――いや、神すらも最早何が何だか解からぬ筈さ。
――ふん、また「苦悩による苦悩の封建制」か?
――さうさ。《吾》たる《主体》は神のゐない《個時空》によって成立する此の世を「苦悩による苦悩の封建制」で統治しなければならぬ筈さ。
――何故に?
――何度も同じことを念仏の如く繰り返すが、神を《存在》から解放する為さ。
――その一つの帰結として、現代人たる《吾》は誰とは知らぬ全くの赤の他人が作った徹頭徹尾《他》の手になる《他》の世界=内に《存在》する、つまり、《他》の頭蓋内の闇たる《他》の五蘊場に表象し形象された、敢へて言へば《他》の頭蓋内=世界の中に《吾》は独り《存在》する《存在》の様態へ辿り着いたのぢゃないかね?
――つまり、人間といふ生き物は世界たる環境を己の都合で変へてしまったといふ事だらう?
――さう。今や世界は「神の御手にあらず、《他》の掌中にのみありし」、さ。
――へっ、そして其処に《吾》の居場所のみ用意されず仕舞ひってか――、ちぇっ。
――一つ尋ねるが、神の御手から全く見ず知らずの赤の他人が《吾》の与り知らぬところで作り上げた、例へば都市といふ世界に《存在》することの居心地はどうかね?
――ちぇっ、下らぬ事だが、《吾》たる《もの》達はそれが何であれ、皆、ちぇっ、「自分探し」をこの《他》の掌中にある世界、ふん、もしかすると最早世界は《他》の掌中にすらないかもしれぬが、その世界で《存在》する為に「自分探し」といふ下らぬ事にかまける外ない《存在》に堕してしまったよ。
――その「自分探し」の《自分》て何かね?
――へっ、それが解からぬから《存在》は、皆、「自分探し」をせずにはゐられぬのさ。
――其処さ。最早此の世に《存在》することは、《他》の五蘊場に表象された《もの》がてんでんばらばらに外在化したに過ぎぬその世界に《存在》することの《苦悩》を、若しくは、《吾》のみが其処にゐない世界で《存在》する、へっ、《苦悩》を、《吾》は背負ふしかないのぢゃないかね?
――つまり、「自分探し」は《吾》が《吾》として《存在》する為に如何しても背負はなければならぬ《原罪》だと?
――さう。人間を初めとする森羅万象は、自らの手で《存在》することの《原罪》を神から奪ひ取ったのさ。
――その挙句が、果たせる哉、それが全く見ず知らずの赤の他人の手になる、例えば都市といふ世界の出現に帰結したのかね?
――さうさ。最早、神に《存在》することの《苦悩》、即ち《原罪》を背負はせる訳にはいかなくなったのさ。
――だが、それは《吾》たる《存在》が世界に対して復讐を成し遂げた一つの証左ではないのかね?
――へっ、世界、ちぇっ、此の宇宙がそれで怯えたとでも思ってゐるのかね?
――いや。
――そりゃさうだらう。此の宇宙にとって世界が都市にならうが痛くも痒くもないからな。
――さて、簡単にさう看做しちまっていいものか……。
――といふと?
――つまり、世界自らが《存在》を使って世界自体を作り変へてゐるとしたならば如何かね?
――つまり、世界はとっくの昔に神から自立してゐたと?
――ああ。
――ああ?
――ああ、さうさ。世界、即ち此の宇宙もまた、己が《存在》することの《苦悩》を背負ってゐる、つまり、此の宇宙もまた「自分探し」の陥穽に落っこっちまったのさ。
――それは、つまり、此の宇宙もまた《存在》しちまった以上、死滅する宿命を負ってゐるからかね?
――さう。死滅する故にさ。《死》が《存在》する以上、最早、「苦悩による苦悩の封建制」は渋々ながらも《存在》はそれが何であれ受け入れるしかないのさ。
――その一つの帰結が「自分探し」といふ何処まで行っても底無しの虚しさしか味はへぬ、《吾》のみ居場所がない《他》の頭蓋内の闇たる《他》の五蘊場に明滅する表象群に埋め尽くされた都市の如き此の世界の出現かね?
(五十六の篇終はり)
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