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今日から120年の歴史を持つ清内路村がお隣の阿智村と合併して、清内路区になるそうです。いろいろの経過からそういう選択をせざるを得なくなったのだと思いますが、良い方向に転んでくれるのを期待したいと思います。

この合併と言う言葉に関しましては、私の生まれ育った川島村は、私が中学生になった年に辰野町と合併し中学生になったときはスクールバスで通うようになりました。そしてそのごは廃れていく一方で、今では幼稚園がなくなり、農協も撤退、郵便局も撤退、ますます不便になり若者は私も含めて出て行くばかりであまり良いイメージが湧きません。

以前お隣の県静岡県の水窪と言うところに行った時にも、浜松市と合併したら、町の祭りに従来は役場の人も一緒になって準備できたものが、水窪と言う地名が着く催しには役場としてはかかわってはいけないという事で準備が大変になったと言う話しや、通年開館していた民族歴史資料館が土日のみになったとか、お店の売り上げが落ちてしまったとか。

飯田市と合併した遠山郷の上村では、従来村をあげてのアルプスライブに、支所となってからはタッチしてはいけないという事で、所有のマイクロバスは使えなくなって大変になったとか、村営のシラビソ高原ホテルは売りに出すとか、やはり飯田市と合併した南信濃村では、高齢者のための全額補助の水泳教室などが、受益者負担の原則だということで個人負担になったり、あまり良い話は聞きません。

良くなったことは何らかの形であるのでしょうが、合理化で自治体の負担軽減と言うことが眼目であることですから総合的に何がどう変わったのか(良くなったことと悪くなったことを)公表してほしいものです。

自民公明党政権は、農村が大事だと言ってはいるものの、農村から富を生み出し、富を求めて都会から若者が集まってくるという政策は取らずに、インフラを壊してますます住み難くしているばかりです。

今回の清内路村の消滅がそういった流れの中に埋没しないことを願うばかりです。下記に私が取材した清内路村に関するエントリーを集めましたのでご覧いただき、清内路に行ってみていただければ幸いです。

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2009 03/31 10:28:42 | none | Comment(0)
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