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例へば宇宙の涯を妄想するには満潮時の流れが澱んだ川面に映る街明かりをぼんやりと眺めながら考へるに限る。それが新月だと尚更いい。
其処は両岸がConcreteの護岸で覆われて葦原の無い都会の街明かりが最も川面の水鏡に映える場所であった。その日は夜もどっぷりと暮れ真夜中近い弓張月が天高く上った頃に満潮を迎える、つまり宇宙の涯を妄想するのに最もよい日であった。いつものやうにConcreteの護岸の一番上に腰掛けて流れの澱んだ川面の水鏡に映る街明かりと月明かりをぼんやり眺めてゐると考えはいつものやうに宇宙の涯へと及んだのである。
――さて、この宇宙が『開いた宇宙』でしかも光速より速く、つまり埴谷雄高のいふ『暗黒速』で膨脹してゐるのであれば、多分、宇宙外にいはしまする神々の目には反物質の暗黒の大海に浮かび急速に肥大化する越前海月のやうに我々が存在するこの宇宙は観えるに違ひない……
一台の自動車が堤防の上にある国道をLightを点けて左から右へと走り行く様が逆様に澱んだ流れの川面の水鏡に映ってゐた。
――しかし、現在の科学ではどうやら宇宙は『閉ぢた宇宙』らしいので暗黒の大海に浮かび急速に肥大化する『海月宇宙』は無いな……
……………………………………………………………………………… ……………………………………………………………………………… ………………すると……さういへば確か北欧の神話だったと思ふが、この世は『世界樹』だか『宇宙樹』だかで表象されていたな……ここはニュートンに敬意を表してその『世界樹』を林檎の樹に喩へると……さて、我々が存在するこの宇宙はその『林檎の樹』に実ったたった一つの林檎の実でしかないに違ひない……
水鏡にうらうらと明滅する街明かりと月明かり。その明滅するRhythmが心地よい。
――すると反物質は林檎の芯の部分で果肉の部分は重力を深度で表す部分で我々が宇宙と言ってゐるのは林檎の表皮に過ぎないのかもしれないな……この考え方は銀河の分布を描いた宇宙地図で見る銀河の分布の仕方、真ん中がぽっかりと銀河の無い球上の周縁にのみ銀河が存在することとも一致してゐるやうな……無いやうな……まあ良い……今日のところは林檎の樹で行かう……
一尾の魚が水面を跳ね上がり水鏡に波紋がゆっくりと拡がって行く……
――さて、熟した『林檎の実』がぽとんと枝から落ちても『林檎の実の表皮』に過ぎない我々には……多分……宇宙外の『地面』に落下したことすら解らないだらうな……知るのは神のみぞか……さて、『地面』に落下した『林檎の実』は地面と接した部分から朽ち始める……巨大な巨大な巨大なブラックホールの出現だ……そして……その巨大な巨大な巨大なブラックホールも朽ち果てて『林檎の実』宇宙はべちゃっと潰れて反物質である『林檎の種』のみぞ残るのみか……さうして悠久の時を経て『林檎の種』は発芽する……ビックバンか……神の鉄槌の一撃が『林檎の種』に食らはせる……一つの『林檎の種』から『世界樹』は育ち幾つもの『林檎宇宙』実らせる……これを未来永劫繰り返す……か……
また一尾の魚が水面を跳ね上がり水鏡にゆっくりと波紋が拡がって行く……
――さて、今度は宇宙の膨脹が光速以下だとすると宇宙の涯は、さて、鏡のやうなものに違ひないだらう……この世に存在するあらゆるものは当然この宇宙外に飛び出ることはあり得ず光速で宇宙の涯まで到達してしまった光は宇宙の涯で反射する外無い……すると宇宙は光CableのやうなTube状でもよく……すると……この宇宙の形状は閉ぢたものであればどんな形でも構はないことになる……ふっ、宇宙の膨脹が光速以下とする方が今のところ合理的かな……つまり……この宇宙の涯は眼前の水鏡か……
うらうらとうらうらと澱んだ流れの川面に映る街明かりと月明かりが明滅する美しさは飽きが来ない……。
その日は潮が引き始めて川が再び流れ始めてもConcreteの護岸から腰を上げることなく明け方まで川面の水鏡をずっと眺め続けてゐたのであった。
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