2008年 05月 06日 の記事 (1件)


本名花田勝治。
1928年生まれ。

優勝は10回(うち全勝1回)。
連覇は2が最高。
連勝もそれほどという記録は残していない。

もちろんこれは一流のものであるが、この記録より多い人はいくらでもいる。
横綱昇進は29歳と意外と遅い方である。

現在では二子山元理事長、いや若貴兄弟の伯父と言った方が有名かもしれない。

ただスポーツは数字とか記録だけではない、という典型である。

「土俵の鬼」といわれ、また宿敵栃錦とともに「栃若時代」という黄金時代を築き、戦後の大相撲発展に大貢献した。

それだけではなく、小さい体で自分より大きな相手をぶん投げたり、驚異的な足腰の強さで逆転技を見せたり、また派手な荒技を繰り出したり
と相撲のダイゴ味を十分に堪能させた。

またその劇的な半生も多くの人の胸を打った。

実家のリンゴ園が台風で壊滅的打撃を受けた。
長男の彼は一家のためにすぐ働かなければならなかったのだ。
そして角界入りして大成功を収めるのである。

人気はものすごかったそうだ。
もちろん実力もあったし、この横綱は「土俵哲学」というものを持っていたようである。

解説者となられても、稽古をするものはよくほめていらっしましたね。

典型が北の湖。
稽古をさぼっていた頃はともかくとして、稽古十分になって強さを発揮していた時は
「いやとにかく強いですね」と絶賛していらっしゃいました。

北の湖ファンのトクタサツオも「土俵の鬼」からほめられてうれしかったです。

ただこの大人物でも影の部分はあった。

引退後二子山理事長になって、なぜか旭富士の横綱推薦をなかなか行わなかったこと・・・。

嫌がらせとしか思えなかった。
彼より甘い条件で昇進した力士は何人かいたのにもかかわらずである。

その後連続優勝して、文句なしで横綱になれたからよかったようなものの、あぶなく「悲劇の男」の一人になるところであった。

それから最近は何か、外に子供がいたとか、暴露本を書かれていましたね。

やはり「光と影」は誰にでもあるのですね。

でもだからといってこの人物の評価が下がることなどはありえない。

そして花田一族はこの小さな大横綱から始まったのである。

2008 05/06 20:43:13 | none | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー