聖教新聞「きょうの発心」から
 苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや(四条金吾殿御返事、一一四三ページ・編八八〇ページ)
 *通解
 苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ、自受法楽ではないか。
1996年1月19日付
 高校時代、父が他界し、その直後、母もその看病疲れで体をこわし入院。私は、残された七人兄弟の長男として、どうしてよいか分からず悶々とする日々が続きました。
 そうした折、先輩・同志の励ましを受け、すべてを自身の成長への糧として、信心根本に乗り越えていくことを決意。真剣な唱題に励んでいった結果、好条件のアルバイトに恵まれたりして、心配された経済的な問題が解決し、また母も無事退院、すべてを乗り越えることができました。
 その間の苦しさと、それを一つ一つ克服した時の喜びは今も忘れることはできません。一切の試練を前向きの“生命”で受け止め、唱題根本に戦い抜いたからこそ、現在の自分があると思います。
 この御文は私の座右の銘です。常に拝しては“何があろうとも信心を貫き、変化の絶えない現実に右往左往することなく、使命の道を歩もう”と進んできました。
 スピーチに「何もないことが現世安穏なのではない。最後まで悠々と現実に挑戦しきっていける不動の境涯−−そのなかに現世安穏はある」とあります。
 「新世紀・大勝の年」−−激変の時代であればこそ、信心根本に不動の自身を築きながら、大勝利の栄冠を勝ち取っていく決意です。(大阪・鶴見王者<区>長)
2006 01/19 12:41:01 | きょうの発心
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