――うふ。私、物理学にはそんなに詳しくないから何とも言へないけれど、でも……此の世の全ては《存在》しただけで既に自己に不満足な《存在》として存在する外ないんじゃないかしら……。じゃないと《時間》は移ろはないんじゃない? 《光》もそれは免れないと思ふけれど、どう?
雪は舗装道路を走る自動車が通る度に巻き起こる風に揺れる公孫樹の葉葉に目をやりながら訊ねたのであった。私は仄かに微笑んで
*******ねえ、つまり、《光》が此の世と彼の世の、つまり、此の世と彼の世の間隙を縫ふ、つまり、代物だと看做すと、ねえ、君、つまり、《光》は此の世の法則にも従ふが、一方、彼の世の法則にも、つまり、従ってゐるんじゃないかと私は思ふんだが、どう思ふ? つまり、《光》が此の世と彼の世の懸け橋になってゐるんじゃないかと思ふんだけれども……、どう思ふ?
雪は風に揺らめく公孫樹の葉葉を見つめながら、否、葉葉から零れる満月の明かりを見つめながら
――さうね……、あなたの言ふ通り《光》が此の世の限界速度だとしたならば……、うふっ、《光》はもしかすると死者達の彼の世へ出立する為の跳躍台なのかもね、うふっ。
公孫樹の葉葉から零れる月光の斑な明かりが雪の面に奇妙に美しい不思議な陰影を与へて雪の面で揺れてゐた。
*******彼の世への跳躍台? ねえ、君、つまり、それは面白い。つまり、此の世の物理法則に従ふならば、つまり、《光》を跳躍台にして死者が彼の世へ跳躍しても相対論に従へば光速度であることには変はりがない……ふむ。
と、私は思案に耽り始めたのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
ゆっくりとゆっくりと時計回りに彼の人は渦巻きながらも面は私に向けたまま私の視界の中で相も変はらず仄かに明滅してゐたのであった。この視界に張り付いた彼の人もまた、《光》を跳躍台にして彼の世へ出立したのだらうか……。不意に月光の明かりが見たくなって私は頭を擡げ満月に見入ったのであった。この月光も彼の世への跳躍台なのか……等等うつらうつらと考へながら私はゆっくりと瞼を閉ぢて暫く黙想に耽ったのであった。
――ふう〜う。
その時間は私と雪との間には互ひに煙草を喫む息の音がするのみで、互ひに《生》と《死》について黙想してゐるのが以心伝心で解り合ふ不思議な沈黙の時間が流れるばかりであった。
――ふう〜う。ねえ、もう行かなきゃ駄目じゃないの?
と、雪が二人の間に流れてゐた心地良い沈黙を破ってさう私に訪ねたのであった。私はゆっくりと瞼を開けてこくりと頷くとMemo帳を閉ぢ、煙草を最後に一喫みした後、携帯灰皿に煙草をぽいっと投げいれ徐に歩を進めたのであった。
――もう、待って。
と、雪は小走りに私の右側に肩を並べそっと私の右手首を軽く握ったのであった。私は当然の事、伏目で歩きながらも、しかし、《生》と《死》、そして《光》といふ彼の世への跳躍台といふ観念に捉へられたまま思考の堂々巡りを始めてしまってゐたのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
(以降に続く)