1975年の後期優勝から、西本バファローズは阪急ブレーブスへの挑戦、対決という構図になっていくのでした。
前日の日記でも申し上げましたとおり、教え子達との対決、師弟対決であります。
でもこれは厳しい道のりでした・・・。
1976年はバファローズはやや低迷。 そしてこれに対してブレーブスは、前後期優勝を達成しました。
当然プレーオフはなし。
ブレーブスは悲願の打倒巨人もなしとげ、2年連続で日本一となりました。
1977年はバファローズはけっこう奮戦したのですが、最終的には前後期、ともに優勝を逃します。
確かこの年はブレーブスとの対戦成績が悪かったのでしたね。
前期はブレーブスが優勝、後期は奮起したオリオンズがとりました。
でもプレーオフは1勝2敗から、ブレーブスが逆襲して2連勝・・・。 またもやリーグ優勝を勝ち取ったのです。
この勢でブレーブスは巨人にも勝ち、3年連続で日本一となりました。
ブレーブスはとにかく強かったです。 西本監督も弟子(教え子)達に「恩返し」されっぱなしでした・・・。
1978年前期はまたブレーブスが優勝。 ただし後期はバファローズも優勝戦線に残り、最後まで優勝争いをしました。
でもやはり最後にはブレーブスが後期優勝となりました。
ブレーブスは、2回目の前後期制覇で、パ・リーグV4です。
バファローズにとって、ブレーブスの壁は本当に厚かったようです。
でも無敵ブレーブスが、何とこの後日本シリーズでヤクルトスワローズに敗退。
完全V4とはなりませんでした。
ブレーブスの上田監督は、日本シリーズ敗戦、特に第七戦のファールのジャッジをめぐってのトラブルで突然辞任。
これで何か流れが、風向きが変ってきました。
そしてバファローズにあの男がやってきたのです。
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