思索に耽る苦行の軌跡
ここで話が横道に逸れる私の《死後の世界》について預言しておかう。

私が死して後、私のゐない此の世の様こそ私の《死後の世界》の様相を映してゐると考へておくれ。君や嘗ての雪、即ち攝願やSalonの仲間を初め、私のゐない此の世がまあまあ過し易ければ私は極楽浄土にゐるし、此の世が地獄の有様だとすれば私も地獄に堕ちたと思ってくれ給へ。私のゐない此の世の有様こそ私の《死後の世界》に外ならないのさ。

まあ、それはそれとして、私の死後、君達は、特に攝願、つまり俗名でいふところの雪は彼女が出家するまでに私が施した、例へば雪の為されるがまま私が何の抵抗もせずそれに無言で従ったことは、雪の「男」に対する憎しみやそれに伴ふ底知れぬ苦悩といふ雪の内部でばっくりと傷口の開いた《心の裂傷》を縫合しその傷に軟膏薬を塗布して治療する意図があってのことで、雪も癒された筈だが、といふのも幾ら《生きる屍》に成り下がったとはいへ、私も生物学的には「男」そのものだからね。

そして、雪は出家し攝願と為った訳だが、攝願が尼僧でゐる間は《禊の時間》に過ぎない。攝願の内部の《心の裂傷》が癒えその傷の《瘡蓋(かさぶた)》が剥がれ落ちると攝願の《禊の時間》は終はりを告げる。私も君もSalonの仲間も知ってゐる「男」に攝願は惚れ、攝願は何もかも捨ててその「男」の元へ身を寄せる筈だ。再び雪に戻るのさ。「男」は「男」で雪に逢った時からずっと惚れてゐた。そこで雪はその「男」の子を身ごもり「母」になる。雪の第一子は男の子で雪はその子に私の名を付ける。勿論、雪の「男」も大賛成さ。まあ、これ以上は話さない方がいいので黙って彼の世に持って行くよ。

さて、そこで君にお願ひがある。雪は寺を出た後、その罪悪感に悶絶する程苦悩し続けることになるが君は雪の良き理解者となって雪の「愚痴」の聞き役になってくれ給へ。お願いする。さうすることで君達に起こるであらう艱難辛苦も乗り越へられ私も浄土で安らげるといふものさ。重ね重ね宜しく頼むよ。

話を戻さう。

ところで、古本屋街を漫ろ歩きしてゐた私と雪との間には雪がぽつりぽつりと一方的に私に話す以外殆ど会話は無かった。

沈黙。Salonの仲間とは違った心地よさが雪との間の沈黙にはあったのだ。互ひが互ひを藁をも縋る思ひで「必要」としてゐたことははっきりとしてゐたので、多分、雪と私の間には――他人はそれを「宿命」とか「運命」とか呼ぶが――互ひに一瞥した瞬間に途轍もなく太い《絆》で結ばれてしまったのは確かだ……。

――ねえ、この古本屋さんに入りましょう

少し強めに雪に握られた右手首を通して雪の心の声が聞こえて来たのであった……

(以降に続く)

2007 08/12 06:13:47 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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