思索に耽る苦行の軌跡
螺旋から思ひ付くものの一つに二重螺旋構造のDNA(デオキシリボ核酸)がある。

そして螺旋は螺旋の真ん中を貫く一本の線を想起させる。螺旋の進行方向が螺旋の真ん中を貫く線の方向を決める。また、螺旋は龍巻を連想させる。螺旋状に渦を巻く気流が異常な破壊力の上昇気流を生み龍巻は地上の存在物を破壊する。DNAもまた自然物ならばこの摂理に従ってゐる筈である。DNAの真ん中を電流かその外の何かが流れてゐる筈である。それが何かは分子生物学者に任せてこちらは勝手な妄想を脹らませて主体といふものの仮象構造といったものを造形してみよう。

DNAの構造をフラクタルに拡大したものが人体だらうといふことは想像に難くない。さうすると主体たる人体は渦構造をしてゐるといふことも想像に難くない。一例として血管構造を見てみると動脈を構成してゐるといふ平行に走る弾性板の間を動脈長軸を巻くように斜走する平滑筋細胞が存在しいるらしいので血流がこのことと多少は関係してゐると看做せなくもないのである。

さて、人体を全体から見てみるとそれが渦構造であってもおかしくないと思へるのだ。口から肛門まで一本の管が人体を貫いてゐてそこは主体にとって『外部』である。

ここでカルマン渦の代表格である台風を持ち出してそれと人体の構造を比べると台風の目に相当するのが口から肛門まで貫く一本の管と看做せなくもないのである。そして肉体が台風の積乱雲群となる。

両手を拡げてその場で回転すれば肉体出来た『固時空』台風の出来上がりである。

さて、台風は台風に接してゐて渦を巻く高気圧によって動くが、人体は歩行する。多分、自転車、自動車、飛行機などは全て車輪かEngineの羽の回転運動で進んでゐることから『固時空』で円運動をしてゐるだらう時間を振り子運動に転換して人間は自律的に歩行してゐる筈である。『固時空』たる主体が歩行すれば主体に接して左右に時空のカルマン渦が発生する。つまり、『固時空』たる主体もまた渦構造をした存在に違ひないのだ。

舞踊に回転や渦巻き運動が多く、それが神聖なものと看做されたり死者との対話であったりするのもDNAの二重螺旋から発する『渦』と無関係ではなく、むしろ『固時空』たる主体が渦構造をしてゐると考へた方が自然で合理的だ。

―ーエドガー・アラン・ポーが『ユリイカ』の初めの方で書いてゐる『エトナの絶頂から眼をおもむろにあたりに投げる人は、おもにその場の拡がりと種々相とに心をうたれるのでありますが、これがくるりと踵でひと廻りしないかぎりは、その場景の荘厳な全一というパノラマは所有し得ないわけです。』(出典:創元推理文庫「ポオ 詩と詩論」 訳:福永武彦 他;二百八十四頁から)の実現だ。廻れ廻れ、全て廻れ !!
2007 05/20 15:18:07 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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