――これは或る種の謎謎に属するかもしれぬが、虚数iのi乗は、さて、何かね?
――ふっ、何を今更。虚数iのi乗はオイラーの公式を使へば、【iのi乗】=【(ネイピア数eのi×π/2)のi乗】、つまり、eの−π/2乗、即ちiのi乗は0.2078795……といふ実数へと変身しちまふ、違ふかね?
――さうさ。さうするとだ、虚数iのi乗とは一体全体何の事かね?
――さあね。土台、お前は俺に《虚体》とか《物自体》とかの尻尾だと言はせたいのだらうが、それはお門違ひだぜ。
――ふん。それは本音のところでは、虚数iのi乗こそが《虚体》の本質を物語ってしまってゐると、へん、お前が看做してゐる証左にしかならないぜ。
――だから、それが如何したと言ふのかね? 逆に尋ねるが、お前は虚数iのi乗を何だと看做してゐるのかね?
――ふっ、《霊》さ。
――《霊》?
――さう、《霊》さ。
――ちぇっ、それは幽霊の事かね?
――《霊》が付けば何でも構ひやしない。
――さうすると《霊》は、実数、つまり、或る《存在体》として確実に此の世に実在する《もの》になるのが、お前にとって《霊》は確かに此の世に実在する《もの》と受け取って構はぬのだな。
――ああ。勿論!
――すると、お前には《霊》が見えるのかい?
――ふっふっふっ。《死》す《もの》全て《霊》ぢゃないかね?
――はて、異な事を言ふ。お前の言ふ事を額面通り取ると、《存在》とはそもそも《霊》になっちまふが、この矛盾としか呼べない事態を如何考へればいいのか――?
――へっ、例へば百年後、今生きてゐる、若しくは《存在体》として《存在》してゐる此の世の森羅万象は、さて、どれ程の《存在》が尚も《生》として《存在》してゐると思ふかね?
――百年後?
――さう、百年後だ。
――ちぇっ、つまり、百年後には、今現在《生》として《存在》してゐる《もの》、例へばそれを敢へて《生き物》と名指してみれば、その《生き物》の殆どは、へっ、《死》んでゐると言はせたいのだろう。
――さうさ。《死》さ。
――だから、それが《霊》と何の関係があると言ふのかね?
――へっへっへっ。つまり、かう考へられるだらう? 既に百年後には《死》を迎へてゐる《存在》が生きてあるのは、それが《霊》故にだと……。
――お前の理屈は全く意味不明だぜ。
――つまり、《存在》に《死》が必ず賦与されてゐるならば、《生》とは此の世に起こるべくもない或る奇蹟と同じ、つまり、それが《霊》の意味するところさ。
――ふむ。未だ、よく解からぬがね?
――それぢゃあ、逆に尋ねるが、《生》にとって《死》とは何ぞや?
――ちぇっ、それが解かれば俺は大哲学者になってゐる筈だがね。
――つまり、お前にとって虚数iは今もって何だか解からず、具象化すら出来ず仕舞ひにある《もの》といふ事だらう?
――だから、それが如何したと言ふのかね?
――もっと端的に言へば、仮に精神なる《もの》が此の世に実在するならば、その精神とやらの振舞ひこそ、虚数iの振舞ひに違ひないと思はないかい?
――つまり、お前は思惟する《もの》、つまり、此の世に《存在》しちまった森羅万象は、虚数の如く必ず此の世に実在しなければならぬ、若しくは虚数が《存在》するが如く此の世が成立する為には絶対に必要不可欠な必須条件と言う事かね?
――さう、思惟さ。
――ちぇっ、それぢゃ、cogito, ergo sumから一歩も如何なる《存在》たる《もの》は、未だ踏み出してゐぬ前人未到の地が、この《存在》といふ《もの》の眼前には茫洋と果てしなく拡がってゐるといふ事と同じことぢゃないか!
――さうさ。未だ何《もの》もデカルトのcogito, ergo sumから一歩も踏み出してゐないのさ。だから如何なる《存在》も虚数iを表象すらできず、況してや虚数iのi乗なんぞこれっぽっちも頭蓋内の片隅にすら《存在》せぬ、ちぇっ、愚劣極まりない《もの》としてしか如何なる《存在体》も自身の《存在》を語れぬではないか!
(六十七の篇終はり)
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