王貞治さんは、1980年に引退して、三年間のコーチを経て1984年から巨人の指揮を執ることになった。
コーチを経験していたし、長島元監督が獲得した選手を、藤田監督が見事に開花させ、リーグ優勝二回、日本一一回の体験を覚えさせた後だった。
だから長島監督の一年目に比べると、比べ物にならないくらいに恵まれていたと思う。
投手では江川、西本、槙原、定岡がいた。
打撃陣では原、中畑、篠塚、松本のうえに、駒田、吉村、岡崎という期待の若手もいた。
捕手は山倉が安定していたし、外国人もスミス、クロマティと強打者が二人揃った。
特に投打の柱には甲子園からの大物、江川と原を擁していたところが、長島元監督の一年目とは全然違うところであった。
一年目から優勝かとも思わせた。
成績であるが。
1984年三位 広島がゆうゆうとリーグ優勝を決める。
1985年三位 この年阪神タイガースが21年ぶりの優勝、あおして日本一。 巨人は引き立て役に終わる。
1986年二位 この年はかなり惜しかった。 優勝したのは広島だったが、巨人は広島にまさる勝利数をあげながら、 勝率で僅差及ばず、無念の二位。
1987年優勝 やっと優勝を決める。 ただし日本シリーズは2勝4敗で完敗。
1988年三位 前年で引退した江川の穴とかケガ人が多くこの位置で終わった。 この年が王監督は巨人での最後の年となった。
こうして振り返ると決して弱くはなかったが、優勝は一度だけ。 そしてここ一番に弱かった気がする。
大事な試合に勝てないのである。
特に1986年は広島との大事な試合で打たれた江川と、チャンスに凡退した原のことがかなり記憶に残っているのだ。
噂によると江川を中心として、 「野球を楽しくやろう」という考え方がかなりあったということだ。
これはもちろん日本ハムで新庄が提唱、実践したことと、目指したものは同じであっただろう。
ただこれは一つ間違うと、大試合で力を発揮できない、踏ん張れないということに繋がってしまうのである。
そして江川はわけのわからのことを言って引退。 チームを去ってしまった。
そして原の勝負弱さ・・・。 決していつもだめというわけではないのだが、「ここで打ってくれ」という時の好打、長打が少なかったような気がするのである。
原が実力がないなどということはもちろんないのだが、精神的なものだったのか、主砲としてイマイチ「信じられない」のであった。
今更このようなことをここで話してみても致し方のないことはわかるのだが、思ったことを書いてみたのであります。
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