――パスカル『パンセ』(英訳より)
205
When I consider the short duration of my life, swallowed up in the eternity before and after, the little space which I fill and even can see, engulfed in the infinite immensity of spaces of which I am ignorant and which know me not, I am frightened and am astonished at being here rather than there; for there is no reason why here rather than there, why now rather than then. Who has put me here? By whose order and direction have this place and time been allotted to me? Memoria hospitis unius diei praetereuntis.
拙訳
205
「私の一生の短い期間が、その前と後に続く永劫に呑み込まれ、私が占有し、そして見る事さへ可能なこの小空間が、私には無知なもので、そして私に未知である空間の永劫の巨大さに呑み込まれてゐるのを思ふ時、私は其処よりはむしろ此処にゐる事に戦き驚く、何故なら私が其処ではなく此処にゐるべき理由などなく、何故にその時ではなく今なのかといふ理由すら存在しないからだ。誰が吾を此処に置いた? 誰の命令そして指図でこの時空間が吾に与へられしか? 〈ただ一日留まれる客の思いで〉(松浪信三郎訳参照)」
206.
The eternal silence of these infinite spaces frightens me.
拙訳
206
「その永劫無際限の空間の永遠の沈黙が吾を戦かす」
207
How many kingdoms know us not!
拙訳
「何と多くの数の王国を吾等は知らぬのだ!」
208
Why is my knowledge limited? Why my stature? Why my life to one hundred years rather than to a thousand? What reason has nature had for giving me such, and for choosing this number rather than another in the infinity of those from which there is no more reason to choose one than another, trying nothing else?
拙訳
208
「何故吾の認識には限度があるのか? 何故吾の身長に限度があるのか? 何故吾の一生は千年よりもむしろ百年なのか? 如何なる理由でそのやうに吾に与へられし自然の摂理があるのか? そして別のものでなくこれを選ぶのに何の理由もないといふことからして、それら無限の中にある別の数字の中からこの数字が選ばれし事に関して、他の選択肢を試みたところで他の選択肢はなしといふ事か?」
――ふん。パスカルの『パンセ』の英訳が如何したと言ふのかね?
――いや、何、此処に既に無限に対するどう仕様もない怯えが書き記されてゐると思ってね。
――つまり、有限なる《もの》は否が応でも無限と対峙するそのどう仕様もない恐怖の在り処こそ虚数iの正体だと俺に同意を求めてゐるのかね?
――へっ、虚数iの正体だと?
――つまり、《存在》とは、その《存在自体》に怯える《もの》であるといふ命題が「先験的」に《存在》してゐるんぢゃないかと思ってね。
――それは、つまり、此の世に《存在》する森羅万象は、「先験的」に無と無限と、そし虚数iの《存在》を認識してゐるとしふ事かね?
――さう看做しても構はぬのぢゃないかね?
――つまり、「先験的」に認識してゐなければ《存在》は例へば無限に対峙する筈もなく、また、無限に否応なく対峙し、そして怯える筈もないと?
――さう。「先験的」に認識してゐなければ、そもそも無といふ概念も、無限といふ概念も、虚数の《存在》も知る由もなかったに違ひない。
――それは、つまり、無と無限と虚数は何かしらの関連がある《もの》で、そして《存在》しちまった《もの》の思ひも及ばぬ処でもしかすると、これは皮肉に違ひない筈だが、その関連が《存在》する事の暗示かね、「先験的」とは?
―つまり、
213
Between us and heaven or hell there is only life, which is the frailest thing in the world.
拙訳
213
「吾らと天国若しくは地獄の間に、此の世で最も羸弱であるのみの生命が存在する。」
におけるbetweenといふ此の世の森羅万象の有様故の、つまり、必然といふ事を意味してゐるのかね?
――さうさ。必然だ。必然故に此の世に《存在》する森羅万象はbetweenといふ《存在》の仕方に我慢がならぬのだ。
――へっ、それでも《存在》はbetweenでしかあり得ぬ。
――多分、パスカルは《存在》の有様がbetweenでしかあり得ない事を自覚しちまった時、自嘲したに違ひない。
――それはまた何故?
――《存在》の振幅が無から無限まであるといふ恐怖からさ。
――それは果たして恐怖なのかね?
――ああ。それは底知れぬ恐怖であったに違ひない。それ故、パスカルは此の世にabyss、つまり、《深淵》を見ちまった。そして、その《深淵》が虚数の《存在》をも暗示した。
――はて、それは何故かね?
――虚数iのi乗といふ《存在》が此の世に実在する事を暗示してしまったからさ。
――話を先に進める前に一つ尋ねるが、虚数iのi乗とは一言で言ふと一体全体何の事かね?
――約めて言へば、虚数iのi乗が実数であるといふ事は、此の世、つまり、世界は何としても実在する《もの》である事を《吾》に強要する《もの》でしかないといふ事さ。
(六十九の篇終はり)
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