ご当地ならではのお買い物を楽しんで、いよいよ中尊寺に着きました。
中尊寺と言えば金色堂です。
阿弥陀如来、観音菩薩、柱等が平安時代の技術の粋を集めた、金や螺鈿で精工に作られており、昭和の6年間に及ぶ修復を経て今、光輝いていました。
それは当に金色の堂であり、平安人達の技術の凄さに感銘しました。
清衡が、血塗られた前九年の役・後三年の役で亡くなった父・妻子へ、又人々への鎮魂の祈りをこめて、金色堂を建立したそうです。
浄土の世界での成仏を願う祈りがこの地に黄金文化を築きあげたようです。
金色堂はまばゆいばかりに光輝いているのですが、前に立ちますと華美というよりも荘厳さが感じられます。
奥州に仏教による平和な社会を作ろうと願った清衡・基衡・秀衡・三代の願いが伝わってくるのでしょうか。
極楽浄土を現世に現したかのようです。
四代・泰衡が自ら火を放って黄金文化は終わります。
芭蕉が平泉の無情の歴史に涙し 夏草や兵どもが夢の跡 と詠みました。
私もいつかこの「夢の跡」地に、と思っていました。
ついに立ちましたが、改めて平泉の歴史に触れてみると、何と悲しい事でしょう !
しかし、この句は、中尊寺からだいぶ離れた場所にある、義経が自害した義経堂で詠まれたようです。
中尊寺境内には金色堂の横に 五月雨の降り残してや光堂 の句碑がありました。
* 金色堂は撮影禁止です。
内陣の写真はここで購入した雑誌やチケットから拝借しました。
営利目的ではないので、大目に見て頂く事にしました。 (^ー^)v