あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
小学生の不登校児率が長野県1位中学生を含めると2位とのこと。本人の問題が一番多いと言うことですが、具体的にどういうことか書いてないので私なりに解釈すると、ストレス耐性が弱いと言うことかなと思います。普通の子供なら耐えられるのに耐えられない。

私(63歳)の小学生、中学生の頃はこういう不登校児は0だったと思います。大体の家では両親に祖父母がいて叔父さん叔母さんもいる家庭も多く、大事にしてもらったり家族の中でもまれて育ったので、自然に強くなったのではないかと思います。ところが今では核家族で両親と子供たちの3人家族4人家族と言うことで、もまれて育つをいうことが少なく、ストレス耐性が生まれてこないと言う面もあると思います。また親の職業は農業が中心だったので、親と過ごす時間が多く、食事は親と一緒と言うことで会話がいっぱいありました。夕食のときなどは2時間から3時間は何をしゃべったかは忘れましたがほとんど毎日でした。

近所の子供も多かったですから土曜日、日曜日にはそれこそ村中を飛び回って遊んでいました。私が40歳ぐらいからか不登校児、いじめ、学級崩壊と言う言葉が私の周りで聞かれ始めたのですが、自分の子供のことを考えると、親は残業残業で忙しく夜遅くに帰ってきて夕食。中には夜勤の親もいるわけで一緒に夕食を食べられない子供も多くなってきたと思います。朝も早く出かけますから、子供たちとの会話は少なくなりがちだったように思います。

ここまでは、長野県だけの話ではないのですが、長野県が大きく変わったのは、長らく県知事を務めていた保守勢力の権化のような吉村牛良氏に代わり、県民主体と言う田中康夫氏が知事となり、脱ダム政治を推進してきたのですが、6年目に保守勢力が百条委員会なるものを県議会で作り、田中元知事を検察に告訴して選挙に突入。選挙で僅差で田中元知事が負けました。ところがこの百条委員会を作る基になった、県職員幹部が田中元知事が幹部に指示したと言うことは嘘だったと言って公言。本来なら、この幹部は偽証罪で起訴されなければならないのですが、勝った村井知事が理事長を務める長野県南部の県組織の責任者に昇進。あまりにも露骨な論功行賞の様なやり方が定着してしまったのです。そしてつい最近、村井知事の片腕だった職員が西松建設問題で検察の調査に出頭直後何も残さず自殺。不明朗極まりないのです。こういった体質が、県政に影響しないはずがありません。当然教育にも影響があると思います。
2009 08/11 08:59:19 | none | Comment(0)
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