2009年 05月 26日 の記事 (1件)


今回は石田三成とのお話でした。

どうも一言多い三成。

羽柴秀吉を迎えての宴席でも、直江兼続を愚弄するような言葉を吐き、兼続を怒らせて、場をしらけさせてしまいました。

この場は秀吉が、間に入り、何とか事なきを得ましたが。
ただそれだけでなく、秀吉は三成をかばうような言葉も言いました。

「大変機転が利く男なのだ」と。

「悪い奴ではないのだが、どうも敵をつくってしまう」
「ワシの妻(北政所)が握り飯を与えると涙を流して食べていた」というようなことをも言ったのでした。

直後に兼続は握り飯を持って、再び三成と会いますが、そこでもやや固い態度で、本当には打ち解けていないようです。

「狐」をどうも思い浮かべる兼続でした。

一方後にこの「狐」の石田三成と雌雄を決する戦いを起こす
「狸」こと徳川家康も何かを狙っているようすでした。

その後また石田三成が直江屋敷を訪ねてきました。

兼続は在宅しておらず、他の家臣が応対することになりました。

でもここでも三成は一人だけ、お茶を飲み、上杉家家臣達の杯を受け取ろうと致しませんでした。
そのうえまたまた毒舌を吐き、何人もの人間を怒らせてしまいました。
そのようなところへやっと兼続が帰ってきました。

三成は帰ろうとしていたので、兼続は引止めました。
今晩は泊まっていってくれと。

そのような所へ、領民達が野菜等を届けにやってきました。
彼らとも何の隔たりもなく、会い話す兼続でした。

そしてその夜の宴にも招待するのです。

兼続はその宴会で歌い踊ります。

はじめはまだ疑っていた三成もようやく心を開いてきました。

そしてラスト、ついに三成は心を開きます。

二人はそこで手を取り合いました。

これが大同盟の第一歩であったのでした。






2009 05/26 20:21:35 | none | Comment(0)
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