あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
かざこし
写真は母島観光協会様の前の歩道上にあったタイルですが、都道についている歩道上のマンホールの蓋にもカラフルに地元の鳥や魚等の絵が書かれていたようです。各地を旅行していますがこういう歩道の活用は初めて見ました。

もっとたくさんの旅行をすれば、さらに多くのアイデアが見られることと思います。

私の住んでる飯田では市のマーク、市章が使われています。ちょっと高くなると思いますがこういうのも良いではないかと思います。


2010 08/22 05:18:09 | none | Comment(0)
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かざこし
母島ては、北港や南崎等の休憩小屋の屋根には地元に生える生命力のあるシュロを使って屋根を葺いていました。

海水浴をしている人達、野良猫捕獲の職員さん村人、皆さんの休み場所になっています。

私の住んでる飯田では最近は間伐材を使うようになって来ました。大変良いことだと思います。母島では昔からシュロが使われていたようです。

この他母島では、なるほどと言った施策がなされていて、明日以降ご紹介します。

2010 08/21 07:23:20 | none | Comment(0)
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昨日の写真で今は使われていない東港をご紹介しましたが、公共投資をする場合、その投資により税収が上がるれば良いのですが、税収が上がる見込みは無くても国民とか住民のためになることが最低必要なことです。今回の東港の場合すぐ近くに戦前は600人近い人が住んでいて港としての実績もあり東京との行き来もしていたとのこと。
何かそれなりの理由があるのか知りませんが、島で聞き回った限りでは明確な回答は得られませんでした。
今度母島観光協会様にでもお聞きして見ようと思います。



2010 08/20 05:36:10 | none | Comment(0)
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今日は愛すべき母島を回ってみて、ここも無駄な公共事業があったのだなという実態をご紹介したいと思います。帰りの船で母島に詳しい人の話をお聞きする機会があり、どうしてすぐ近く(車で2から3分)の所にある昔から使っていて、太平洋戦争時の昭和19年強制疎開したまま小笠原返還の昭和43年まで無人化してしまい、今では強烈な勢いのあるガジュマルの木に食いつぶされをうになっている北港と北村を復活させれば、島民は帰ってくるかもしれないし(戦前は600人くらいいたとのこと)、平坦地もわずかあり、緊急避難港としても使え、昔のように海産物や魚の加工工場も出来、どうして北港の復活を考えず新たな東港建設をしたのかお聞きしたところ、いや政治の力には勝てないよとのことでした。あまり深く考えない方が良いよと言う風な話でした。

なんだか数年前宮古島に行った時も、政治の話しはしない方がよいといわれましたが、まだまだ日本では政治の話はタブーだと言う感覚が深く残っていますね。当面する私たちの生活、日本の将来を考える時、政治の話がもっとも重要だと思うのですが。
なお、母島の地図は、母島観光協会様のHPから引用させていただきました。時間とお金がかかるのですが一度は行っておきたい所です。
http://www.hahajima.com/map/kankoumap.html





2010 08/19 12:35:08 | none | Comment(0)
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8月3日早朝家を出て17日午前中家に帰りました。2週間に及ぶ長い夏休みでしたが楽しかったし、ブログの携帯からの投稿練習もでき、何より携帯のキーボードからの文字入力に慣れて来て携帯の方も予想候補欄の学習効果で入力が早くなって来た事。
auの場合、バケット通信料金定額制が使った月から変更できると言う事なので安く済んで良かった事。

それに、新しい様々な新しい課題も生まれ楽しみも増えました。

問題は、この夏は私と母は川島で過ごしたので、飯田の家に子供達6人が帰って来てもなんとかなったのですが、これから結婚する予定の子供の伴侶や孫が増えてきた場合の対策を考えておかないと大変です。

川島なら大きな家なのでまったく心配無いのですが、子供達にとっては飯田が故郷で小中高の友人は全て飯田にいるのです。新しい家を建てるか、増築するか、中古の家を買うか、必要に応じてレンタルするか、まあ今後の課題です。
2010 08/18 07:02:41 | none | Comment(0)
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忠魂碑は日本中何処にでもありますが、母島のそれは実際の戦場近くにあり、若くして亡くなった兵隊さん達の無念の声が聞こえてくるようです。

説明板によると、ここの忠魂碑は軍隊が直接作ったそうです。

周りは綺麗に草刈されて大事にされていましたが、100mも行かない近くの北港の浜辺では、ビキニ姿のお嬢さんや若者が楽しそうに水遊びをしています。

もし死者に魂があったならなんと思うでしょうか。複雑な気持ちでしたね。

昨日、終戦時の玉音放送全文を読んで見ましたが、アジアの解放を目指した聖戦であったが世界中を敵に回してこれ以上戦うことは日本民族の滅亡にも繋がりかねないので、「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び・・・・」連合軍に降伏すると言う事でした。






2010 08/17 17:42:40 | none | Comment(0)
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写真は母島の海軍宿舎の廃墟に放置されていたホウロウビキの錆びきった洗面器です。戦前からあった物か、誰かが捨てた物かは分からないのですがちょうどここには風呂場があったと初日のガイドさん話しなので、本物かも知れません。

しかしいくつか残された大砲の写真を見たり聞いたりすると、まったく軍部は何を考えて戦争を起こしたのか理解できません。

戦争の神様ランチェスターによれば勝つ見込みの無い戦争は絶対してはならないとのことです。何故なら負ければ皆殺しと言う事だってありうるからです。軍隊等作ればろくなことにはならないと言う事は日本ばかりでなくアメリカをはじめ世界中で見られることです。

民主党には少しは期待したのですがまったく騙されたと言う感じです。

2010 08/17 03:54:21 | none | Comment(0)
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小笠原には父島、母島どちらにも戦争の後が見られるのですが負けることがわかっている戦争をどうしてやったのか分かりません。何しろ鍋、釜、鉄びょうまで供出させて神風が吹くから必ず勝つとマスコミも教育会も総動員でまったく無比半で戦争に突っ込んで行き世界中の人々に迷惑をかけ、多くの若者の命を犠牲にしたのですが今また好戦的な菅民主党政権は沖縄基地存続、アフガンに警察派遣、憲法改悪等々ひどいものです。

写真は母島の戦争設備用の壕の跡ですがなんて無駄なもの作ったものだと思いましたね。

2010 08/15 10:13:28 | none | Comment(0)
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メグロは母島、メジロは父島の鳥だと今回初めて知りました。

両島の距離は50kmとのことですが、メグロは地上に降りメジロは地上に降りないそうで、父島では猫を中心に鳥類を襲う動物が母島より多くメグロは父島にはいなくなってしまったようです。

自然を愛する母島のある人は、たくさんの人が遊びに来てくれるのは嬉しいけれど豊かな自然も守りたい。と言っていました。確かに言えることですかね。

2010 08/15 04:11:04 | none | Comment(0)
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今生まれ故郷に向かっているのですが、明日の更新分を途中の伊那市で更新します。故郷では母島同様auが使えないのです。更新内容は小笠原で書いたものです。

せっかく八丈島まで来たのだから周りをぐるりだけではもったいないと、ケータ列島クルーズを申込みました。朝8時乗船、途中イルカやマンタ、季節によっては鯨も見ることができる。イルカの場合は水中に入ってドルフィンスイムをする、マンタの場合も水中で遊べるそうです。
しかし私達は昨日熱帯魚観察で日焼けしていて身体中ヒリヒリ、まだ目の前の波高の高さには自信が無いので船の上から眺めていました。2回も船酔いで吐くほどでしたのでこれで十分でした。
途中弟島、婿島では昔は人がすんでいたとのこと。先人のご苦労が目に浮かぶようでした。

最後の婿島では住んでいた人の家の後、お墓の後を回ったのですが私は足が痛くて浜辺で待っていました。
2010 08/14 04:35:43 | none | Comment(0)
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