2006年 07月 16日 の記事 (2件)


 ゲノム

   ある生物がその生物として生きてゆくために必要な一組のDNA(遺伝情報)のセットを“ゲノム”とよぶ。ゲノムの大きさ(長さ)は原則として進化の進んだ生物ほど大きいとされている。例えば大腸菌ゲノムは470万塩基対、実長1ミリメートル。ショウジョウバエでは1億7000万塩基対、実長1センチメートル、ヒトの核ゲノムでは30億塩基対、実長1メートルと見積もられている。これは24種類の長さの異なるDNA分子に分かれ、それぞれが別の染色体をつくっている。しかし、この原則に合わない生物もあり、例えば植物のユリはヒトのほぼ30倍、1000億塩基対という巨大なゲノムをもっている。大腸菌など原核生物ではゲノムDNAの上に、遺伝子がほとんど隙間なく並んでいるが、ヒトを含む哺乳動物では遺伝子として働いているDNA部分は全体の数パーセント程度で、それ以外の大部分のDNAについてはなお不明な点が多い。遺伝子=DNAとはいえても、DNA=遺伝子とはいえないことになる。



   
    その頃は、ベッドじゃなくって、まだ、布団に眠っていた。

   嫌だった丸坊主にも慣れた。人がどう見ようが、そんなことは、どうだってよかった。自分さえ、耐えられたら、それで、よかったのだ。そうかといって、私は、冷淡な少年じゃなかったと思う。どこからか迷いこんできた小さな黒猫を、ちゃんと可愛がって、育てていたし、叔父から譲ってもらった、梅の盆栽も、大事にしていた。

   西田からもらったチョコレートもまだ、食べきれずに、机の上に、無造作にほったらかしてあるが、これは、甘すぎて、虫歯に悪いからで、けっして、食べたくなかったからじゃない。気持ち、って、あのオトコ女は洒落たこと形容してたけど、それじゃ尚更、意地でも食べてやるものかとは思うのだが、そうできないところにも、そんな私の性格が出ていたろう。

  週に3回、店の奥にある座敷で、母が琉球舞踊を弟子に教えていた。6人のお弟子さんは、皆、10代で、ひとり、16歳のお姉さんがいた。明美姉ちゃんだ。高校の授業が終わってから、習いにくるので、いつも、恐縮しながら、座敷に上がってくる。

  舞踊というものは、徹底的に、才能を競う世界、である。才能のないものには、習得は適っても習熟は永劫適わない。それは、手の表情、腰と背の入り方、足の運び、顔の位置、そんな細かいからだの全てに、如実に現れてくる。おかしなことに、美を創造しながらもこの才能は、容姿の美醜に拘わらない。痩肥、小顔大顔、背高低、腕脚長短に、左右されない。もうひとつやっかいなことに、聡明さにも拘らない。いくら完璧に模倣できても、美の世界を構築できるわけではないのだ。これほどまでに、記憶が実践されない虚しい世界は、芸能に不可欠の要素なのだろうが、その基幹となるの感性であるが、こいつは、もうひとつ身体の感性という天賦のものが必要になる。敏捷で、切れが良く、肉体に宇宙を描き出さなければならない。しなやかであり、軽く、そして、なによりも、止め、に於ける、静寂の比喩が、その宇宙を銀河系からアルファ宇宙域を飛び出し、ベータ宇宙域まで拡大させなければならない。
  才能のある者が集まり、そのなかで抜きん出るためには、並大抵の努力を強いられるのは勿論、そこもまた、才能の量によって順列が生まれてくる。巨大な才能の持ち主が、選ばれた地位にもっとも近い者となる。だが、現実に、トップの者が、才能ナンバー1かというと、これは、免状をもつもの全てが一堂に会して競わない限り、証明は出来ないだろう。
  スランプ、というものもあるだろう。体調の善し悪しもあるだろう。だが、巨大な才能の持ち主には、そういう言訳は通用しないし、また、そうなることは考えられない。

  6人のお弟子さんの内、明美ねえちゃんは、ひとり抜けていた。砂に水を撒くように、吸収して、蒸発する。ただし、蒸発するときの、蜃気楼は、ちゃんと残っている。そんな弟子だったそうだ。教え甲斐があると、母は、異常なほどの執着を見せる。片時も離れずに傍に控えさせて自分のもつ全てを教え込み、啓発する。あげく、時には、スナックを手伝わせたりしていたようだ。いけないことだけど、女子高生には、結構なアルバイトだったのかもしれない。明美ねえちゃんも師というよりも、もっと近しいものとして母を慕い、その息子である私も、及ばないだろうけど相応に気にかけてくれていたようだ。週末には、そのまま泊まって行くこともあった。

  部屋は、余っているけれども、布団は、一組しかなかった。つまり、私の布団だ。14歳の中学生と16歳の女子高生が、ひとつの布団に眠る。私が眠る横に、服を脱ぎ、下着姿の明美姉ちゃんが滑り込んでくる。私は熟睡してるから、その状況を見たことがないけれども、明美ねえちゃんの話によると、私は、まるで、起きているかのように、寝言を言うのだそうだ。膝を立てるな、ちゃんと、服を脱げ、などと、え?って私の寝顔を確かめるくらい。

  私は毎晩、どういう夢を見ていたのだろうか。明美ねぇちゃんへの、秘めやかな思慕も、夢に反映していたのだろうか。

  私は、片思いしい、だった。恋というものをしらないのだから、仕方がないだろう。好き、という気持ちが、きっと、こういうことをいうのだ、という、今から思い返したら、著しい錯誤をしていたのかもしれないが、含羞が薄らぐわけでもないのだから、どうしようもない。そんなことどうでもいい、そう、おおらかで、底なしに明るく、少し、切ない恋心。抱く相手は、日替わり状態だった。気が多いのか?と悩んでしまうくらい、私は、色々な異性を好きになった。

  小柳ルミ子に一目惚れしたり、いしだあゆみも素敵だなんてため息つきながら、中村晃子もいいなぁ、などと、定義を知らない、ただ、玩具を弄ぶように、片思いしていたのかも知れない。

  学校で1人、教室で1人、そして、近所で1人、家で1人。4人は、片思いする。片思いする相手がいてこそ、私は、この世界に棲んでいられた。従順なままに。それは、きっと、今でも何ら変わらない。偏執する気質は、どうやら、親譲りのようだし、気が多いのも、そうなのかもしれない。

  いつものように明美ねえちゃんは、二階に昇ってくる。階段板が軋む音が、break the still of the night 。黙(しじま)は、畳を踏みしめる圧縮音に掻き消される。抜き足、差し足、忍び足。優しい明美ねえちゃんは、電気もつけずに、そのまま、服を脱ぎはじめる。

  私は、闇に慣れた目で、ずっとその動作を見ていた。下着姿でも格好良い明美姉ちゃんは、掛け布団を持ち上げて、身体を横たえた。

  「コウチャン、起きてるんでしょう?」

  「うん」

  「どうしたの?眠れないの?」

  「うん」

  明美姉ちゃんは、僕の首を抱いた。そして、その首に、向き合うように、潜り落ちてきた。そして、

  「コウチャン、キス、したことある?」

  「あるよ」

  「本当に?」

  「うん」

  嘘かもしれないし、真実かも知れない。ファーストキスなんて、どれを差すのだか、私はいまだに探し出せない。

  「じゃ、お姉ちゃんとしてみたい?」

  言うなり、明美姉ちゃんは、くちづけてきた。触れ合う唇、カサカサに乾燥していた姉ちゃんの唇から、舌が私の口腔にねじ込まれてきた。

     たとえば私が恋を、恋をするなら、
      四つのお願いきいて、きいてほしいの♪

  窓から聴こえてくる歌謡曲、ネオンの赤や青、緑に黄色、オレンジにピンク、様々な色が、硝子を照らし出す。

  お姉ちゃんは、眼を閉じていた。私は、驚きながらも、その舌の動きに、従っていた。からむ、もつれる、押す、擦れる、目紛しくって、ついてゆけているのか分からなかったけれども、私の全身は汗ばんでいた。

  気が遠のきそうな時間が流れた。

  お姉ちゃんは私のシャツを脱がす。そして、布団を被ったままパジャマの下も脱がした。ズボンを傍らに投げると、私の上に馬乗りになりながら、背中に両腕をまわして、胸を露にした。長い髪が、こぶりの乳房を隠しているけれども、私は、そうしたことを、ネオンがもたらせる僅かな光りを頼りに、つぶさに、眺めていた。

  お姉ちゃんは、私の横に寝ると、下を脱ぎはじめた。脱がせる手が、私の腿に触れたままで落ちる。裸になったんだ。

  「まさか、これはないよね、コウチャン」

  訊かれた内容がよく飲み込めなかった私は、訊き返すことをためらっていた。何故だかは、答えたくない。そんな経験が、ある筈ないのだから。

  だけど、私も、返事の替わりにブリーフを脱いだ。その瞬間だった、

  「わたしも初めてだから、上手くできないかも知れないよ」と途切れ途切れに呟きながら、お姉ちゃんが私の上に被さってきた。

    私はその夜、初めて女を知った。

  
   「お寝坊さん、まだ起きないの?」

  目覚めた私は、背中に朝日をいっぱい浴びて覗き込んでいる明美姉ちゃんの顔を、薄目で見上げていた。いつもの顔が、そこにあった。少しだけ、照れ臭そうに、はにかんだ頬が、紅潮していた。お姉ちゃんは、もう服を着ていた。裸のお姉ちゃんとの違いが、私には不思議に思えていた。別人だったんだ。そう、思えてならなかったのは、お姉ちゃんの裏を、初めて知ったからなのだろうか。表裏一体、だれでもそうなのだろうけれど、私には、まだ、そういう含みや、ややこしい虚飾なんかは、よく理解できていなかった。それよりも、

  逆光のただ中のお姉ちゃんが、ただ、まぶしかったんだ。

  勘定できないくらい同衾した私とお姉ちゃんの別れは、それから、半年後、お姉ちゃんが、晴れて免状を授与されたおめでたい日だった。恐らく、母の弟子の中でも、五本の指に入るだろうその舞いは、研究発表会を催した、会館の舞台でも、充分発揮されていた。小宇宙を体現するお姉ちゃんの力量は、観衆の誰の目にも、明らかだった。底なしの才能の息吹、そして、女としての艶美の萌芽、視線の動きひとつにも、それは、描写しきれていた。私は、呆気にとられたかのように、魅了されていた。

  お姉ちゃんとは、十四歳のその日を最後に、会っていない。どちらが避けていたのかは、お互い様だったのかもしれないけれども、お互いの動向がずっと気掛かりだったことは、母から伝え聞く話では、確かなようだ。

  会いたくて会いたくて仕方がないのに、会わないで叶う恋もあるのだと、私は、教えられた。

  今でもときどき想い出すことは、もし、母がふたりの関係を知っていたら、赦してくれただだろうか、ってことなんだけど、その可能性は、少なかっただろう。なにしろ母は、どんな彼女を紹介しても、「ヤナカーギー」と裁定するのが癖だったから。「嫌な景」っていう意味で、つまり、美しくはない、ってこと。

  今のカミサンなんか、十七歳の時に会っているけれども(キスしている場面に出くわしたんだ)、ため息交じりに、お前の趣味が解らん、とひどく嘆いていたものだ。母は八十を過ぎてはいるが、世界中の80代の全女性の中で、イチバンの美貌を維持している、と怪気炎をあげている。見たくはないけれど、80代インターナショナルコンテスト、なんてもし開催されたら、文句なしに、母は、十七歳の時にそうだったように、女王の座を射止めてしまうだろう。

  母は、いつも、言う。美は、もたらされるものではなくて、積み上げてゆくものだ、と。基礎を固めて、積み上げて、練り上げ、塗り上げてゆく最後に、出現するものなのだ、と。
2006 07/16 21:41:20 | none | Comment(0)
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 光あるうちに光りのなかをあゆめ




        神のもとには大きなものも小さなものもありはしません。人生においてもまた、大きなものも小さなものもありはしません。
        あるものはただ、まっすぐなものと曲がったものだけです。                              
                                                                  
                                             トルストイ


            

    当時、私のバイブルになっていた歌。

    ディオールのイニシャル模様のネクタイ、ホワイトアイボリーのスーツ。それまでの私の全てを覆したそのドラマは、私の中の他のものまで変えてしまったのかも知れない。

    この歌は、魔法の歌だった。

    ありえない現象を、うみ、ありえないものを、もたらし、ありえないことを、可能にする。

    当時の私は、22歳。

       「アズマエさんは、カラオケとか行きますか?」

       「うん、行くよ」

       「どんな歌唄うんですか?」

       「ガラス坂かな」

       「えー?そんな歌唄うんですか?」

       「変かなぁ?」

       「変じゃないけど……、今度、連れてってくださいね」

             
             ゆうべは淋しさに 震えて眠って 夢を見た
             もつれた糸のように あなたと私と誰かと
             過ぎ去れば思い出になる 今をちょっと耐えれば
               私は ここに いるわ  いるわ

             終りのない歌を うたっているのは私です
             時には声かすれ 人には聴こえぬ歌です
             でも今が一番好きよすこし曇り空でも
               誰か私を抱いて  抱いて

                                         及川恒平


     これが、社交辞令、とかいう、許された嘘なのだろうと、私は聞き流した。数千足の在庫が立ち並んだ、狭く暗いストックルーム。彼女は、売場いちばんの美人だった。

     数日後の退社時間、店員通用門を抜けると、彼女が誰かを待っていました。恋人だな?と少し焼けたけど、

       「お疲れさま、早番だったでしょ?誰か待ってるの?」

       「うん、待ち人来たらずで、退屈してたの」

       「彼氏だね?ご馳走さま。じゃお先にね」

       「待って!待ってたのはアズマエさんですよ」

       「え?僕?僕なんですか?」

       「そうよ、約束したでしょ?飲みに行こう、って」

       「はい、確かにしましたけど、え?えええ?本気だったの?」

       「ひどいなぁ、忘れてたのね」

       「違うって、社交辞令だと思ってたから」

       「あたし、そんなこと言いませんから。それとも、あたしのこと、嫌い?」

       「まさか、売場のマドンナを嫌いな男なんていません、って」

       「じゃ、嫌いじゃないのね?」

       「はい、嫌いじゃありません」

       「それは、好きってことに取ってもいいのね?」

       「ご随意に」

       「なんか狡いなぁ。あたしとは飲みに行きたくないの?」

       「飲むのが、そもそも、苦手だから」

       「じゃ、あたしが教えてあげる。いいでしょ?」


     よけいなものまで、教えてくれました。

    
       
     無理を承知の行動だった。ふられて筋書き通りに運ぶ筈だったんだ。私は、「終わりのない歌」をひととおり口遊(くちずさ)んで、君を誘いに行った。

     君は、暗くなった店の奥で、日報をつけていた。私は棚卸しが終わったばかり。部下を帰して、私は迷っていたさ。閉店してもう二時間が過ぎている。残業届に記した時間は、あと数分しか残っていない。

     私は、大流行の兆しを見せはじめていた毛皮のコートを広げながら、レジの奥の小さなストックルームの奥、小さな机に向かう君の背中に声をかけた。

        「遅くまで、ご苦労様です」

        「あら、棚卸し終わったの?」
 
        「ええ、なんとか。帰らないのですか?」

        「アズマエさんは、もう帰られるの?」

        「ええ、もう帰ります」

        「お腹空いてませんか?」

        「え?お腹?」

        「帰り、どこかで食事しませんか?」

        「残務処理はもういいのですか?」

        「ええ、あなたを待っていただけですから」

        「え?驚くことをおっしゃいますね」

        「そうですか?私は底なしだけど、アズマエさんって、お酒大丈夫ですよね?」
 
        「いいえ、ダメなほうです。すぐに酔っぱらって、寝ちゃいますから」

        「じゃ、今夜はわたしが介抱しますから、思いきり飲ませてさしあげますわ」

    そう誘った君は、私より先に酔いつぶれて、歩けなくなって、どこにも行けなくなって、君の部屋まで送っていったら、そのまま、部屋に引きずり込まれて、酔ってなんかぜんぜんいなかったんだね、君は着ていた服を脱ぎはじめ、私の服を脱がせた。その時、君の胸の中で、爆発しそうになっていた鼓動を頬で確かめたさ。それは勇気なんかじゃなくって、覚悟だったんだよね。

     

        「アズマエさん、お久し振りね」

        「永井さん?ご無沙汰しておりました」
 
        「阪神にいないから、ここまで来ちゃったじゃん」

        「すみません、ご挨拶もせずに、転勤してしまって」

        「そんなことより、あなた、店長になったんだってね?」

        「はい、おかげさまで。若輩者ですから、苦労してます」

        「何言ってるのよ、自信満々のくせに。わたしも応援するから、出世してね」

        「ありがとうございます、今日は、春物をお探しなのですか?」

        「ええ、それもあるけど、今日はね、この娘を紹介しにきたのよ、あなたに」

        「え?お嬢さんですね?」

        「こら、照れてないで、挨拶なさい。カッコイイでしょう?ママのお気に入りの店長さんよ。年はまだ二十三歳、どう?あなた、気に入った?」

        「やめてよ、ママ」

        「この娘はね、十六歳、7つ違いだけど、お似合いだわ」

        「永井さん、僕は独身じゃありませんよ」

        「分ってるわよ、そんなこと。あなたが独身だったら、わたしがモーションかけてるわ」

        「ご冗談を」

        「だからね、娘を紹介するのよ」

        「すみませんでした。永井さん同様、懇切丁寧に接客させていただきますよ」

        「違うわ、あなた勘違いしてる。紹介はね、文字通り紹介なの、解る?」
  
        「いいえ、全然」

        「ホントにあなたこういうことには、鈍いのね。内の娘と交際してくれ、とおたのみしてるのよ」

        「こんなおキレイなお嬢さんに、私なんか、身分不相応ですよ。それに、そんなこと出来るわけないじゃありませんか」

        「あら、ねぇマリちゃん、あなたこのお兄さん嫌い?」

        「知らない、ママのばか!」

        「ほらね、この娘も、気に入ったようよ。あなた次第だわ、アズマエ店長、ご返事は?」

        「か、考えさせて下さい」

        「きゃぁ、照れちゃって、もう可愛いんだから。これだけは覚えておいてね。わたしはあなたを気に入ってるの。わたしには残念なことに息子が出来なかったけど、あなたなら、息子にしたいと真剣に思っているわ。覚悟しなさい、わたしからは逃げられないわよ」

     この奥さんは、阪神百貨店時代からのお得意様で、外商部から紹介されて、接客したら、なにが気に入ったのか、次から外商部を通さずに、直接売場に来るようになった、最初のお客様でした。

     
     私の迷走は、すくなくともひとつの帰着点に向かって進んでいたことが、最近、分りはじめてきました。 


        このごろわたしは想い出す。
           遠いあの日の、天使のようなあまいろの声。

        このごろわたしは想い出す。
           軟体動物のようなあなたのいやらしい肢体。

        このごろわたしは想い出す。
           再会したときのあなたのたたずまい。

        このごろわたしは想い出す。
           あなたに受けたさまざまな嫌な思い。

        このごろわたしは想い出す。
           あなたの最後の、最後のせいいっぱいのまなざし。

        このごろわたしは想い出す。
           あなたたが最後に、最後に遺した切ない言葉。

        こうしてわたしは想い出す。
           乾燥した胸には、去来するものがなにもないことを。

        こうしてわたしはさらに想い出す。
           想い出すことを想い出している、わたしを想い出す。
           醜いこの身を晒してまでも、自然発火した小さな焔が、
           乾燥した胸を焼け尽くすその時を、
           見逃さぬように、
           ただ、
           待ちわびるように。
2006 07/16 06:19:42 | none | Comment(0)
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