――ほらほら、無といふ文字や零といふ記号で封印されたものたちが、蛇が外界の状況を把握する為にちょろちょろと舌を出すやうに己の場所から逃げ出さうとしてゐるのが見えないかい?
――ふっ、それで?
――奴等もまた己が己であることに憤怒してゐる《存在》の虜囚さ。身の程知らずったらありゃしない……へっ。
――さういふお主もまた自同律の不快が持ち切れずに己を持て余して《他》に八つ当たりしてゐるじゃないかい?
――へっへっへっ。さういふお主もつんと澄ました顔をしてゐるが、へっへっへっ、自同律の不快が持ち切れずに《他》に八つ当たりしてゐるじゃないかい?
――はっはっはっ。馬鹿が……。あっしは己の翳の深さを思ひあぐねて七転八倒してゐるだけさ。
――ふむ。お主はProgramerなら誰でも知っているハノイの塔を知っているかね?
――それで?
――そのハノイの塔の翳は、さて、その中心部が最も濃いと思ふかい?
――ふむ。多分さうだらう。それで?
――お主は翳の深さがあの厄介者の《存在》と紐帯で結び付いてゐるとしたならどう思ふ?
――さうさねえ……、……翳もまた翳で己から逃げ出したい《存在》の虜囚じゃないか、へっ。
――ふっ、さて、そこで己の己からの遁走が可能として、その己は何になる?
――へっ、それは愚門だぜ、己は《他》になるに決まってらあ!
――ふっ、それで、己が《他》に変化できたとしてその《他》もまた己といふ《存在》の虜囚じゃないのかい?
――へっ、大馬鹿者が! 己は《他》に変化できたその刹那の悦楽を存分に喰らひたいだけなのさ。その《虚しさ》といふ快楽が一度でも味はへれば馬鹿な《己》はそれで満足するのさ。
――へっ、それが生きるための馬の眼前にぶら下げられた人参といふ事かね。阿呆らし。
――さう、人生なんぞ阿呆らしくなくて何とする?
――ははん。他人の家の庭はよく見えるか、様あないぜ、ちぇっ。