agijima やいびーん ====================================== ようひや、ちゅうや、 【糸満市字大里の川の名称】 にちぃてぃうんぬきやびいん。 --------------------------------------- 高嶺小学校近くに他魯毎が尚巴志の金屏風と 交換したとされる「かー」がある。 その「かー」の名称について、「うふがー」「嘉手 志川」あるいは「加段志川」あるいは「かたいが ー」の呼称がある。 文献上は<加段志川>が古いように思う。 中国の歴史書の「明実録」に山南の留学生の 名前として「加段志」というのが登場するが、こ この留学生の名前はそらく当時はこの「川」の あった周辺の地名からでてきたのだろう。 琉球の人名は地名と関連するのが多いことか ら考えるともともとは「加段志川」であったのが いつしか「嘉手志川」になったのではないか。 現在「川」の上に碑文があるがこれには「嘉手 志川」と彫られている。1960年代に大里で簡 易水道をひく工事のさなかこの「川」近くから 「かたし川」と彫られた「碑文」がでてききたこ とがあった。簡易水道完成を記念して碑文を セメントでつくったがその時の碑文には確か「 嘉手志川」と彫ってあった。でその面に向かっ 左側には当時堀出された「かたし川」(4〜5・6 10センチメートルだったように記憶している。) と書かれ碑文が添えられていた。 いつの間にかこの「かたし川」の碑文は消失 してしまった。今あるのは銘川「百選」に選ばれ た時に記念として造ったものである。 「かたい川」あるいは「加段志川」がもともとの 呼称であったように思う。 考証は後日こころみたい。 ちなみに件の山南の留学生「加段志」は明の 法律を誹謗したとして処刑されたようである。 (この件に関しては小生の推論である。いずれ このことについても論証したい) --------------------------------------- [はい、ちゅうやうっぴ!。またやーーー。] =======================================
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