2013年 01月 10日 の記事 (1件)


これほど部屋の存続が難しくなっていたとは思いませんでしたね・・・。

二所ノ関部屋といえば、大相撲界きっての大部屋でした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130110-00000011-ykf-spo

トクタサツオが相撲をよく見るようになっは、1970年頃でしたけど、その頃は大変隆盛を誇っていましたけどね。

横綱大鵬、大関大麒麟、そして現在の二所ノ関親方の金剛がいました。

それから二所ノ関一門というのがまた凄かったです。

本家が先程の三人。

その他、片男波部屋の横綱玉の海、佐渡ヶ嶽部屋の大関(後に横綱昇進)琴櫻、関脇長谷川、花籠部屋の小結龍虎、二子山部屋の関脇貴ノ花(初代、後に大関昇進)と実力も人気もある力士が揃っていました。

元々戦前の大横綱玉錦が育てた力士達がそれぞれ親方となり、これだけの勢力となったようです。

他の一門、特にライバル関係にあった出羽の海一門を完全に圧倒していた感じでしたね・・・。

ただこの二所ノ関一門は、出羽一門に比べて一枚岩とはいかなかったようで、花籠、二子山、片男波とはあんまり仲が良くなかったみたいです。

今はどうかわかりませんが、理事長選挙などは出羽一門対二所・立浪連合軍という図式だったようです。

でも出羽一門の方が強かったみたいですね。

武蔵川(先代)、春日野、二子山、出羽の海、時津風、北の湖、武蔵川(現)、放駒、北の湖と理事長はほとんどが出羽の海一門です。

二子山(初代若乃花)、放駒(魁傑)は、二所一門ですが、本家と仲の悪かった花籠系ですからね。

そして押尾川部屋の分裂騒動などがありました。

天龍源一郎は、この煽りをくって引退、プロレス入りとなりました。

まあでもプロレスではチャンピオンにもなりましたし、却ってよかったかもしれませんね。

最初このニュースを聞いた時は何で北陣親方(元関脇麒麟児)が後を継がないのかと思ったのですが、力士数が3人と極端に減ってしまっていたのですね・・・。

残念かつ寂しい限りです・・・。






2013 01/10 20:44:39 | none | Comment(0)
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