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その犬は私が何か考へ事をしながら川辺をふらふらと歩いてゐた時に不意に葦原から眼前に現れ私の顔を見上げながら尾を振って私の愛撫を待ってゐる様子で私の前に座ったのがその犬との出会いであった。私はその犬が望み通り頭を撫でて一度その犬を抱きかかへ、「高い高い」をして「お前のお家にお帰り」と言って最早その犬のことなど忘れ再び考え事に耽り始め、暫く川辺を散策した後家路に赴いたのであった。
ある交差点で赤信号を待ってゐると不意に私の左脇にあの子犬が私の顔を見上げながら尾を振って座ってゐるのに気が付いたのである。
――お前は捨て犬か……
私はその時この子犬が我が家まで付いてきたなら飼ふと心に決め、その犬に対して敢へて知らん振りをしながら家路に着いたのであったが、案の定、その子犬は我が家まで私にくっ付いてきたのであった。
それが正式名「哲学者」、通常の呼び名は「てつ」との出会いであった。
「てつ」は兎に角倹しい犬であった。食べものといへば一番価格が安く市販されてゐた固形のDogーFoodと煮干少々、牛乳少々と週に一度鶏肉の唐揚げ一つといふのが「てつ」が生涯食べたものの全てである。それ以外のものを上げやうとしても「てつ」は首をぷいっと左に向け決して食べやうとしなかったのである。
「てつ」は柴犬か柴犬の雑種であったが定かではない。「てつ」は昼間は殆ど寝てゐたが夕刻になると茫洋と何処かの虚空を見上げては何十分もそのまま座り続け、散歩の時間までさうして過ごしてゐた。その姿を見て「てつ」を「哲学者」と名付けたのである。そして散歩から帰って食事を済ませると再び何処かの虚空を見て何やら考へ事に耽ってゐるとしか思へないやうに一点に座ったまま一時間ばかり動かなかったのであった。
それが「てつ」の日常の全てであった。
「てつ」の散歩も変はってゐた。「てつ」が我が家に来て一週間は「てつ」は私が行く方向に従って散歩の主導権は私が握ってゐたが、「てつ」は一週間で我が家周辺の地図が「てつ」の頭の中に出来上がって「てつ」はそれ以降、散歩のCourseを自分で決めて「てつ」が思ひ描いたCourseから外れやうものならその場に座って頑として動こうとしなかったのである。仕方なく私は「てつ」に散歩される形になってしまったが、「てつ」との散歩は何時も違ふCourseで全く飽きが来なかったのである。寧ろ「てつ」との散歩は楽しかったのであった。
雲水か修行僧のやうに食べ物に禁欲的であった「てつ」は性欲にも禁欲であった。発情は勿論してゐた筈だが、雌犬を見ても何の反応もせず、また、私の足にしがみ付いて交尾の擬似行為は一切しなかったのである。唯一「てつ」の性器が勃起したのは私とじゃれ付く時のみであった。
「てつ」は自分から私とじゃれ付くことは無く、私が無理矢理「てつ」にじゃれ付くと「てつ」の性器は勃起して「てつ」は私とじゃれ付くことに熱中するのであった。
「てつ」の遊びはそれか゛全てであった。
そんな日常が十七年続いたある日、既に白内障を患ってゐた「てつ」は突然体がふらつき出したのであった。それでも「てつ」は死の二日前まで散歩に出かけてゐたが、「てつ」の最後の散歩時は「てつ」の体は既に冷たくふらふらと何時もの散歩の半分にも満たなかったのである。
「てつ」の最期は眠るやうであった。既に冷たくなってゐた体を犬小屋の中に横たへ「てつ」は最期に生涯最初で最後の愛撫を私にせがんだのである。目で愛撫をせがんでゐるのが解った私は「てつ」を撫であげると物の数分も経たぬうちに「てつ」はあの世へ旅立って行ったのであった。それはそれは物静かで荘厳ですらあった。
さて、そこで亡骸となってしまった「てつ」の性器を見てみると其処に精液が凝固して出来てゐたのであらう、尿道の出口に白い可憐な小さな花を思はせる花にそっくりな精液の凝固物が咲いてゐたのであった。「てつ」は死ぬまで精液が尿道から滴り落ちてゐたのであった。つまり、生涯現役のままあの世へ旅立ったのである。その可憐な白い花を思はせる尿道に咲いた精液の凝固物が「てつ」の満ち足りた生涯を祝福してゐるやうでその白い花は荘厳な美しさを放ってゐた。
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