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14年前の朝5時46分。 忘れられない阪神淡路大震災がありました。
あの朝はいつもと違い、異常に静かで、とても冷え込んでいました。 最寄駅に向かうまでの間にはため池を埋め立て作られた公園があるのですが、いつもならそこへ行き着くまでに、犬や猫、ネズミなどが人の行き交わない時間にウロウロと餌を探しているというのがありふれた風景でした。
ところが、あの日だけは全く違っていました。
今でも忘れられない出来事が起こります。 1995年1月17日5時40分。 駅前の公園に30羽くらいのカラスが群れを成していました。連休明けでゴミを漁るカラスがいてもおかしいとは思いません。ところがその日のカラスはグランドに降り立ち群れを成して斜め45度にキッっと嘴を上げて月を睨んでいたのです。 ゾッとしました。辺りには何の音も無く、シーンと静まり返っていました。 『気持ち悪いなぁ』と思いながらも、遠巻きに見ながら歩いたのです。あまりの光景に目が放せずにいました。 その時不思議と『今日はついてないなぁ。あれだけカラスみたし、急いでもきっと良い事ないわ。遅れる訳じゃないから電車を一本遅らせて乗ろう。』と心に決め、公園を突っ切る間、カラスの様子を見ていました。 途中あまりの光景に止まってみたりしていましたが、カラスは一向に動く気配が無く、1〜2分は見ていたと思います。
本当は5時43分の各駅停車の電車に乗るつもりでした。
遅くしたおかげ?で、私はあの5時46分、駅前の商店街を通っていました。
急に周りでザワザワという音がし始めました。それはすぐにガタガタに変わり、商店街の店という店のシャッターが波のようにうねり始めたのです。
そして次の瞬間「ドーン」という音と共に、飛び上がるほどの縦揺れ。
コワイと思う暇も無く、自分独りでは立っていることも出来ない状態になりました。ちょうど1メートル先に男子高校生が歩いており、彼も急な出来事に動けません。見知らぬ2人は、アーケードから落ちてくる蛍光灯を避けながら揺れが納まるまで立ち尽くしました。
完全に揺れが納まった時には、少しだけついていたアーケードの明かりも全て消え、完全に闇の状態になってしまったのです。 カラスを見てからほんの数分後のことでした。
しばらくは、見知らぬ彼と立ち尽くしたでしょうか。 それでも、その場にいる方が危ないと思い、彼らと駅まで行ってみることにしました。
駅では、発車してすぐの電車状態が停電のために確認出来ず、駅員さん達も暗闇の中を右往左往しています。 そりゃそうですよね。夜明け前に一瞬にして停電ですから。
確認には10分ほどかかったかと思います。 その間に自宅に電話をし、みんなの無事を確認だけしておきました。 その頃になって、ちょっと状況が把握出来てきたことで、急に怖さが襲ってきました。足に力が入らなくなり・・・駅前でうずくまってしまって。 駅員さんから「大きな地震だったために運転が出来る状況にあるのか、線路を全て確認してからでないとと運転再開は出来ません」との案内が入り、駅前に集まっていた人達は家路へと向かっていきました。
今でも私はどうやって家に戻ったか覚えてません。どの道を通ったのかも定かではないのです。 とにかく家に戻った時は辺りが明るくなっていたように思います。
縦揺れを立った状態で体験して思うことは、何かの支えがないと絶対に踏ん張って立っていられないという事。家の近所は震度6位だったと思いますが、本当にあの地震はおそろしいものでした。 家に戻ると本棚が傾き、ベッドと本棚の間にプラスチックのリップケースが斜めに突き刺さり、挟まっていました。 移動中ではなくあの時間に家で寝ていたら、私の両足の上にはテレビが堕ちてきて大怪我をしていたと思います。
怖い思いはしたけれど、とりあえず無傷だった事で 「自分はついてるなぁ」と思えたものです。
当時、必要だなと感じたものは、 水・非常食・ライト・タオル・カイロ・ティッシュ・ビニール袋・トイレットペーパー・ローソク・電池・生理用品等など。
あったら便利だなと最近感じているものは、 保温シート・軍手・スリッパ・缶きり・大型ビニールシート・サランラップ等。
出張先で仕入れた歯磨きやお風呂セットも大活躍しました。 あれから出張先から持ち帰るのが恒例です。
もうあってほしくない出来事ですが、日本国内に住んでいる以上、いつまた大地震が起こってもおかしくないんですよね。 備えあれば憂い無し。 家中探し回って非常用具を集めるもよし。 万一のために買い足すのもよし。 14年前の映像をテレビで見ながら、防災・災害についての対策を改めて強化しておかなきゃって思いました。 1月はやっぱ気を引き締めて毎年地震対策しよっと。
そう思うと・・・ 今日もうさこやザリコ達と元気で愉しく暮らしていられることに感謝です。
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