思索に耽る苦行の軌跡

――へっ、男女の交合の時の愉悦? さて、そんな《もの》が、実際のところ、《吾》にも《他》にもあるのかね? 





――多分、ほんの一時はある筈さ。それも阿片の如き《もの》としてな。また、チベット仏教では男女の交合は否定されるどころか、全的に肯定されてゐて、男女間の交合は悟りの境地の入り口でもある。





――つまり、男女の交合時、《吾》と《他》は限りなく《一》者へと漸近的に近付きながら、《吾》と《他》のその《一》が交はる、つまり、《一》ではない崇高な何かへと限りなく漸近すると? 





――へっ、此の世に《一》を脱するかの如き仮象に溺れる愉悦が無ければ、《存在》は己の《存在》するといふ屈辱には堪へ切れぬ《もの》なのかもしれぬな。





――だから、《吾》は《吾》を呑み込む時、不快なげっぷを出さざるを得ぬのさ。





――はて、一つ尋ねるが、男女の交合の時、その《存在》は不快なげっぷを出すのかね? 





――喘ぎはするが、げっぷはせぬといふのが大方の見方だらう。だがな……。





――しかし、仮に男女の交合時が此の世の一番の自同律の不快を体現してゐると定義出来たならばお前はどうする? 





――ふっふっ。さうさ。男女の交合時が此の世の一番の自同律の不快の体現だ。





――つまり、男女の交合時、男女も共に存在し交合に耽るのだが、詰まる所、男女の交合は、交合時にその男女は己の《吾》といふ底知れぬ陥穽に自由落下するのだが、結局のところ、《他》が自由落下する《吾》を掬ひ取ってくれるといふ、ちぇっ、何たる愚劣! その愉悦に、つまり、一対一として、《吾》が此の世では、やはり、徹頭徹尾、《吾》といふ独りの《もの》でしかない事を否が応でも味ははなければならぬ。その不快を、《吾》は忘却するが如く男女の交合に、己の快楽を求め、交合に無我夢中になって励むのが常であるが、それって、詰まる所、自同律からの逃避でしかないのぢゃないかね? 





――つまり、男女の交合とは、仮初にも《吾》と《他》との《重ね合はせ》といふ、此の世でない彼の世への入り口にも似た《存在》に等しく与へられし錯覚といふ事か――。





――くきぃぃぃぃぃぃんんんんん――。





――でなければ、此の世を蔽ひ尽くすこの不快極まりない《ざわめき》を何とする? 





――それでは一つ尋ねるが、男の生殖器を受け入れた女が交合時悲鳴にも似た快楽に耽る喘ぎ声を口にするのもまた自同律の不快故にと思ふかね? 





――さうさ。男の生殖器すら呑み込む女たる雌は、男たる雄には到底計り知れぬ自同律の不快の深さにある筈さ。





――筈さ? ちぇっ、すると、お前にも男女の交合の何たるかは未だ解かりかねるといふことぢゃないかい? 





――当然だらう。現時点で《吾》は《死》してゐないのだから、当然、正覚する筈も無く、全てにおいて断言出来ぬ、《一》ならざる《存在》なのだからな。





――しかし、生物は《性》と引き換へにか、《死》と引き換へにかは解からぬが、何故《死》すべき《存在》を《性》と引き換へに選択したんだらう? 





――それは簡単だらう。つまり、《死》と引き換へに《性》を選び、《死》すべき《存在》を選ばざるを得なかったのさ。それ以前に、《存在》とは《死》と隣り合はせとしてしか此の世に《存在》する事を許されぬのではないかね? 





――くきぃぃぃぃぃぃんんんんん――。





――それはまた何故? 





――約めて言へば種の存続の為さ。





――ちぇっ、つまり、種が存続するには個たる《存在》は《死》すべき《もの》として此の世に《存在》する事を許された哀れな《存在》でしかないのさ。





――だが、その哀れな《存在》で構はぬではないか。





――ああ。不死なる《存在》が仮に《存在》したとしてもそれはまた自同律の不快を未来永劫に亙って味はひ尽くす悲哀! 





――それを「《吾》、然り!」と受け入れてこその《存在》ぢゃないのかね? 





――ふっ、「《吾》、然り!」か……。しかし、《吾》は気分屋だぜ。





――だから「《吾》、然り!」なのさ。





――つまり、《存在》は、即ち森羅万象は、全て「《吾》、然り!」と呪文を唱へてやっと生き延びるか――。





(十一 終はり)







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2010 08/02 07:38:57 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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