聖教新聞「きょうの発心」から
 設ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入って法華経と申す妙覚の功徳を障へ候なり(兄弟抄、一〇八二ページ・編六八三ページ)
 *通解
 たとえ等覚の菩薩であっても、元品の無明という大悪鬼がその身に入って、法華経という妙覚の功徳を妨げるのである。
1996年2月10日付
 悔いのない充実した女子部時代を過ごし、私は昭和五十二年に結婚。婦人部一年生として活動を始めました。
 ところが、その二年後、移り住んだ地域にもようやく慣れたころ、宗門問題の嵐が吹き荒れたのです。魔に紛動されて、同志を裏切り、学会の悪口を言って退転していった人たち−−。その姿ほど、人間として醜いものはありませんでした。
 その中には、女子部時代、同じ組織で活動した婦人部の人もいました。つい前日まで「ともに頑張ろうね」と励ましてくれた人だっただけに、私自身、当初は驚きを隠せませんでした。しかし、この御文を拝した時に、どんな人であれ魔に信心を破られると平気で大恩ある学会を裏切ってしまうのだと気付き、今こそ勇気を奮い起こし、学会の「正義」を叫んでいこうと決意しました。
 その後、その地域から新たな人材が陸続と輩出し、仏法共感の輪が幾重にも広がっていきました。当時からは想像もつかないほど活気にあふれた地域となったのです。
 スピーチに「逆境の時にこそ深く強い信心の一念に立つべきである。そこにこそ、大海のように広々とした境涯へと自分を高めることができる。その決定した一念に、『幸』と『勝利』の人生がある」とあります。
 広布の前進を妨げる魔の蠢動に対しては、敢然と「戦う心」を燃やし、広布の大道を進んでいく決意です。(滋賀・近江栄光圏婦人部長)

未来の本屋〜でじたる書房〜

2006 02/10 12:31:23 | きょうの発心
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