漆黒の中で無言のままぢっと蹲ってゐる《もの》がゐれば、また、ぶつぶつと独りごちて、その面に気色悪い薄笑ひを浮かべてゐる《もの》がゐたりと、思惟さへ出来得れば、即座に《存在》する、また、《存在》たる森羅万象が賦与されて此の世に《存在》する事を強要される、例へば頭蓋内の闇といふ五蘊場は、さて、此の宇宙全体とたった独りで対峙出来得る《存在》として《存在》は可能なのか、と問ふた処で、その不毛な疑問は《存在》に虚しさしか齎さない此の世の皮肉に苦笑ひしつつ、しかし、此の世の森羅万象は、例外なく、何《もの》がゐるとも杳として知れぬ眼前に無際限に拡がってゐるに違ひない虚空を睨みつけるべく、その面をむくりと擡げ上げるのであった。
…………
…………
――うあ〜あ。よく眠ったぜ。
――何を今更。
――また、如何して?
――何故って、今といふ、ちぇっ、それを現在と名指せば、その現在は実に愚劣極まりないだらう?
――はて、現在が愚劣?
――では、お前にとって現在とは如何様にあるのかね?
――もう遁れられぬどん詰まりの此の世の涯かな?
――はて、現在とは果たして此の世の涯かな? ちゃんちゃら可笑しいぜ。
――へっへっ。ちゃんちゃら可笑しいかい?
――へっ、この現在を愚劣としたり顔で断言するお前こそ、この現在のどん詰まりに追ひ詰められてゐるぢゃないか?
――へっ、この、俺が此の世の涯に追ひ詰められてゐるだと? ちぇっ、下らねえ。元来、《存在》は、全て此の世の涯に置かれるべく定められた《もの》ぢゃないのかね?
――なら、やっぱり此の世の涯に置かれるべく生滅する《もの》が《存在》の遁れられぬ有様だらう。
――だから愚劣極まりないのさ。
――その愚劣極まりない《もの》が仮に大慈悲の下に皆《存在》してゐるとしたならば?
――大慈悲? ちぇっ、そんな事はとどの詰まりが《存在》の《主観》に過ぎぬのぢゃないかね?
――さう、《主観》だ。しかし、此の世は、この《存在》の《主観》以外にその有様はないのと違ふかね?
――へっ、つまり、《客観》は徹底的に《存在》出来ぬと?
――ああ。仮令《客観》があるとすれば、それは《神》の視点のみさ。
――ふっ、《神》と来たか! お前は《神》の《存在》を信ずるのかね?
――まあ、幽霊の類も同じだが、《神》が此の世に《存在》した方が面白く、また、《主体》の《存在様態》は、幾分か楽になるのかもしれぬぢゃないかね?
――楽は《地獄》の一丁目出ぜ。それよりも《神》の《存在》が《主体》の十字架になってしまってゐる例は、この宇宙史において枚挙に暇がないぜ。
――それでも《神》が此の世に《存在》した方が《主体》にとってはどうにか此の世に佇立出来得る支へにはなるに違ひない。
――はて、《主体》の支へとしての《存在形態》が、果たして《神》の《存在形態》に相応しいのだらうか?
――しかし、《主体》は《主体》独りでは《存在》出来ぬ哀しい《存在》ぢゃないかね?
――まあ、己の存続の為なら《他》を殺生して食す、つまり、《他》が己の存続のためのみに殺される事に平然としてゐられるこの《主体》といふ《存在》は、その原罪を甘受すべく、へっ、《神》がゐて呉れた方が、ちぇっ、一寸は気休めになるのかもしれぬな。
――さう。気休めさ。《主体》に今必要なのは気休めなのは間違ひない筈だ。
――また、何故に《主体》に今気休めが必要といふのかね?
――実存する為さ。
――実存?
――さう、実存だ。
――へっ、実存なんぞはもう使ひ古され手垢に塗れた時代錯誤の《もの》ぢゃないかね?
――否。思惟する事に時代錯誤もへったくれもありゃしない。その証左に二千年余り以前のギリシアの思惟は今も燦然と輝いてゐるぢゃないかね?
(一の篇終はり)
自著『審問官 第一章「喫茶店迄」』(日本文学館刊)が発売されました。興味のある方は、是非ともお手にどうぞ。詳細は下記URLを参照してください。
http://www.nihonbungakukan.co.jp/modules/myalbum/photo.php?lid=4479
自著『夢幻空花なる思索の螺旋階段』(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp