのは、ママゴトの相手をさせられることでした。お父さん役、仕事から疲れて返ってきた夕飯の風景、お父さんを知らない私にこなせるわけがないのに、そこはそうしなければいけない、と、演技指導。言われるままにこなすと、彼女は若妻役。私は、お母さんもしらないのに、何をすればいいのかが判らず、固まっていると、お帰りなさいあなた、と抱擁。暑苦しいなぁ、と閉口しながらも、我慢。漫画の為だ、と言い聞かせ、ツバメのような気分を味わいます。
それだけで済めば、まだいいのですが、挨拶替わりのチュウしなければいけないんだよ、と、強要されると、閉口の度合いが頂点に達してしまいます。子供ができたら、どうするんだ?それだけは、困るだろう。7歳で父親なんか、やってられないぞ。心配は、頬への口付で解消されて、ほっ、ひと安心。
他の女の子と遊ばないのか?と疑問をもつが、この子は、平気だったようだ。私は、ベッタンやビー玉遊びをしたかったのに、来日も来日も、ママゴトばかり。こんなののどこが面白いんだか、さっぱり判らん気持ちは、心にしまい、私は、ツバメを続けました。
ママゴトから開放されてほっとすると、今度は、トランプ、歌留多。ゲームが嫌いな私には、地獄だったでしょう。ばば抜き、どこが面白いんだ?七並べ、どこに面白みがあるんだ?
「わくわく、するね」
おまえの神経は、だいじょうぶか?本気で疑うこともありました。 雨が降っています。
傘の中で、仲のいい男の子と女の子は、肩を寄せ合うように、歩いていました。女の子はオママゴトを想像し、男の子は漫画のつづきを空想していました。
「やーい、男と女が抱き合ってるぞ」背中に、下品な哄笑が起きました。
抱き合ってる?目、見えないのか?これが抱き合ってるのなら、バスや市電や電車の中は、抱擁だらけじゃないか。冷静になれば、そう切り返せた年に私はなっていました。だけども、先に、感情が泡立ってしまいます。みるみるうちに膨れ上がった泡は、胸の中の全てを支配してしまいました。
”もういっぺん、言うてみぃ!!”
私は、冷やかした男の胸ぐらを掴み、殴りました。「S君、やめて!!」彼女の悲鳴も聞こえません。倒れた同級生の上に馬乗りになり、更に殴りました。相手は泣き出します。こんどは、呆然と佇む残りの同級生達に、掴みかかりました。
”S君、やめて!!”
彼女が背中にしがみつきます。邪魔でした。動きを封じられたら、反対にやられてしまうじゃないか。私は、彼女を突き飛ばし、残りの敵にバチキ(頭突き)を入れました。泣けば、決着はついてしまうのです。
雨が降りしきっていました。
泣きながらランドセルを手に逃げてゆく同級生達を見据えながら、私は、傍らにいる彼女をふと見てしまいました。彼女は、泥だらけの道に座り込み、泣いていました。傘は何処へやったのでしょうか。
雨は容赦なく二人を濡らしてゆきます。
彼女の記憶は、ここで消えてしまいました。近くに住みながら、私は、その後、彼女と一言も口をきかなかったのです。彼女は、いつも、私を恨めしそうに見つめていましたが、私は、無視し続けました。愧じていたのでしょうか?ケンカを邪魔されたからなのでしょうか?
いいえ、違うと想います。私は、照れ臭かったのです。男と女は、やっぱり違うんだ、って、初めて自覚してしまったのです。彼女が嫌いじゃなかったし、好きでもなかったけど、無視するような気持ちは抱いていませんでした。ただ、もう二度と一緒に、遊べない、そういう年になったのだ、と自分に言い聞かせていたのだろうと想います。
15センチも背の低いチビの転校生のことを、彼女は、覚えているでしょうか。その想い出の中の私は、優しく笑っていますか?
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