思索に耽る苦行の軌跡
人類が大きな勘違ひをしてゐることが一つある。それは仮令人類が地上から消えようがそれは所詮人類のみの問題であって、地球は勿論、宇宙にとっても人類が滅亡しようが生き残ろうがどうでも良い、即ち問題にすらならないある一つの事象に過ぎず、地球にとっても、まして宇宙にとっても人類の存在なんぞ歯牙にすらかけてゐない、全く下らない事象に過ぎないのだ。

唯、自然がこれ以上人類の存続を許さなかったならば自然は眦一つ動かすことなくその冷徹な手で自然に必要な数の人類を除いて残りは全て自然災害等で間引く、つまり人類の大量虐殺を何の躊躇ひもなく行ふといふことである。

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それは突然役所で決まって、ある朝、突然畑に舗装道路を通すための測量が始まった。後はAsphalt(土瀝青《つちれきせい》)で舗装すればその道路は完成といふところまでは何の問題もなかったやうに思ふが、さて、いざ土瀝青を敷いて道路を舗装し終へた翌日の朝、舗装された道路やその周辺では大量の蚯蚓(みみず)が死んでゐたのであった。土瀝青の上で力尽き野たれ死んでゐる何百匹の蚯蚓の外にも、まだ蓋のしてない側溝の中にも何百匹もの蚯蚓が力尽き死んでゐたのであった。その異様な光景は多分土瀝青を敷くときに使われた何かの薬品の所為に違ひないのである。地中といふ地球における「未来」に棲む蚯蚓は多分に生物の未来をも担ってゐる筈で、その蚯蚓の大量虐殺は生物の「未来」の抹殺をも意味してゐたに違ひない。

しかし、事はそれで終わらなかったのである。死んだ蚯蚓を喰らったのであらう、数羽の雀が道端で死んでおり、また、側溝の中には何匹もの螻蛄(おけら)と土竜(もぐら)が逃げ道を探して側溝の中で逃げ惑ってゐたのであった。螻蛄と土竜の姿を見るのはそのときが多分初めてであったと思ふが、螻蛄と土竜のその愛くるしさは今も忘れない。螻蛄と土竜を一匹一匹拾い上げて土に戻してあげたのは言ふまでもないが、螻蛄と土竜は蚯蚓の異変を喰らふ直前に察知したのであらう、多分螻蛄も土竜も死んだ蚯蚓を喰らふことなく生き残ったのだと思ふ。

さて、その日の夕方野良猫さへ危険を察知して喰はわずに死体を曝し続けてゐた雀は遠目に何も変わった様子は無かったのであったが、近づいて見ると黒蟻の山が雀の死骸の下に出来てゐたのであった。当然、何匹かの黒蟻は薬品にやられて死んでゐたが黒蟻はその死んだ仲間の黒蟻さへもせっせと自分の巣へ運んでゐたのである。

翌年、黒蟻の姿を余り見かけなかったのは言ふまでもない。

人間はかうも罪深き生き物である。この償いは近い将来必ず人間自らに降りかかって来るに違ひない……
2007 05/07 06:18:43 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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