1976年小林が大車輪の活躍をしたことは前回書きました。
そして一番勝ち星の多かったのが大洋ホエールズでした。
大洋はこの年最下位に沈んだのですが、巨人戦というとかならずがんばるので前半は対戦成績も互角でした。
ただ後半はほとんど巨人が勝ち、最終的には17勝8敗1引き分けと突き放しています。
この貯金の大きかったと思います。 ここでも小林は巨人優勝に貢献していたと思います。
ただその反面阪神戦では勝ち星がなかったかもしれないです。 登板機会も少なかったようです。
阪神には小林のようなサイドスローの投手が苦手とする、左打者が多かったこともあったでしょう。
掛布、藤田平、ラインバック、がスタメンに並び、遠井、桑野、池田、笹本と控えにも左がいました。 被本塁打も決して少ない方ではありませんでした。
右打者では田淵、ブリーデン、東田と長打力のある選手がいました。 阪神タイガースはかなり投げにくい相手だったでしょう。
また中日の左打者マーチン、谷沢も苦手としていました。
この辺りが課題であったかもしれません。
阪神戦には堀内、新浦、加藤あるいは新外国人のサウスポーライトなどが主戦でした。
小林は阪神戦となるとローテーションを外されていたような記憶があります。
そのうえこの年は阪神タイガースと最後まで優勝を争ったのでした。
優勝を決めた二日ほど前でしたか、甲子園でこれに勝てば優勝という試合にも登板して、力投したのですがやはり左打者の遠井に本塁打を打たれ降板。
チームも敗れ優勝を決められませんでした。
小林もかなり口惜しかったと思われます。
でもこのような口惜しい経験を糧に小林投手はさらに飛躍していったのかもしれないです。
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