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「琉球かれん」という楽器の演奏会を終えた。
「琉球かれんと三線」「琉球かれんとフルート」など、 楽器同士が上手く調和すると、とても素敵な音色を奏でる。 合奏の愉しさと、面白さ、美しさをご覧いただいた。
群読って、そんな琉球かれんの合奏に似ている。 群読っていいものなんだけれど、知名度がないから「群読」と聞いてもピンとこない人が多いのだ。
とある講師仲間からご提案があった。 「声を使った新しいエクサイズ」ってどうかしら? きっと色々と考えて下さったんだと思う。 それ自体はすごく有り難いことなんだけれど。う〜ん。
このタイトルを文字で見たとき、何だろう?何か違和感が。 私のイメージと共通点ってあるかしら?
私は何故「群読」という文字にこだわっているのだろう。
まだまだ知名度の少ないこの名前を知って貰いたいって 思うところがあるからだ。 少人数での活動であっても、私はやっぱり「群読」という言葉にこだわってみたいのだと思う。 ご提案を受けたことで逆にそれが分かった。 客観的な視点とご意見て、とても重要なんだなって思った。
何でもそうだと思うけれど、始めっから人集めは難しい。 けれど、続けていくことに意味があり、意義がある。 合奏と群読は私の中ではとても似ているのだ。 「群読」を関西で広めようとしている以上、 何が何でもこの名前を使い続けていこうと思う。
人との調和「合わせる」ことの大切さを伝え続けたい。 そう。琉球かれんでは合奏で、群読では読奏で。 群れを成して読む、群読。 読んで奏でるから読奏。 私のイメージはあくまでも文字から来ている気がした。
私はやっぱり文字が好き。早稲速記を学んだ時からね。 そして、文字を自分というフィルターに通して口から飛び出すことで、活きた言葉となって動き出すのだ。 う〜ん。20年経っても変わらない私の想い。 文字。言葉。これからも大切にしていきたいな。
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