思索に耽る苦行の軌跡
《人間は考えへる葦である》といふ箴言で人口に膾炙してゐるフランスの数学者、物理学者、哲学者、思想家、宗教家であるブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日)が、晩年に、ある書物を構想しつつ書き綴った断片的なNoteを、彼の死後に編纂して刊行した遺著『パンセ』【筑摩書房:「世界文学全集11モンテーニュ パスカル集」(昭和四十五年十一月一日発行)より松浪 信三郎訳】から抜粋(一部私が改変)

 第六篇より

      三百四十六

 思考が人間の偉大をなす。

      三百四十七

 人間は自然のうちで最も弱いひとくきの葦にすぎない。しかしそれは考へる葦である。これをおしつぶすのに、宇宙全体は何も武装する必要はない。風のひと吹き、水のひとしづくも、これを殺すに十分である。しかし、宇宙がこれをおしつぶすときにも、人間は、人間を殺すよりもいっそう高貴であるであらう。なぜなら、人間は、自分が死ぬことを知ってをり、宇宙が人間の上に優越することを知ってゐるからである。宇宙はそれについては何も知らない。

 それゆゑ、われわれのあらゆる尊厳は思考のうちに存する。われわれが立ち上がらなければならないのはそこからであって、われわれの満たすことのできない空間や時間からではない。それゆゑ、われわれはよく考へるやうにつとめやう。そこに道徳の根原がある。

      三百四十八

 考へる葦。――私が私の尊厳を求めるべきは、空間に関してではなく、私の思考の規定に関してである。いかに多くの土地を領有したとしても、私は私以上に大きくはなれないであらう。空間によって、宇宙は私を包み、一つの点として私を呑む。思考によって、私は宇宙を包む。

      三百四十九

 霊魂の非物質性。――自己の情念を制御した哲学者たちよ、いかなる物質がそれをよく為しえたであらうか?

――以下略

さて、人体の構成を分子Levelで言へば《水》がほぼ七割を占めるので、パスカルの《人間は考へる葦である》を更に推し進め私流にすると《人間は考へる水である》となる。

つまり、《水》が生物の存在を許さなければ生物は此の世に存在出来ないのである。

ところで、《水》がその存在を『許容』しない物質は此の世に存在するのであらうか。つまり、《水》は全てを、《神》の如く、《受容》するのであらうか。

この問題の考察は次回以降に譲る。

閑話休題。

突然であるが、私は他人の、そして動物の死相が見える。「虫の知らせ」等といふ言葉があるので死相が見えることは別段不思議なことだとは考へてゐないが、しかし、他人の死相が見えてしまふことは何とも遣り切れないものである。経験則に過ぎないが、私に死相が見えてしまった人はどんな医学的な治療をしても三年以内には必ず死ぬのである。

先づ、眼光から《生気》が消えると言へば良いのか、死に行く人の眼光は異様に見えるのである……。

そして、他人の死相は死に行く星の様相とそっくりなのである。

例へば、「SN 1987A、即ち超新星1987A」、「エーターカリーナ星」、「エッグ星雲」、「リング星雲」等等と他人の死相は似てゐるのである……。

閑話休題。

星はその最後には星の中心核内にある全てのHelium(ヘリウム)を使ひ切り、次に何が起こるのかはその星の質量によって変はるのであるが、最も重い星、太陽質量の6〜8倍以上の質量を持つ星は、十分な圧力が核内にあるため、核融合で炭素原子を燃やし始め、炭素が無くなると超新星として爆発し中性子星やBlack hole(ブラックホール)が後に残る。軽い星は燃え尽きながら外層を噴き出して美しい惑星状星雲を作る。中心核は高温の白色矮星として残る。

星の死後残った中性子星やBlack holeや白色矮星は人で言へば『霊魂』である、と、私は考へてゐるが、つまり、パスカルと同じく『霊魂』は存在すると考へてゐるのである。といふのも人間の構成は宇宙の構成と原子Levelでは似てゐて『人体』を『宇宙』に喩へるのは極々一般的な考へ方であるからである。

第一章は序といふ事で更なる考察は次回以降に譲る。
2007 08/13 08:49:07 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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