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川面を弱風が吹き渡ると千変万化する風紋が川面に現はれる。
風紋といふ文字の姿も「ふうもん」といふ文字の響きも美しい。何がこんなにも私の魂と共鳴を起こして『美』を想起させるのか……
「揺らぎ」……。揺らぎを語り始めると量子論や宇宙論まで語らなければならないので自然の本質の一つとしてここでは一応定義しておくが、「揺らぎ」については後日語らなければならないのかもしれない……
風紋は風の揺らぎによって無常にその姿を変へ波の紋をこの世に映す。
諸行無常とは正に風紋の如しである。
さて、ここで妄想を膨らませると、風紋は時空間の時間を主体にした時空が姿を与へられてこの世に出現する現象ではないかと思ふ。波は周回運動に変換でき、つまり波は或る物が「揺らぐ」螺旋運動をしてこの世を駆け抜けたその軌跡ではないのではないだらうか。ここでいふ或る物とは正に『時』である。
確率論的に言へば風に幾ら「揺らぎ」があらうが風紋の最終形は直線の筈である。水はその姿を千変万化に変容させるので兎も角、砂丘の砂が例へば真っ平らであって例へ「揺らいだ」風でも万遍無く砂丘の砂にその風を数時間か吹き付け続ければ確率論的には直線の風紋が出来る筈であるが自然はそれを許さない。それは何故か――時空が特に時間が「揺らぐ」螺旋運動をしてゐるとしか考えられないからである。
多分、螺旋運動は自然の宿命なのだ。それ故時空は「揺らぐ」のだらう。
――人間もまた螺旋から逃れられない自然物なのだ。さて、例へばRobotだが、それが自然を超へるといふ人間の宿願を果たす人間の夢想であるならばだ。しかし、それが人間の頭蓋内の思索といふまた「揺らぎ」の螺旋運動から出現したものならば、さて、Robotもまた自然でしかない……………
――さてさて、人類の叡智とやらに告ぐ。……無から何か有を、存在物を……人間よ……創造し給へ。それが出来ない以上、人間よ、自然に隷属し給へ……。それが自然の宿命だからな……、ふっ。
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