聖教新聞「きょうの発心」から
 いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり(上野殿後家尼御返事、一五〇四ページ・編六一五ページ)
 *通解
 (故上野殿は)生きておられた時は「生の仏」、亡くなった今は「死の仏」であり、生死ともに仏である。これが即身成仏という大事な法門である。
1996年1月18日付
 信心根本に生き抜いた人は、生前も仏であり、死後も永遠の常楽の境涯にある仏であり、「生死ともに仏」と輝いていく−−その生死不二の成仏観が示された御文です。
 医師になって二年目の春のこと。二十八歳の親友が胃癌で倒れました。すでに末期で、医学的にはもはやなすすべもない状態でした。私は、彼女に付き添うために、往復五時間かけて、勤務先の大学病院から彼女が入院する病院に通いました。
 そんな時、池田先生にお会いし、「お医者さんが病人のような顔をしているね。医師は感情的になってはいけないよ。患者さんを安心させるためにも、明るく、朗らかにね」と激励されるとともに、医師としての基本的な姿勢について、仏法の生死観の上から様々に教えていただきました。
 その時、親友の避け得ない死という現実を前にして、私自身が死の恐怖を乗り越えることができずに、精神的なパニックに陥っていたことに気が付きました。
 医師として患者さんの治療に全力を尽くしても避けられない死を目の前にすると、自身の敗北を感じがちです。しかし、私はこの御文に説かれる仏法の生命観を学んだ時、初めて心ひるむことなく最期まで患者さんとその家族の側に立っていることができるようになりました。
 時を経るにつれ、この時の指導が、私の在宅ターミナルケアの確固たる立脚点になっていることを実感します。(愛知・春日井<県>副婦人部長)
2006 01/18 12:47:24 | きょうの発心
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